五日目の来訪者(5)
ミュリエラ嬢は、恥ずかしい事なんかしていない。された方なのだ。道だってぼーっと歩いていたわけではなく、妹を探していた。
それに服だって、清潔感のある上品で可愛い服を着ていた。そもそもミュリエラ嬢がアル◯ラーン戦記に出てくる女神官のコスプレをして歩いていたって、レイプ魔にレイプされて良い理由にはならない。犯罪は常に犯罪者の方が悪いのだ。
このおっさんは、自分の店に強盗が入っても、捕まえた強盗が「あんな美しい高価な品を店の棚に飾って置いたおまえが悪いのだ。欲しくなるのが当然だろうが!」と言われたら「そうだね。私が悪かった。君は何も悪くない」と言うのだろうか?
「へロイーゼ。これはあなたの責任でもあるのよ。」
と今度は女性の声がした。
「あなたがしっかりしていないから、こんなだらしない娘が育つの。男は少しくらい遊んでいる方が箔がつくけれど、女は汚れているなんて噂が立つだけで価値を失うのですからね。それをきちんと教え込まなかったあなたが悪いのよ。へロイーゼ、わかっているの?こんな事になってミュリエラは、家の為に結婚をして旦那様と家に尽くすという価値を失ったのよ!」
女同士でもこのセリフかいっ!
この女性が何者なのかは正確にはわからないけれど、この女の性格が腐りきっている事はよくわかる。
ミュリエラとジークレヒトは被害者だ!犯罪者に罰を。正義の裁きを!
と司法省の前で叫んでいる赤の他人が山ほどいるのに。
アズールブラウラントの王女様も、犯人が悪い、犯人を許さん、犯人を引き渡せ!と言っているのに、実の父親が犯人は悪くない。犯人をその気にさせたおまえが悪い。と言ってるなんて、そんな事ってある?
悔しくて腹が立って、ウサギのように足ダンをしたいのをじっと耐えている私のすぐ側にいたエリーゼが、ノックもせずに『林檎の間』のドアを開けた。
そして、それとほぼ同時に手に持っていた豪華な扇を放り投げた。扇は弧を描いて飛んでいき、初老のおっさんの砂漠化した頭頂部にクリーンヒット。
カコーン!と感動的なほど良い音がした。
・・これはたぶん、すごく痛い。
おっさんが憤怒の表情で振り返った。
エリーゼは艶冶な微笑みを浮かべて
「あらあら。」
と言った。
「痛かったかしら?でもあなたが悪いのよ。旅先で浮かれてぼーっと立っていたのですもの。あなたがしっかりさえしていたら避けられたでしょう。隙を見せた自分に全責任があるの。私は何も悪くないわ。だからあなたが謝って。私のお気に入りの高価な扇にあなたの汚い頭皮の脂がついた事を。年をとってる汚い男って本当に最悪ね。美しい男性は時として罪だけど、ブ男は常に犯罪だわ。」
「貴様ーーーっ!」
おっさんが拳を振り上げた。
ちょっと待って!
怒るのはわかる。
痛いほどわかる!
でも、グーはダメ!下手したら死んじゃう!
今『林檎の間』の中にいるのは、仲間内ではエリーゼ様だけ。私とミレイが二人ドアの側に横並びに立って入り口を塞いでいる。私の護衛やエリーゼ様の護衛は私とミレイが邪魔で、エリーゼ様の側には寄れない。
これはやばい、やばい!やばいっ!
私は室内に押し入り、おっさんの足を踏んだ。それと同時に左手でおっさんのネクタイを掴む。そして、ベッドの横のサイドテーブルの上に置いてあった羽ペンを右手で掴み、おっさんの眼球1センチの場所に構えた。
おっさん、頼む!動くな!
私も緊張で腕が震えている。あんたが下手に動いたら絶対目の玉にグサッといってしまう。
私の後ろから、嬉しそうなエリーゼの声が聞こえて来た。
「まあ、さすがだわ、ベッキー。隙が無いわねえ。本当に見事だわ。うふふ、ベッキー。私が許します。殺しなさい。大丈夫。悪いのは全て旅先で調子に乗って隙を見せたその男だから。」
「お・・おまえ、私を誰だと・・・?」
「誰かですって?私より遥かに身分の低い世の有象無象でしょう?」
エリーゼの毒舌は容赦がない。
というか、殺すのは嫌ですよ!
困ったな。制圧しといて何だが、ここからどうしよう?
おっさんが反省して謝罪してくれたら丸く収まるんだけど、おっさん謝ってくれそうにない。本当にどうしよう?
