フェーベ街のボランティア(5)
フェーベ街に来て一ヶ月。大陸歴315年が来るまで、あと一ヶ月ほどだ。
つまりヒンガリーラントの三大祭り、『新年祭』の時期まであと一ヶ月って事だ。
私は今年の『新年祭』の事を思い出していた。今年は、伝染病のせいで『収穫祭』も『建国祭』も自粛要請された。
だから今年のお祭りは『新年祭』しか思い出が無い。
新年祭は、家族でごちそうを食べたり親からプレゼントをもらったりするお祭りだ。だけど、孤児院の子供達には親がいない。だから私は今年の新年祭の時期、友人達と一緒になって孤児院の子供達に『櫛』を送った。
来年の新年祭。子供達に何かを贈ってくれる人はいるだろうか?伝染病のせいで、裕福だった貴族家でも困窮するケースが増えている。今まで孤児院を支援してくれていた支援者にも余裕が無くなって来ているかもしれない。
「ベッキー様ー。」
と言いつつ、アグネスとリーゼレータとファリアが寄って来た。同じ年の者同士仲良くなっているようだ。
「どうしたんですか?ぼーっとして。」
「ん、今年の新年祭の事を思い出していたの」
「あー、今年の新年祭といえば、ベッキー様とアーデルハイド様が大げんかしましたよね。」
「そうだった、そうだった。」
リーゼレータの発言にアグネスがうなずくと、意味のわからないファリアがコテンと首をかしげた。
「アーデルハイド様って誰ですか?」
「ローテンベルガー公爵夫人よ。」
アグネスがそう言うと、ひゅっとファリアが息を飲み込んだ。
・・・そういえばそうだった。今考えたら冷や汗モノだ。うちより格上の貴族なのだし、アーデルハイド様が許してくれなければ、大変な事になっていたかもしれない。少なくともローテンベルガー一族の主治医をしているリーゼレータのお父さんが、うちの領地でボランティアをしてくれる事は無かっただろう。
ケンカの原因。それは『クレープ』だった。
ローテンベルガー公爵夫人アーデルハイド様は18歳だ。新年祭の頃は17歳だった。ローテンベルガー公爵は20代の後半だそうだから、それで17歳の妻をもらうなんて、地球だったらネットリンチにかけられそうな話だ。
お二人は一応政略結婚ではなく恋愛結婚なのだそうだ。しかも、どちらかと言うとアーデルハイド様の方が押せ押せだったらしい。
そりゃまあそうだよね。公爵が17歳の女の子に押せ押せだったら引く。
私がアーデルハイド様に初めて会ったのは、去年の秋にあったブランケンシュタイン家のお茶会会場だ。その時、アズールブラウラントからヨメに来たアーデルハイド様は、ヒンガリーラントの菓子はマズいから、アズールブラウラントの菓子を販売するサロンを運営するつもりだと言っていた。そしてその言葉通り、彼女はお菓子の販売をする喫茶店みたいなサロンを開設した。
そのサロンで中心として売られたお菓子は、カトルカール、アイスクリーム、そしてクレープだった。
サロンは会員制だが、会員になりたい人が殺到した。そのサロンの初期会員にうちのお母様はなった。サロンで人気爆発だったお菓子アイスクリームは、元々我が家の持ちレシピだったからだ。
「出て来たお菓子はどれも美味しかったわ。」
とお母様に聞いた私は、孤児院の子供達にもその美味しいお菓子を食べさせてあげたいな。と思った。しかし、菓子というモノはたっかいのだ。何十人もいる子供達全員分の菓子を買う事は出来ない。なので私は自分で作る事にした。薪オーブンを使いこなせる自信がなかった私はカトルカールではなくクレープを作る事にした。
お母様がサロンで食べたクレープは、中にクリームが入った状態で巻かれていたらしい。だが、そういうクレープを作るのをめんどくさく感じた私は『ミルクレープ』を作る事にした。ミルクレープの良い所は、一番上さえ綺麗に焼けていれば真ん中辺のクレープがちょっとくらい破れていても焦げていてもかまわないところだ。
