林檎の間(4)(ミュリエラ視点)
そして、裁判の日になりました。
今日までの間、弁護士さんとは何回も話をして、こちら側の主張を書類にまとめました。弁護士さんの名前はヘルミーネ・シュヴァルと言って、弁護団のリーダーの息子さんのお嫁さんだそうです。弁護団は他にも何人か人がいるようですが、私が直接会って話をしているのはヘルミーネさんだけです。私を不安な気持ちにさせないように、男性は私に会いに来られないようです。
ヘルミーネさんのお義父さんもですが夫も弁護団のメンバーで、家族みんな弁護士なんてすごいですね。と言ったら
「亡命しやすいように身内とフットワークが軽い者が選ばれまして・・・。」
とおっしゃいました。
どうやら、引き渡し請求に失敗したら亡命する予定だったそうです。
はっきり言葉にはされませんでしたが、おそらくアズールブラウラントに戻ったら命が無いのでしょう。
弁護士というと華やかでお金持ちで、というイメージがありましたが、命がけの仕事なのだなあ。と思いました。
昨日
「明日は頑張って来ますね!」
と力強く言って、帰って行かれましたが、その背中は戦士の背中でした。
裁判に私は出廷しません。
だけどお母様とお兄様は傍聴しに行かれました。
なので当日は、エフィミア姉様がずっと病室にいてくれました。
『林檎の間』の窓からは大きな林檎の木が見えて、今の季節白い花を咲かせています。その根本には青いネモフィラの花が咲いていて、青と白のコントラストがとても綺麗です。
「桜桃の間の向かいには桜桃の木があって、その下にはチューリップがたくさん咲いているのよ。」
とエフィミア姉様が教えてくれました。
「散歩がてら見に行ってみない?」
とエフィミア姉様が言いました。
実は私は事件以来病院の外に一度も出ていないのです。散歩するのも三階の廊下だけで、外の空気は十日近く吸っていません。
裁判が終われば病院は退院します。歩く訓練も兼ねて、少し外に出た方が良いかもしれません。
私が
「行く。」
と言うと
「じゃあ、お医者様の許可をとってくるわね。」
とエフィミア姉様が言って、廊下へ出て行きました。
結論として。
許可は出たのですが、お医者様に看護婦さんが四人。更に『桜桃の間』のドアの前で警備をしていたシュテルンベルク家の騎士様の内の一人(女性)が、一緒に行く事になりました。
一瞬、私の自死をそんなにも警戒しているのだろうかと思ったのですが、エフィミア姉様曰く、そうではなくて不審者が私に近づくのを警戒しているのだそうです。
「新聞記者っぽい人が病院内をうろうろしているんですって。」
と姉様は言いました。
でも、一番警戒しているのは今裁判を受けている貴族の関係者なのでは?と思いました。
入院してまだ十日余りですが、足がすっかり弱くなってしまっているようです。螺旋階段を降りているだけで足ががくがくし目が回りました。
だけど、外に出ると空が青くて風が気持ち良くて、爽やかな気持ちになりました。
桜桃の花は散りかけでしたが、チューリップの花は満開でした。
100本近く咲いているのではないでしょうか。夢のように美しい花畑です。その夢のように美しい花畑の側に女性が一人立っていました。
女性はじっと、病院の窓を見つめていました。角度的に三階くらいの窓です。
「わあ、綺麗な女の人。」
とエフィミア姉様は二度見していましたが、看護婦さん達は警戒するように私の周囲に人垣を作りました。
そして私は。
息が止まるような思いでした。
彫刻のように端正な顔に生命力にあふれた紫の瞳を見た時、いろいろな記憶が脳内にフラッシュバックしました。
空に走る稲妻、顔に当たる大粒の雨、身を切るように冷たい風、「死ね!」という叫び声、「責任は私がとります!」という毅然とした声。私は駆け出してしまっていました。
私は女性の腕をとりました。
女性がびっくりした表情で振り返ります。
私は叫びました。
「運河に飛び込んで私を助けてくれた方ではないですか⁉︎」
その横顔を。アメジストのような紫の瞳を思い出したのです!この人が私を抱き抱えて走っていた人だと。
「ええ!」
とお医者様が叫びました。その目にすごい衝撃が走っています。騎士様は幽霊でも見たかのように蒼ざめています。
どうしたのだろう?と思いました。
女性はしばらく無言でしたが、すっと目を細めて微笑みました。
「違いますよ。」
と言って女性は尋ねてきました。
「ミュリエラ・シュリーマン嬢ですか?」
女性は耳に心地よい低い声をしていました。
「私の名前は、ジークルーネ・フォン・ヒルデブラントと言います。ジークレヒト・フォン・ヒルデブラントの妹です。」
「・・・え?」
「驚かせてしまいましたね。私と兄は昔から双子のようにそっくりだと言われていたんです。」
そう言われて、勘違いしていた事に気がつきました。
運河から助けてくれた方ではなく、寄宿舎の中で私を抱えて走り助け出してくださった方の記憶だったのです。
「いきなり触ったりして失礼しました。あの・・すみません!」
この人は私の事をどう思っているのだろう?そう思うと体が震えました。
もしもエッカルトお兄様が誰かをかばって亡くなったなら、私はきっとその相手に対して穏やかな気持ちではいられないでしょう。
この人に
「おまえのせいだ。おまえがお兄様を殺したのだ!」
と責められても、たとえ頬をぶたれたとしても仕方ありません。
それでも・・・。
私はうつむかない、卑屈になんかならない、謝らない。と心に決めたのです。だから代わりに、御礼の言葉を言いました。
「ありがとうございました。私がこうやって生きているのは、ヒルデブラント様のおかげです。救って頂いたこの命を大切に、大切にして生きていこうと思っています。どれほど感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。」
ジークルーネ様の手がすっと伸びました。
殴られる!
と一瞬、覚悟しましたがジークルーネ様は私の頭をぽんぽんと優しく叩いてくれました。
「兄が助けた相手があなたのような人で良かった。」
その言葉を聞いて涙があふれて来ました。私にも兄がいるから兄を失ったらどんなに辛いかがわかります。
なのにこの人は私に優しい言葉をかけてくれるのです。
なんて優しい人なのだろう。なんて強い人なのだろう。と思いました。