「小娘!旦那様を離しなさい。」
「殺してください、そんな奴!」
おっさんの連れのおばさんとエッカルトの声が被った。
「国王陛下の姪であられるエリザベート様を殴ろうとしたんです。殺されて当然です。そんな奴!」
おっさんの顔は真っ赤なままだが、おばさんは一瞬で真っ青になった。
「いつか、こうなると思っていました。すぐにカッとなって人を殴る男だったんです。今までは自分より立場の低い人間ばかり殴って来たから皆泣き寝入りしていたけれど、いつか驕り高ぶって殴ってはいけない人を殴ってしまう日が来るのでは、と思っていました。殺してください。これから先の未来でそいつに殴られる人間を守る為に!」
「エッカルト、貴様ー!」
おっさんが、歯ぎしりをする。最早おっさんが謝っても丸く収まりそうにない。
「レベッカ様。」
と、私の背後から声がした。シュテルンベルク伯爵の声だ。この人に『様』付けで呼ばれるの初めてかもしれない。
「侯爵令嬢であり、第二王子殿下の婚約者であられるレベッカ様がお手を汚される必要はありません。エリザベート公女殿下に手をあげようとしたこの慮外者は私が斬り殺します。」
声がマジだ。エリザベート様が「行け」と言ったらガチで突進して来そう。
「あなたは死にたいのですか?」
と私はおっさんに質問した。
「そうでないなら、その拳を下ろし両手を頭の後ろで組んでください。そうすれば私もあなたから手を離します。」
おっさんは
「んぐ」と「んぶ」を足したような変な音を喉から出して、両手を頭の後ろにやった。
「そのまま両膝をつきなさい。逆らえば私の護衛騎士があなたを斬り殺します。」
「こんな、こんな事が許されると思っているのか!王太女殿下はアズールブラウラント人への侮辱を決してお許しになられない!」
「許されるか許されないかではなく、今問題になっているのはできるか否かです。膝をつきなさい。」
文子だった頃、映画で見るテロリストに拉致られた人は大抵こういうポーズをとらされていたので、そういうポーズをとらせてみた。
おっさんは一応死にたくなかったのだろう。両膝をついた。
「まあ、ベッキーは優しいわねえ。殺さないでいてあげるだなんて。」
と言ってエリーゼがほほほと笑う。
「ミュリエラ嬢の前で殺す気はありません。こんな男でも父親です。」
「ベッキー。公正で高邁な司法大臣を父親に持つあなたはわからないかも知れないけれど、世の中には死んでくれた方がマシな親というのもたくさんいるのよ。」
エリーゼの発言は無邪気に残酷だった。そしてエリーゼの横でめっちゃミレイが首を縦に振っている。
「だとしても、アズールブラウラント人の事はアズールブラウラント人に任せるべきです。ヒンガリーラント人の犯罪者がヒンガリーラントで裁かれるべきなのと同じように。」
「それもそうね。ブリュンヒルデ王太女がこの事態をどういう風に判断するか確認してみたくはあるわね。彼女が本物の人権家なのか、それともただ単に言いがかりをつけて戦争がしてみたいだけのでしゃばり女なのか?どう反応なさるか楽しみね。」
エリーゼは床に落ちていた扇を拾い、念入りにハンカチで拭いた。そして、そのハンカチを病室の中にあったゴミ箱の中に投げ捨てた。
「シュテルンベルク伯爵。この痴れ者をアズールブラウラントに送り返す為に、まずアズールブラウラントの大使館に放り込んでやろうと思うの。シュテルンベルク家の騎士を貸して頂けるかしら。」
「仰せのままに。」
その声と同時に複数の屈強な騎士が数人『林檎の間』に入って来た。
そして手早くおっさんに拘束具をつけ、「来い!」と言って乱暴に引っ張った。
「おまえもだ!」
と言って、一緒にいたおばさんも騎士達は連行した。
「わたくしが何をしたというの!」
「レベッカ様を、小娘呼ばわりしただろうが!」
そして二人は騎士達に引きずられて行った。
レベッカの反射神経は一級品です。
おっさんは、秒で制圧されてしまいました。
ちなみにエリーゼ様は殴られる事を覚悟して暴言を吐きました。その方がおっさんの罪を重くできるからです。
背後にシュテルンベルク伯爵と騎士団がいるので、殺されるまでボコられはしないだろうとは思っていました。
レベッカの反射神経はエリーゼ様にもちょっと意外だったようです。