ユーバシャール孤児院の子供の数は、あの頃50人弱だった。世話をしている大人たちの分も含めて、ホールのミルクレープが7個あれば十分足りるだろう。カレナや料理の出来る友達に手伝わせ、私はせっせとクレープを焼いた。
そしてそれを持って、私はユーバシャール孤児院へ行った。行くとちょうど、ローテンベルガー公爵夫人も来ていた。
新年を前に、お金や古着の寄付をしに来ていたらしい。ユーバシャール院長にしてみれば、『客』は同じタイミングで来てくれた方が楽で良いので、同じ時間に呼んだのだろう。
孤児院の子供達は、寄付をしてくれた公爵夫人にハンドベルの演奏を披露して感謝の気持ちを伝えていた。
子供達は初対面のローテンベルガー夫人の前では猫を被っていたが、懐いている私達の顔を見て、美味しそうなお菓子を見たら被っていた猫を投げ捨てた。
ミルクレープの乗った皿を持ったカレナやエイラを踏み潰しそうな勢いで子供達は駆け寄って来た。すごいテンションだった。
しかし、もっとすごいテンションの人がいた。ローテンベルガー公爵夫人アーデルハイドだ。
「それ何⁉︎すごいっ!」
そして言った。
「それ頂戴!」
その瞬間の、子供達の絶望的な顔は忘れられない。
7つもホールのミルクレープを作るのはけっこう大変で疲れていたのもあって、私はキレてしまった。
「何を言っているのですか!権力をかさにきて幼い子供達から、お祭りの時くらいにしか食べられないような貴重な甘味を強奪する気ですか⁉︎恥を知りなさい!」
今思うと、言い過ぎた。アーデルハイドがどういう人なのか私はよくわかっていなかった。なので、彼女を小説や演劇に出て来るワガママ悪徳貴族のように思ってしまった。
しかし、アーデルハイドは打たれ強い人だった。
「わかった。サロンからカトルカールを一つ持って来るからそれと交換しましょう。」
何が「わかった」んだよ。と、その時は思ってしまった。
そして、孤児院の子供の中には我が強くプライドの高い子もいる。その子が突然、受け取っていたお金をアーデルハイドの前にバンッ!と置いて
「いらない、帰れ!」
と叫んだ。
年上の子供達やユーバシャール院長が真っ青になって、そう叫んだ子の口を塞ごうとしたが、その子は
「上から目線の施しなんかいらねえよ!帰れ。」
と更に叫んだ。そしたら何人かの子供達が同調し出した。勿論一番同調してしまったのは私だ。
「貴女にこの子達の心を傷つける資格があるっていうんですか!」
と叫んでしまった。
「そんなつもりじゃないわ!」
とアーデルハイドは言い
「無礼ですよ、エーレンフロイト様。仮にも公爵夫人に対して!」
と公爵夫人に同行していた侍女が叫んだ。すると孤児院の子供らが
「レベッカ様を悪く言うな!」
とますます大声で騒ぎ出した。
「もう、やめてよハイジ様!」
と言って、わあっ!とリーゼレータが泣き出した。
「愛称、ハイジなんだ。はっ!」
と失礼な事を私は言ってしまった。
そしたら
「ハイジの何が悪いのよ!」
とアーデルハイドにキレられた。
・・・。
思い出すだけで、恥ずかしくて情けなくて頭が痛くなって来る。
どう考えても私が悪かった。彼女の動機を最初から疑ってかかっていた。彼女はまだ17歳の子供で、文子の人生と併せて40年近く生きている私より遥かに年下だったのだ。文子時代に体験した孤児差別を思い出して、トラウマを刺激されてしまった。
自分が悪かった。と反省したのは、寄宿舎に戻ってやんわりとユーディットに叱られた時だ。その頃には私の頭も冷えていた。
「公爵夫人はアズールブラウラントから嫁いで来られて、ヒンガリーラントの文化に馴染む為に努力をしておられるのだと思いますよ。今日の事も、ただ見た事のない食べ物を見て、それを知りたいと思われただけでしょう。外国で暮らすという事は想像する以上に辛く大変な事なのです。それはわかってあげて差し上げてくださいね。」
