水飴と椿油(2)
そして、遂に。待ちに待った週末がやってきた。
私を迎えに来てくれたのは、お母様からの委任状を持った侍女長だった。
侍女長の名前はゾフィーという。年齢はお母様より、ちょっと上だ。ゾフィーは、お母様が独身の頃からお母様に仕えていた。
早くに両親を亡くしたお母様は、兄夫婦に養育された。お兄さんは優しい人だったが、お義姉さんは性格に難がある人だったらしい。お母様は多くを語らないが、どうやらかなり虐められたようだ。
なので、お母様はいつも自分を守ろうとしてくれたゾフィーを姉のように慕ったらしい。
お母様の結婚と同時に、ゾフィーもシュテルンベルク家からエーレンフロイト家にやってきた。だから、私も弟も子供の頃からすごく可愛がってもらったし、それゆえに頭が上がらない存在なのである。
「家を離れての寄宿舎生活、やつれておられるのではと心配しておりましたが、お嬢様相変わらず、というかよりいっそう色艶がよろしくなられましたね。」
「えー、そうかなあ。」
半分お世辞だとは思うが、私は全力で乗っかる事にした。
「実はね、寄宿舎の庭には椿って花がたくさん咲いていて、早咲きの木にはたくさん実がなっているの。もともと、東大陸が原産の木で、まだ西大陸では珍しいのだけど、ここにいるユリアがアカデミーに入学する時、アカデミーにお父様が寄付したんだって。真冬でも、綺麗な花が咲く木だからって。」
「そうなんですか。」
「でね、椿の実からとれる油は、傷薬になるし、肌や髪を綺麗にするって本で読んで、私実を集めて油を搾ってみたの。」
たぶん今ゾフィーは、ブドウやブルーベリーの実のように柔らかい実が椿の木になるのだろうと、思っているだろうなあ。
石のように硬い実を、大きな石を使ってガンガン砕いたというのは内緒にしておこう。
「それで、その油を私もユリアも顔や髪に塗っているのよ。」
「まあっ!」
と、ゾフィーは感極まったような声を出した。
「お嬢様でさえも、美容に気を使うようになるなんて、寄宿舎という所は素晴らしい所ですね。アカデミーに入られて本当に良かったですわ。このままでは、本当にどうなる事かと思っておりましたもの。」
・・・。
褒めてないよね。ディスってるよね。
まあ、別に良いんだけど。今はとにかく美容部員のように、油をアピールしなくてはならないのだ。
私は手に持っていたバスケットの蓋を開けた。この中に陶器の瓶がぎっしりと入っているのだ。
「手荒れにもよく効くそうだから、館の皆へのお土産に持って帰ってきたの。これ、ゾフィーから皆に配ってあげて。」
「ありがとうございます。皆、喜びますわ。本当に、あの、お嬢様が。うぅっ。」
ゾフィーの中の『あのお嬢様』ってのは、どーゆー人物像なんだ?と、疑問に思っている間に馬車は久しぶりの我が家へと到着した。
家の中に入り、深呼吸すると懐かしさで胸がいっぱいになった。
2ヶ月ちょっとぶりの我が家だ。
レベッカとして目を覚ましたあの日ほどではないけれど、やっぱり胸に感慨がある。
お父様も、お母様も書斎で仕事中なので、お茶の時間まで待ってくださいね。と執事に言われた。
お父様は領主としての仕事があるし、お母様だってこんな大きな館で、たくさんの使用人を指揮するのにはいろいろな雑事があるのだ。
後、1ヶ月と少しで収穫祭の時期になるし、ヒンガリーラントでは、収穫祭の時期とは納税の時期でもあるのである。
早く会いたいと寂しい気持ちに少しなったが、いや、水飴を作るには好都合と気を取り直した。
ユリアは今晩我が家にお泊まりする。
私はユリアを客間にいったん案内した後、一緒に台所へ向かった。
ゾフィーが、女性使用人達に椿油を配り終えているようで、すれ違うたび皆に口々にお礼を言われた。
台所の中では、料理長のセナが部下に指示を出しながら料理を作っていた。
セナはアラフォーの女性だが、3人の部下達は若い男性だ。ユリアの姿を見た途端3人とも目がユリアに釘付けになる。
気持ちはわかるが、ユリアはまだ11歳だからね。手ェ出したら、犯罪だからね!
「おんや、お嬢様、お帰りなさい。お元気そうじゃないですか。旦那様は、お嬢様達が萎れてるんじゃ、と心配しておられましたけど、変わらずゴ・・オロギの羽のように艶のあるおぐしで。」
セナが、蓮っ葉な口調で私に言う。
今、なんか違う昆虫の名前言おうとしなかった?
