レーリヒ商会
そうこうしているうちに、日にちは過ぎてやって来ました。外出日。
私は、ユリアと、ユーディットと、シュトラウス先生と四人で学園の外に出た。
高い塀の外に出て、広い道路を見つめると、開放感のあまり思わず深呼吸をしたくなる。
刑務所から出所したら、こんな気分になるのかなあ。もちろん、刑務所にも少年院にも入った事は一度も無いが。
門の前に、ユリアの実家から馬車が迎えに来ていたので、私達はそれに乗り込んだ。すごく内装の豪華な馬車だ。まあ、激しく揺れるのはいつもの事だけど。でも座席のクッションはすごく上等だと思う。
道幅が広く、道路もきちんと整備されている文教地区を抜け、馬車は商業地区へとやって来た。道を歩いている人の数も20倍くらいになり、ものすごく活気がある。
道を歩いている人達の服装、道全体の美しさからみて、この辺りはきっと高級商業地なのだろう。
本当はもっと庶民的な商業地とか、ビンボー人御用達なお店とかが見てみたかったんだけどなあ。
まあ、そういう所はいずれまた。とか考えているうちにユリアの実家のお店に着いた。
店の前にはたくさんの従業員さんがずらり!と並んでいて
「いらっしゃいませ!」
と、頭を下げられた。
お嬢様であるユリアが帰って来たらいつもこうなのか、私が一緒だからなのかは謎だ。
謎だけど、正直その迫力にかなり引いた。
一瞬、帰りたい気持ちになった私は、ほほほほほ!とひきつった笑いを浮かべつつ、店の中へと入った。
店は日本のコンビニくらいの大きさだった。そして、コンビニ同様ありとあらゆるジャンルの物が店のあちらこちらに置いてある。
右側に食器、左側にアクセサリー、その奥にビスクドール、更に奥に反物、あっち側に石鹸、こっち側によくわからない謎の物体X。などなど。
どれも高そうな気がする。・・・というのが、全体の共通点かな。
「店の中の物、ちょっと見ていい?」
と聞いてみると
「どうぞ、奥の個室でくつろいでください。品物を運びますから。」
と、ユリアに言われてしまった。
店の中にお客さんがいないなー、と思っていたが、お客様は個室に通されて、そこで買い物をするシステムのようだ。
日本でも、ちょぉーっ高級なブティックとか、ブランドショップとかでは、そうやって買い物するのだという都市伝説を聞いた事がある。
まずい。本気で帰りたくなってきた。
けど、ここまで来て帰るわけにはいかないので、私はユリアと一緒に、いかにも『VIP専用』みたいな個室に入って行ったのでありました。
私の貧弱なボキャブラリーでは、説明しきれない素敵な個室の中には既に人がいて、私達を待っていた。
男の人と女の人が一人づつ。男の人はアラサーくらいに見えた。女の人は私くらい。・・ゴホン。間違えました。いつまで経っても、文子だった頃の感覚が抜けなくて。今の私は11歳なのだ。文子は18歳だったけど。そして、目の前の女の人は18歳くらいです。
とりあえず、お互いに挨拶をする。
貴族向けらしい、長ったらしい、回りくどい挨拶の後、男性が名乗った名前は、イザーク・バウアーというものだった。
『森の王国』を出版している出版社の社員さんとの事。女の人の名前は、クラリッサ・バウアーといって二人は叔父と姪という関係なのだそうだ。
私はクラリッサに聞いてみた。
「愛称はやはりクララですか?」
「・・いえ、リサでございますが。」
あ、そうなんだ。アルプスを舞台にした某アニメのキャラクターと同じ名前だ。覚えやすいな。と思ったが、いろいろと違ったようだ。
ちょっと恥ずかしい・・。
「どうぞ、どのようにでも好きに呼んでください。」
と、リサが笑顔で言ってくれる。ありがとう、気をつかってくれて。でも、別にリサで十分です。
そもそも、もう二度と会わないかもしれないのだし。
「彼女もまだ見習いの身分ですが、当社の社員です。なので、この度の商談にも連れて参りました。」
と、イザークが言った。
女性社員のいる会社なのか。それは、良い会社だ。
ヴァイスネーヴェルラントは、女流作家が多い国との事なので、女性の編集さんとかも必要とされているのかもしれない。
イザークは、傍らに置いてあった巨大なスーツケースをパカっと開いた。
中には、ぎっしりとたくさんの本。これ、けっこう重かったんじゃないの?と思う。
スーツケースにはキャスターとか付いていないし、イザークさんは細身なのに、けっこうな力持ちのようだ。
一番最初に見せてくれたのは『森の王国』のシリーズだ。
ここでちょっと質問してみる。
「この本の著者は、他にどういう話を書いているのですか?」
私達には敬語は不要です。と、言われたがスルーしておいた。私は、初対面の人間にタメ口を使えるキャラではないので、そんな事よりさっさと質問に答えてほしい。
「作者である、ディートリッヒ・ユング氏が書いているのは、この作品だけです。この作品が第一作で、完結した後は何も執筆していないのです。」
「もう、作家は引退したって事ですか?」
「いえ・・本人も書く意欲はあるようですが、なかなか構想がまとまらないそうです。」
よく言えば充電期間、悪く言えばスランプって事か。この作者の他の作品も読んでみたいと思っていたので、ちょっと残念だ。
「エーレンフロイト様は、冒険小説がお好きだとお聞きしたので、何冊か持って参りました。他にも読んでみたいと思われる種類の本がございましたら、後日お持ち致します。どのような内容の物をご希望でしょうか?」
「そうですね。・・エッセイとか、日記文学ってありますか?」
文子だった頃、エッセイ漫画や小説を読むのが好きだった。
だけど、今そういうジャンルの本を読みたいと思ったのは、好きだからというだけの理由ではない。そういう本を読む事が、世の中を知る勉強になるからだ。
「日記文学・・と言いますと、回顧録のような物でしょうか?」
とリサが聞く。
「そこまで壮大な物でなくてもいいので、旅行記とか闘病記とか、私が経験した事の無い事を経験した人の、日常の驚きとか感動とかをありのままに書いたノンフィクションなお話とかです。」
と、言ってもまるでピンときてないような顔をしている。無いんだな、そのジャンル。
仕方ないので、目の前に並べられている本を手にとってみる。
けれど、当たり前だけど題しかわからん。日本のラノベと違って絵がないからさ。はっきり言って、絵って大事だよ。
表紙の絵を見ただけで、どういうターゲットに向けて書かれた小説かわかるもの。
他にも、主人公が男か女か、何歳くらいか、どんな世界観か、恋愛要素が強そうか、下ネタが多そうかとかさ。
それに、やっぱり好みの絵だと『欲しい!』って気持ちが強くなるもんね。
「絵本は無いのですか?」
「ここにある本は全て文字だけですが、ご希望の本がありましたら、挿絵を挿入した物を作り直します。」
「・・その絵って印刷ですか?それとも、まさか手描き?」
「もちろん手描きの一点物です。絵は印刷できませんから。」
そんなわきゃあない!
この世界は19世紀くらいのヨーロッパと同程度の、文化文明度なのだ。その時代なら凸版印刷も凹版印刷もあったはずである。日本でさえ、既に浮世絵があったのだ。
「版画とかって無いんですか?」
「版画とは、何でしょうか?」
そこからなのか⁉︎