そう言うユーディット自身もアズールブラウラント人だ。
レベッカも幼児の頃、アズールブラウラントで暮らしていた。その時にユーディットを始めとするアズールブラウラント人達に親切にしてもらったから、ここまで大きくなれたのだ。
アーデルハイドに申し訳なくて、私はうなだれてしまった。
でも、彼女の方が大人だった。彼女は、夫と共に私の両親に面会を申し込み自分の方が謝罪したのだ。そして、ユーバシャール孤児院の子供らとも和解したいので仲介して欲しい。と頼んで来たのだ。頼んで来た時の彼女の目は涙で真っ赤に腫れ上がっていたという。
家に呼び戻された私は、母に聞かれた。
「あなたが作った菓子がどういう菓子なのか説明されてもさっぱりわからなかったのだけれど、どういうお菓子を作ったの?」
アーデルハイドは、家に戻って同じ菓子を作ってみようと思ってチャレンジしたが全然綺麗に出来なかったらしい。
それで、作り方を教えて欲しいと頼まれたそうだが、ミルクレープを見た事も食べた事も無いお母様としては返答の仕様がなかったそうだ。
というわけで、私は家の台所で急遽ミルクレープを作る事になった。
何故綺麗に出来なかったのか、理由は簡単に思いつく。ミルクレープは複数枚のクレープを中にクリームを挟みながら重ねていくスイーツだが、そのクレープを全く同じ大きさ、形に作らないと最終形態がガタガタになるのである。
偶然、全てのクレープが同じ大きさや形に焼きあがる可能性は0%である。だから、ミルクレープを作る時はセルクル型を使うのだ。それを使わず自由に焼いたクレープとクリームとジャムをただ重ねたのでは、最悪、某映画の『巨神兵』(腐敗後)みたいなのが出来上がったはずだ。
最後の一枚だけ少し大きめに焼き、テーブルクロスのように上にかけたらミルクレープは完成だ。
美しく完成したミルクレープを見てお母様は
「どこでこんな菓子を知ったの⁉︎」
と驚いて言った。
「えっ?お母様が、ローテンベルガー家のサロンでクレープの中にクリームが入っている菓子が出た、と言ったんじゃない。こういう菓子が出たんじゃないの?」
と私はすっとぼけて言った。
『雨降って地固まる』じゃないけど、この事件の後、ローテンベルガー家とうちは気のおけない仲になった。
正直私は、ローテンベルガー家の事を『我が家の事をどう思っているかわからない得体の知れない家』と思っていた。でも、ローテンベルガー公爵夫婦はリーゼレータと同じで嘘や裏の無い真っ直ぐな人達だったのだ。もしかしたら、自死に追い込まれたという公爵のお父様やお祖父様も、そして国王陛下の恋人だったオリーヴィア姫もそういう人だったのかもしれない。
そして日々が経ち、地球には無かった13月がやって来た。
新年祭を目前にして、実家からの支援物資が更に増加した。我が家からは大量の燻製肉と巨大なバウムクーヘンが届けられた。
お母様からの手紙に、ユーバシャール孤児院とヘルダーリン孤児院にも私の代わりに同じ物を贈ったと書いてあった。更にリエ様とメグ様が子供達全員分の、ウサギの毛皮の襟巻きを送ったそうだ。
他にもユスティーナのお姉様のヘリング夫人が、子供達に大量の便箋を送ったらしい。子供達からあなた宛の手紙がそのうち届くかもしれませんよ。と書いてあった。それは楽しみだ。そして、ローテンベルガー公爵夫人も、孤児院にミルクレープケーキを贈ったそうだ。
そしてその孤児院の子供達は、間引き菜と豆でスープを作って困窮している人達に配る活動をしているらしい。
困難な時代でも人の善意は生きている。国難の時ではあるけれど、新しい年を迎える時だけは皆が幸せであってほしいと思った。




