地下室の噂(1)(ルートヴィッヒ視点)
夕食を終えた僕とフィリックスは、エーレンフロイト邸へと向かった。
クラウスは一緒には来なかった。急に高い熱を出したからだ。懲罰室で冷気に晒されたせいで風邪をひいたらしい。それとたぶん、心理的なショックもあるのだろう。
会って話をしたい人間は二人。ヨーゼフとエリザベートだ。
ヨーゼフがエーレンフロイト家の騎士達と共に自宅へ戻ったという事はフィリックスから聞いていた。
エリザベートが、エーレンフロイト邸にいるというのを調べてくれたのはグラウハーゼだ。まだ国立医大にいるかなあ、と様子を見に行ってただならぬ殺気を放ちながら練り歩く、シュテルンベルク騎士団とエンカウントしたらしい。
「怖かった〜。」
と左手にはめた白ウサギのパペット人形を震わせながらそう言った。
エーレンフロイト邸は、たくさんの客でひしめいていた。司法省の部下とその配偶者を呼んで食事会をしていた、とは聞いていたが、絶対にそのくくりとは別の人間達もわんさかいると思われる。
それでも、一時間前に先触れを出していた事もあり、すんなりと応接室に案内された。
主人役で現れたのはヨーゼフだった。
「どうしたんですかー?二人が一緒って珍しい。」
こいつ以外の人間が言ったら嫌味に聞こえるだろうな、と思う。
ヨーゼフは、とにかく天真爛漫とした、脳内が常に『春』な人間なのだ。
「エリーゼから詳しい話が聞きたくてな。もしくはベッキーに。」
と僕が言うとフィルがわかりやすくため息をつく。
だがヨーゼフは、「うーん」と言って眉根を寄せた。
「二人共、今ヒルデブラント侯爵とジークルーネ令嬢に会ってるんですよね。だから、もーちょっと後でいいですか?」
「「ジークルーネ!!」」
僕とフィルの声がそろった。
「・・懐かしい名だな。」
「彼女、王都にいたのか!」
僕は手にしていたティーカップを落としそうなほど驚いた。
ジークルーネ・フォン・ヒルデブラントはジークレヒトの一つ年下の妹だ。ジークレヒトの妹だけあって顔だけは美しく『立てば芍薬、座れば牡丹、喋らなければ百合の花』と言われるほど辛辣な女だった。
生まれた時からコンラートと婚約していたが、仲があまり良くなかったらしく、二人が公の席に一緒に現れた事は一度も無い。
挙句、五年ほど前に、平民の使用人と駆け落ちしたのである。
てっきりどこか外国で優雅に暮らしているのだろうと思っていたが、このタイミングでエーレンフロイト邸にいるという事は王都で暮らしていたのか⁉︎
「王都にいたみたいですねー。」
とヨーゼフはあっけらかんと言った。
「その・・間男も一緒なのか?」
「間男って?」
「・・間男というのは、配偶者や婚約者のいる女性を誘惑する男、もしくは誘惑する行為の事だ。」
「それくらいは知ってますよ。やだなあ、子供扱いしないでください。」
「おまえが、間男の定義を聞いてきたんだろうが!」
「別に定義を聞いたわけではなくて、ジークルーネ嬢には間男なんかいませんよ。今でも彼女コンラート一筋です。ちょっと気色悪いくらい。」
ヨーゼフがさりげなく、ひどい事を言う。
「え?でも・・。」
「ジークルーネ嬢が男と駆け落ちした、って嘘を広めたのはジークルーネ嬢と仲の悪い一族の人って聞いています。本当はその一族の人とケンカして家出したらしいんです。なんか命を狙われるレベルでケンカしたらしくて。一族の人がジークルーネ嬢が王都に戻って来られないようそーゆう噂を流したみたいです。」
「でも、王都にいたんだよな?」
「さすがに五年も経ったので。最初の頃は、ヴァイスネーヴェルラントに住む叔母さんの所に行ったり、ブルーダーシュタットの知り合いの所に行ったりしてたみたいですよ。」
「ブルーダーシュタットの知り合い?」
「侯爵の乳兄弟の医師がブルーダーシュタットに住んでいるのだそうです。ちょうど『漆黒のサソリ団事件』があった頃とかは、ブルーダーシュタットにいたんですって。」
