手紙(2)
きっとこの、拙い文章を読んでくださっている方々は、過去世では婚約者に相手にされず、日本にいた頃は彼氏いない歴イコール年齢だった私の事を、1ヶ月間天日に干された鯵くらいカラッカラに干からびた干物女だと思っていると思う。
だけど、こんな私にもあったんです!甘酸っぱい初恋の経験が。
いや、どっちかというとしょっぱい経験なんですけど。
あれは過去世の、死ぬ何ヶ月か前の事。
病気になって以来引きこもりになっていた私にも、参加しなくてはならない公式行事という物が何個かあった。
その最たるものが、婚約者であるルートヴィッヒ王子の立太子式だ。
一緒にひな壇に並ぶというのだけは何とか回避したが、祝賀パーティーを欠席するというわけにはいかない。
仕方なく父と共に王宮へ行った私だが、待っていたのは嘲笑と冷笑の嵐だった。
耐えきれずに私は庭へ行き、木の影に隠れて声を殺して泣いていた。
そんな私の耳にも更に、私の容姿を嘲笑う声が声が聞こえてきた。女の子ばかり4人くらいのグループだったと思う。
女の子達が楽しそうであればあるほど、なおさら私は惨めだった。
そこに
「人の顔をどうこう言える立場か。鏡を見てみろ。ブス女共!」
と、怒声が私の耳に聞こえてきた。
「・・なっ!わ、わたくし達の顔が、あの醜女と同じとでも言うのですか⁉︎」
「同じわけがないだろうが。はるかに醜いと言っているのだ。たとえ肌は荒れていても、レベッカ姫の頭蓋骨は昔と変わらず美しい。それに比べて貴様らは、骨の髄から腐っていて腐臭で鼻が曲がりそうだ。臭いから、それ以上その口を開くな。」
「・・ま、ま、まあ。よくもそんな無礼な物言いを。」
「そうです。あんまりですわ。ひどいですわ。」
「ご自分こそ。あのように不道徳な妹君を持たれる身で。」
「私の兄妹が何者であっても、私の価値は変わらない。私を形作るのは、他人の評価ではなく己自身だからだ。1秒ごとに、己の価値を下げているお前達のような卑しい者共と、小侯爵たるこの私を同列に語るな!それよりも、この私や、侯爵令嬢レベッカ姫を公然と侮辱してただですむと思っているのか!」
その言葉に少女達は震え上がって、走って逃げて行った。
一人残ったジークレヒトは、音高く舌打ちした後
「愚民共が!」
と吐き捨てた。
その時、どれだけ嬉しかったか、どれだけ慰められたか、その思いを言葉にする事は絶対にできない。
私みたいな人間の為に本気で怒ってくれる人がいる。
私に好意を持ってくれているわけではなくて、ただ陰口を叩いていた人間に義憤を感じただけなのだろうけど、それでもとても嬉しかった。褒められたのが頭蓋骨だけでも、それでも嬉しかった。
私が盗み聞きをしていた事に、あの人は気がついていない。だからこそ、あの言葉は真実なのだ。
木の影から出ていってお礼を言いたい気持ちだった。でもその勇気がなかった。
ただ、あの人の美しい横顔を隠れて見ている事しかできなかった。あの頃は、白銀比なんて言葉は知らなかった。ただただ、美しい人だと、そう感じただけだった。
その後、彼と会う事はなかった。ただ、その日の思い出だけが、キラキラと輝いていつまでも心に残っていただけだった。
そして、今も残っている。あれが、私の初恋だった。
ジークルーネはあの日の彼にそっくりだ。顔の造作だけでなく、身に纏った雰囲気、どこか世の中を斜め向きに見ている態度とかが似ているのだ。
彼の事を思い出すたび胸が痛くなる。
彼は私の、初恋の人であると同時に、ルートヴィッヒ王子の友人だった。
そう、彼は。私が殺された時王宮内にいた、殺人の容疑者の一人なのだ。
あの日、王宮内には王子の友達が四人いた。
王子の従兄弟のフィリックスとエリザベート。
シュテルンベルク家のコンラート。
そして、ヒルデブラント家のジークレヒト。
この四人だ。
私を殺したのは、ジークレヒトなのかもしれない。
そうだったとしても、彼なら許せると思った。
それくらい私は彼に感謝していた。
私の為に怒ってくれたあの日は、過去であると同時に、まだ起きていない未来の事だ。
だからこそ、たとえどこかで彼と出会ったとしても感謝の言葉を伝える事はできない。そうであるからこそ、あの日の思い出は輝いていた。
「んー、どうかしたの?」
私が黙りこくってしまったからだろう。ジークルーネが、私の顔を覗きこんできた。
「ジークルーネ様。」
「だから、ジークでいいって。」
「ジーク様。私、ジーク様が死んじゃったりしたら悲しいです。どうか、それを忘れないでいてください。」
「昼ごはんに幻覚作用のあるキノコでも食べたの?」
「食べてません!私だけじゃなくて、ジーク様のお兄様やコンラートお兄様だって、絶対悲しむんですからね!」
「ははははは。ありがとう。でも私は、そんな立派な人間じゃないよ。」
「そんな事ありません!」
気の利いた言葉が出てこなかった。
本当はもっと詩的で、格調高い言葉で思いを伝えたいのに。
そのワンフレーズだけで、自死を思いとどまるような、そんなかっこいい言葉を言いたいのに。
合計30年以上生きているのに自分って本当に無知だと思う。
それでも、いつかこの先の未来で、この人が私の今日の言葉を少しでも気にかけてくれたら。
そう、願わずにはいられなかった。
寄宿舎の部屋に戻ると
「お手紙が届いていますよ。お嬢様。」
と、ユーディットに言われた。
「誰から?」
「お父上の侯爵様からです。」
父親からの手紙なので検閲をすり抜けたらしい。
アカデミーに来て、お父様から手紙が届くのが初めてなので、嬉しいよりも少しギクっとした。
お父様やお母様の身に何かあったんじゃないよね。
どうでも良いが、この世界の手紙は巻物型である。
クルクルと巻いた一枚の紙を、紐で結んだり、蝋で留めて封をしたりするのだ。
つまり、私が文子だった頃、内職のアルバイトで頻繁に作っていた『封筒』が存在しない。
紙を折りたたんで封筒に納めた方が、収納する上で場所もとらないし絶対良いと思うんだけどな。
私は封蝋を剥がして巻物を広げた。
別に何も事件は起きていなかった。
お父様もお母様も元気なようだ。
私の体調を気遣う言葉が書かれていて、最後に
『良いお友達ができたと聞きました。今度、家に連れて帰っておいで。』
と書いてあった。
よっしゃー!と心の中でガッツポーズする。
実は近いうちに家に帰りたいと思っていたし、その時にはユリアを連れて帰りたいと思っていたのだ。
お父様の方から、それを言ってくれるなんて!
私は、くっくっく、と笑いながら、机の上を眺めた。
机の上の箱の中に、私の『宝物』が干してある。
私の未来を拓き、お金に変わるかもしれない宝物だ。
可愛い、可愛い、乾燥麦芽ちゃん達。
私はこれで『水飴』を、自作しようと計画しているのである。