「夕ご飯はお嬢様の大好きなトラウトのシチューです。つまみ食いは禁止ですよ。ほら、帰った、帰った。」
「わーい、お魚。って、すぐ追い出そうとしないでよ。つまみ食いなんかしないから。」
トラウト(鱒)は、海のない王都でも食べられる、数少ない新鮮なお魚だ。
だけど、魚は肉に比べると、より貧乏人の食べ物とみなされている。私は好物だから嬉しいが、ごちそうを期待していたユリアががっかりしないと良いが。
それに、追い出されるわけにはいかないのだ。
水飴作りは6時間から8時間はかかる。
今、午後1時なので、早く始めないと今日中に作り終わらない。
今日中に水飴を作り終えて、明日はそれでお菓子を作るんだ。
「迷惑かけないから、隅の方で作業をさせて。」
「作業って何をされるんですか?」
「ふっふっふ。蜂蜜モドキを作るのよ。米と麦から。」
「アカデミーっつう所では、錬金術を教えてるんですか?」
「科学よ、科学。お米の澱粉を糖化させるの。」
「そんな夢みたいなほら話を学校が教えてるんですか?」
「学校で教わったわけじゃないから。」
豆乳を作った時「いったい、どこで作り方を知ったんですか?」と、いろんな人に聞かれた。
なので、私は水飴を作るうえでの口実をちゃんと用意しておいた。
「もともとはね、王宮図書館に通っていた頃、発酵について紹介している本にちょっと紹介してあったの。そういう言い伝えがあるくらいの真偽不明な情報って書いてあったんだけどね。でもアカデミーの図書室で読んだ、伝染病の歴史の本に、都市封鎖された街で、病人が『蜂蜜が食べたい』って言って、でも手に入らなくてそれで米と麦芽で蜂蜜モドキを作ったという話がのっていたのよ。だから、本当にできるんだ、と思ってさっそく試してみようと思ったの。」
「なんか、胡散臭そうな話ですね。まあ、試すのは自由ですけど、でも今厨房にお米なんかありませんよ。」
「大丈夫。今ユリアが持ってるから。ユリアに用意してもらったから。」
「はあ、すみませんね。ユリア様とやら。お嬢様の妄想に付き合わせてしまって。」
「いえ、そんな・・。」
とユリアはワタワタしていた。
ふっふっふ。6時間後に驚くと良い。
私は使っていない鍋の中にもち米を入れた。
量はちょうど1キロだ。
本当は1時間くらいゆっくり水に浸けておきたいがが、時間がもったいない。10分くらい浸けとくので良しとしよう。
私は、3倍粥くらいになる量の水を入れた。
それから、約2カップほどの芽の出た大麦をすり鉢に入れる。ミキサーがあれば簡単に粉砕できるのだけど無いのだから仕方がない。私は、ユリアにすり鉢をおさえておいてもらって、すり粉木で乾燥した大麦をゴリゴリと粉にした。
だんだん気分が上がってきて、鼻歌を歌い出したところに、私の荷物の整理をしていてくれたはずのユーディットがやってきた。しかもなぜかお母様が一緒だ。
それぞれの作業をしていた料理人達やキッチンメイド達が、作業の手を止めて頭を下げる。
諸君。私の時と反応が違いすぎないか⁉︎
「ただいま帰りました、お母様。珍しいですね。お台所に来るなんて。」
「レベッカ、まあ、あなたゾフィーの言った通りね。肌も髪もぷるぷるになって。」
肌はともかく、髪がぷるぷるってどういう意味なんだろう?私はスライムか?
「それに、あなたがユーディットの言っていたお友達なのね。」
「ユリアーナ・レーリヒと申します。エーレンフロイト侯爵夫人にご挨拶申し上げます。お目にかかれて光栄です!」
ユリアが緊張でうわずった声で頭を下げた。
「まあ、なんて見事な髪色でしょう。あなた、ゾフィーの言っていた花のオイル以外に、何か特別な品を使っているの?」
娘の友達が初めて家に遊びに来たというのに、他に聞く事はないのか?と思うが、お母様の目はユリアの肌と髪に釘付けだ。
ユリアが普段使いしているのが、量産品の保湿クリームだけだと知ると、お母様はすごい勢いで、大麦をすっている私の方へ向き直った。
「それで、その椿油とやらは、わたくしの分は?」
「・・・。」
「だから奥様の分も用意するようにと言いましたのに・・。」
私の側に、すすすっと寄って来たユーディットが耳元で囁く。
そんな事を言われても・・・。
水飴作りは、始まって5分で最大の危機を迎えた。
何か上手いこと言ってこの場を切り抜けないと、台所どころか家から叩き出されかねない。
私は脳細胞をフル回転させたが、何も良い考えが浮かばず、10秒待たずにエンストをした。
そんな私の側でユリアが
「もちろん、ご用意しています!」
と言って、もち米と麦芽を入れていたバスケットを開けた。
その中から出てきたのは、私がユリアにあげた椿油を入れたユリアの私物の小瓶。
皆に配った小瓶は陶器だが、その瓶はガラス製で大きさも一回り大きい。
その自分用の椿油を、ユリアはお母様に差し出したのだ。
「お目にかかった時に、お渡しするつもりでおりました。どうぞ。奥様。」
「まあ、ありがとう。」
と言って、お母様は遠慮する素振りもなく、ガラス瓶を受け取った。
「後から一緒に、お茶を飲みましょうね。セナ、邪魔をしてごめんなさい。ユリアーナさんの為においしいお茶菓子を用意してちょうだいね。」
そう言って、お母様は台所を出て行った。
久しぶりに戻って来た娘に「お帰りなさい。」とか「いったい、何をしているの?」の一言もないのですか⁉︎
「・・すまないね、ユリア。でも、助かったよ。」
「あんなに喜んで頂けて、私とっても嬉しいです。」
・・ほんと、いろいろと申し訳ない。
寄宿舎に戻ったらまた椿の実を集めて、搾ってあげようと思った。