「ベッキーとエリーゼがブルーダーシュタットへ行った時か⁉︎」
四年前の夏、ベッキーとエリーゼがブルーダーシュタットに旅行に行った。滞在したのはユリアーナ・レーリヒの家だが、そこにジークレヒトが合流したという話を聞いて、イラァッ!としたものである。どうして?と思ったが、ジークルーネもいたのだとしたら理解できる。
「後はー、まー、うちに転がり込んでいた事も。」
「ジークルーネ嬢がか?」
「はい。」
とヨーゼフはうなずいた。
「いつ?」
「姉様が連続殺人鬼に、シュテルンベルク家で殺されそうになった頃とかですね。・・光輝会の事件があった頃くらいまで。」
その時期には、ジークレヒトがエーレンフロイト邸に長期滞在していた。
それでだったのか!と今更ながら腑に落ちた。
「ずっとベッキーは親しくしてたんだな。」
「ええ、まあ。でも、性格がかなり奇抜な人なので、親しいのか?と言われたら悩む所なのですけれど。」
「コンラートを裏切ってたってわけではないのなら、懐かしいし会いたいな。会って話がしてみたい。」
とフィルが言ったが、
「無理です」
とヨーゼフが即答した。
「ショックで倒れてベッドから起き上がれないそうです。めまいと高熱で。」
「ショックって、ジークレヒトの事で。」
「それが半分以上でしょうけれど、コンラートの事とか、あと父親の侯爵が変なモノを持って来たとか。」
「変なモノ?」
「それが何かはとても言えない。と姉様に言われました。」
僕とフィルは顔を見合わせた。侯爵はいったい何を持って来たのであろうか?
「侯爵には会える?」
「訪問して来たお客様の中にも何人かそれを聞いて来た人がいるのですけれど、エリーゼ様が全部断られました。だから、エリーゼ様に聞いてみないと何とも言えません。」
「何でエリーゼが仕切ってんだよ。」
とつい文句が出た。
「ヒルデブラント侯爵もショックが深かったみたいで・・・。」
「そりゃあそうだ。怒っているのか?それとも泣いていらっしゃる?」
「いえ、笑っているそうです。」
「・・・え?」
「壁の方を向いてにこにこ笑いながら『うふふ、南の空にピンクのカバさんが飛んで行く。カバが。ピンクのカバがーっ!』って言っているそうです。」
「「・・・・。」」
僕とフィルは黙り込んだ。
「今は、そっとしておいてあげて欲しいとエリーゼ様は言っておられました。」
「そうだな。うん。わかった。」
と僕は言った後、はっ!とした。
「ベッキー、西館にいるのだろう?大丈夫なのか?何か話してたか?」
「『侯爵様。カバさんはみーんなピンクですよ。』と侯爵様に話しているらしいです。」
とヨーゼフが言う。
「さすがだ、ベッキー。優しいなあ。」
「僕は怖いぞ。」
とフィリックスが言った。
「というか、カバってピンク色なんですか?僕、生きてるカバを見た事がなくて。」
ヨーゼフが首を傾げた。
「僕も見た事がないから何とも言えないが、たぶん空は飛ばないと思うな。」
「フィル、カバの話はもういい。それより、ヨーゼフに聞きたい事があるんだ。おまえ、寄宿舎で父親にジークレヒトの事で何か言いかけたのだろう?何を言おうとしたんだ?」
「ジークの事?地下室の噂の事ですか?」
「地下室の噂?」
「余計な事言って、お父様を混乱させたらいけないと思って、あの時は言わなかったけれど、今にして思うとほんと不思議な噂だなぁ、って思うんですよね。お父様に話すべきだったかな?」
「まず我々に教えてくれないか?」
と僕は言ったが、確かにそれは不思議な噂だった。
ヒルデブラント侯爵に会いたい、と言っている貴族が多いのですが、哀しい演技が上手く出来る自信がないから会いたくない。と言っている侯爵が自分で会わずに済む口実を考えました。
現在の所、それでもいいからどうしても会いたいと言って来た貴族はゼロです。




