大陸歴314年という年(1)(エルヴァイラ視点)
レベッカの家庭教師のエルヴァイラ先生目線の、伝染病と生徒達の話になります。
強い北風が、赤く紅葉した木の葉を吹き飛ばしていく様を私は窓から見ていました。
一年前の今頃は、こんな場所でこんな事になっているなんて思いもしませんでした。
私の名前はエルヴァイラ・フォン・ネーフェと申します。ヒンガリーラントという国で夫と七人の子供達、そして母と暮らしています。
ヒンガリーラントは、平和で豊かな国です。300年ほど前に建国され、この50年は戦争も侵略も無く、王族や上級貴族による内乱や粛清も無く、科学がどんどんと発展し、好景気が続いていました。
この50年の間にあった大きな事件といえば『紅蓮の魔女』と呼ばれた殺人鬼とその仲間達が、数百人の人間を殺害した事くらいでしょうか?
おぞましく、社会を震撼させた事件ではありましたが、亡くなった人の数は戦争や大災害、伝染病などに比べると多くはありません。
侵略戦争や伝染病の流行が一度起これば、数日で何千人、何万人もの人達が命を失ってしまうのです。
平和な状況が長く続いたので、人口は着実に増えていき、それに比例して貴族の数も増えました。ヒンガリーラントでは隣国ヴァイスネーヴェルラントのように、跡取り以外の子供が皆『平民落ち』するという事もありません。そして、貴族が増えると貴族の中にも『格差』というものが生まれてきます。実に半数以上の貴族が平民とまるで変わらない生活をしており、中には非常に困窮している貴族さえいるのです。
我が家も困窮とまではいきませんが、平民とあまり変わらない生活を送っておりました。
私の父は、王宮図書館で司書をしていましたが、私と兄を残して早くに亡くなりました。
その兄も若くして死にました。20代の始めに猩紅熱にかかったのです。病気からは回復したのですが、後遺症で失明してしまったのです。
勉強と読書を愛する兄にとって、耐え難いほどの苦しみだったのでしょう。父がいなかった事もあり、兄は責任感のとても強い人でした。
それゆえに、母や私の負担となる事をよしとしなかったのです。兄は、自死してしまいました。
夫は兄の親友だった人で、兄の紹介で知り合いました。
夫の父は徴税官でしたが、あまり道徳的ではない、いわゆる不正ギリギリの真似をする悪徳徴税官でした。夫はそんな父親を嫌っており、そのうえ私との結婚を決めた時「父親も兄弟もいない娘なぞ」と言って反対されたので、夫は両親と縁を切りました。
そんなふうに二人とも親を頼れない身の上だったうえ、子供が七人いたので、大学で講師をしている夫の収入だけでは生活はギリギリでした。ですので私は母に子供達を見てもらってピアノの家庭教師の仕事をしていました。
そんなふうに楽ではない生活でしたが、愛する夫と可愛い子供達に囲まれ幸せでした。そして、そんな幸せがいつまでも続いていくのだろうと信じていました。
しかし、その生活は今年の春、急に終わりを迎えました。
『天然痘』という伝染病が西大陸を襲来したのです。
『天然痘』はまず、ヒンガリーラントの南側にある国、トゥアキスラントで広がりました。
ヒンガリーラントとトゥアキスラントの間の国境は封鎖され、トゥアキスラントから輸入されていた全ての物が不足し値上がりしました。
『果物』『綿布』『油』そして『麦』です。
特に麦は、伝染病の上陸と共に富裕層による買い占めが起こり、一気に値上がりしました。同じ大きさのパンが1、5倍から2倍の値段になったのです。パンは毎日食べる主食です。それが値上がりした事は家計を直撃しました。
更に綿布の値上がりによって服代が上がり、油が上がる事によって石けんや基礎化粧品が値上がりしました。
生活するうえでの必需品に事欠くようになったのです。
間もなく、トゥアキスラントの隣にあるエーレンフロイト領に感染が広がりました。
それと同時に、全ての西大陸の国々がヒンガリーラントとの国境を封鎖しました。東大陸からも船の往来を拒否され、輸入品の全てが不足するようになりました。
やがて感染がコースフェルト領、キルフディーツ領へと広がると、王都は封鎖され中に入るのに二週間の待機期間がとられるようになりました。そうすると、生野菜、生肉、卵などが全く手に入らなくなりました。そして干し野菜や干し肉、魚などが急激に値上がりしました。
正直『疫病』に対する恐怖心はそれほどではありませんでした。大昔と違って予防する薬もあるらしいですし、それを使ってエーレンフロイト領は病気を見事封じ込めつつあると聞きました。死んでしまうのは、重篤な持病がある人くらいという噂で、健康な人ならそうそう死ぬ事は無いと聞きました。
私がそれより恐れていたのは、食べ物や生活必需品が手に入らなくなる事でした。子供達に食べさせる物を手に入れる事にも苦労していたのです。収入だけで生活出来ず貯金はどんどん減って行きました。
そんな中更にショックな事がありました。
大学が休校になり、夫が休職に追い込まれたのです。給料は今までの三割になってしまいました。更に私の家庭教師の口も無くなりました。物価が大変な勢いで上がっているので、習い事の代金がもうこれ以上払えないのだと言われました。
どうしたら良いのか不安で夜もよく眠れない日々が続きました。子供達の前では平気そうな顔をしていても、ふとした時に不安になり急に涙が止まらなくなったりしました。
芳花妃ステファニー様からお手紙を頂いたのはそんな頃でした。
私は独身の頃、王宮で働いていた事がありました。
王宮図書館で働いていたステファニー様が後宮にあがる事になり、彼女の侍女になって欲しいと、亡き父の友人だった図書館の司書長に頼まれたのです。
結婚と同時に職を辞したのですが、ステファニー様とはずっと手紙のやり取りを続けておりました。
ステファニー様は、私の家族がどのような状況か心配してくださっていました。それと同時に市井のリアルを知りたがっておられました。
私は正直に自分の状況を伝えました。そんな自分が惨めで悲しく、手紙に涙が滲みました。
そうしたらすぐにステファニー様から手紙の返事が来ました。その手紙には、ステファニー様がお生みになったルートヴィッヒ王子の婚約者である、エーレンフロイト侯爵令嬢の家庭教師にならないか?と書いてありました。