コーヒーとほうじ茶
支店長さんは、ワゴンをじーっと見ながら
「ものすごく良い香りがすると、お客様が言っておられるのですが!」
と言った。
おっとお!匂いが、他の個室やら表の店までもれていたか。
まあ、異臭騒動って訳ではないようだから、許していただきたい。
何がどうなって、こういう事になったのか、ユリアが支店長に説明する。
支店長は、がばあっと直角に頭を下げた。
「他のお客様もこの飲み物を気にしておられます。どうかっ。わたくし共にこのコーヒーの淹れ方をお教えください!」
「それは全然いいんですけど、これ飲んでからでもいいですか?」
「もちろんです!」
というわけで、ひとまずコーヒーブレイク。
私はポットの中のコーヒーを人数分カップにつぎ分けた。
私にユリア。ユーディットにシュトラウス先生。イザークさんとリサさん。
そして、この部屋に最初からいてくれた従業員さんに、支店長まで部屋について来た。
毒味の意味もこめて、私が一番最初にカップに口をつけた。カップの中には砂糖と出来立ての豆乳もインしてある。
うん。おいしい。
さっき飲んだ物とは比べ物にもならない。
先刻飲んだコーヒーは、ただただ酸っぱかったが、このコーヒーは先刻はまるで感じなかった、ほろ苦さやコクを感じる。
そこに豆乳のまろやかさが加わって、日本のコンビニコーヒーには遠く及ばないが、封を開けたばかりのインスタントコーヒーくらいのおいしさは感じた。
これならば、腹は壊すまい。
「おいしい!」
「先程とは、まるで味が違うわ。」
「僕もコーヒーショップにはよく行きますが、こんなにおいしいコーヒーは初めてです。」
「・・これ、本当にコーヒーですか。」
と皆さん、口々に驚きの声。みんな、凄く良い笑顔だった。
おいしい物って人を笑顔にするよね。
私はカップの中のコーヒーを、ぐびーっと飲み干した。
ポットの中には、もう少しコーヒーが残っているけれど、これだけでは他のお客様の分は足りないだろう。
「じゃあ、ユリア。もう一回、台所へ行こう。」
その後。
結果的に、私は何度も何度もコーヒーを淹れ続けた。
他のお客様方から、次々と
「いい香りだ。私も飲みたい。」
と、リクエストが入ったからだ。
良い香りは、外の通りにまで流れていったらしく、その香りにつられて、一見の客まで店内に入って来て従業員さんは大忙し。
結果、コーヒー豆が尽きた頃には、太陽もすっかり西に傾き、寄宿舎の門限も迫っていた。
「本当に申し訳ございません!そして、ありがとうございました!!」
と、支店長さんは頭の下げっぱなしだ。客である私に、えんえんとコーヒー作りをさせた事を恐縮しているらしい。
私は全然気にしてないんだけど。
おいしい物が飲めたし、お礼にとほうじ茶をたくさん無料でもらえて、逆にこっちが恐縮なくらいだ。
恐縮といえば、イザークさんにクラリッサ。重い本をたくさん持って来てくれたというのに、結局本をゆっくり選ぶ間がなかった。
買ったのは『森の王国』の外伝を2冊だけ。手間と時間をかけさせておいて、はたして私はそれに見合う収益を、あげさせてあげられたのだろうか?・・・うーむ。
門限が迫っていた為、ろくに再会の約束もできず、私はクラリッサ達と別れた。
帰りの馬車の中でシュトラウス先生が
「満足されましたか?」
と聞いてきた。
正直、私の理想のお出かけとはだいぶ違ったと思う。
もっと市井の人々の暮らしや、街の様々な側面を見て見たかったのに。ただ、ユリアの家に行って、コーヒーを淹れて、豆乳を作って終わってしまった。
でも。
「はい。とても、楽しかったです。」
と、私は答えた。嘘ではなかった。同じ様な日常の中からはみ出した、非日常な経験に胸が弾んだ。
今日踏み出した一歩は小さな物なのかもしれないが、千里の道も一歩からなのだ。
むしろ、ただ実家に帰っただけで、台所の方にまでうろうろされたユリアの方が、どんな気持ちなのかと思ったが
「私も本当に楽しかったです。」
と瞳を潤ませて言ってくれた。いや、本当に君は天使か!
とりあえず寄宿舎へ戻って来た私は、まず真っ先にほうじ茶を飲む事にした。
とってのついたティーカップに入れて飲むのは、なんだか妙な感じがするが、香りと味は間違いなく私の知っているほうじ茶だった。コーヒーのように、酸っぱくはなかった。
ああ、落ち着く。・・・落ち着き過ぎて涙が出そう。
「あの・・・このお茶は、お口に合いましたか?」
心配そうに、ユリアが質問してきた。
「ええ、とてもおいしいわ。私、紅茶よりもこのお茶の方が好きかも。ユーディット。今度から、夕食後のお茶はこのお茶を淹れてくれるかしら。」
「かしこまりました。」
と、ユーディットが答えてくれた。
幸せだなあ。
と、お茶を飲みながら私はほっこりしていた。
おいしい物、懐かしい物は心地良い時間と幸せをくれた。
それと同時に、コーヒーと豆乳は私に自信もくれた。
地球でおいしかった物は、こちらの世界でもおいしいのだ。
そして、それを私はこの手で作り出す事ができる。
作り出された物は、更なる幸福とお金を生み出すだろう。
だけど、コーヒーと豆乳をおいしく作れても、私がカフェのオーナーにでもならなければ、それでお金を稼ぐ事はできない。
私にも作れて、他の人を幸せにできてお金を稼げる物は何か?
私には、一つの考えがあった。