或る事件(2)(エリザベート視点)
残酷表現があります
主犯の一人、アロイジウスは司法大臣ガルトゥーンダウム伯爵の甥、イシドールは典礼大臣エーベルリン男爵の息子でした。
この時期、王太子の座は第一王子であったバルドウエィンから第二王子のルートヴィッヒに移っていました。
第一王子の最大の後見人であった財政大臣ディッセンドルフ公爵が天然痘を発症して死に、ディッセンドルフ家が混乱状態にあった中、ディッセンドルフ家の右腕と左腕とも言えたガルトゥーンダウムとエーベルリンをルートヴィッヒが囲い込み、この両家にディッセンドルフ家と第一王子を裏切らせたのです。
ガルトゥーンダウム伯爵とエーベルリン男爵は、ルートヴィッヒが王太子となるうえでの功労者であり、ルートヴィッヒはこの両家に『免罪権』、あらゆる罪を一度限り赦すという権利を与えていました。それがあったからこそアロイジウスとイシドールは邪悪に振る舞ったのであり、ルートヴィッヒは両一族を罪に問えなかったのです。
ヒンガリーラントが、犯罪者の引き渡しを拒否し、犯罪者を罪に問わなかった事で、アズールブラウラントとの間で戦争が始まりました。
戦争が始まったからと言って、事件のきっかけとなったガルトゥーンダウムやエーベルリン、それに王太子であるルートヴィッヒが軍を率いて戦争に行くわけではありません。実際に戦地に向かわされるのは騎士団を持つ大領地です。
オーベルシュタット公爵が総大将になり、コンラート・フォン・シュテルンベルクが副将になった戦争はダラダラと長く続きました。
伝染病のせいで上昇していた物価は更に上がり、民衆は飢えに苦しみました。
この戦争はおかしい、と思うヒンガリーラント国民も多くいました。
アズールブラウラントが正しくヒンガリーラントが間違っているのではないか。
何故、事件の当事者自身は戦争に行かないのか。
この戦争に勝利した後のヒンガリーラントは、女性や外国人の人権が守られる国になるだろうか。
この戦争に終わりは来るのだろうか。
それでも、愛国心の足りない非国民。と呼ばれる事を恐れて人々は口をつぐみました。
やがて冬が来ました。
戦争に行った兵士達の間でインフルエンザが流行しました。
薬も看護の手も足らず、感染した兵士達はバタバタと死んで行きました。
たった二週間で、今までの戦死者を超える兵士が死んだのです。
そして、コンラート・フォン・シュテルンベルクもインフルエンザになって死にました。
ついに、戦争反対と声高に叫ぶ者が現れました。ジークレヒト・フォン・ヒルデブラントです。
それ以前から、ヒルデブラント一族は戦争に対して批判的でした。
薬も無料で供出するようにと言われてそれを拒んでいました。
あるいはそれを、悔やんだのかもしれません。ジークレヒトは、剣と松明を手にして司法省前広場に立ち、戦争の理不尽と罪人の処罰を訴えたのです。
そして、自らの体に火をつけ焼身自殺をしました。
何故、服毒自殺でも割腹自殺でもなく焼身自殺だったのか、今なら理由がわかります。ジークは自分の亡骸を回収する人達に、本当は女だという事がバレないようにしたのです。
ですが、当時はそのような事がわかるはずもなく、ただ『彼』の憎しみの激しさに震えました。
一人の死が王都の空気を一変させました。民衆は戦争反対を訴え、犯罪者をアズールブラウラントに引き渡せと叫びました。
エーベルリン大臣が妻と子を連れて北大陸に亡命すると、王都民の怒りは益々大きくなりました。
遂に国王陛下は、ルートヴィッヒの出した免罪権を打ち切り犯罪者の逮捕に踏み切りました。
貴族達は怒りました。ガルトゥーンダウム伯爵は裏切ってはならないものを裏切りその代償に免罪権を得たのに、王室はそれを剥奪したのです。
王家は信頼を失い、忠誠を誓う事は無意味だ。と貴族達は思いました。
もう誰も。貴族も平民も王室を支持してはいませんでした。
あの数々の悲劇を繰り返さない為、まず私は花街に行き『アカデミーの男子寄宿舎の地下室に女性が監禁されている』という噂をばら撒いて欲しいとお金を渡して頼みました。
アロイジウスやイシドールは度々花街に出向いています。噂が耳に入れば『地下室に監禁』はしないはずです。
もしかしたら時既に遅く、監禁されている女性がいるかもしれません。
でも、もし噂が司法省に届いたら司法大臣が調査に乗り出すでしょう。
過去のこの時期の司法大臣はガルトゥーンダウムでしたが、今の司法大臣はエーレンフロイト侯爵です。王都の女性達を守る為『機動第五課』を新設したくらいですから、女性が監禁されているかもという噂を知ったら必ず調査を始められるはずです。
しかし結果として、司法省より早くジークが動き出しました。