肉食獣のパラドックス
「隔離区域は地獄だ。死と腐臭が充満して、姫のような深窓の令嬢に耐えられる場所じゃない。良い所だけを見せてくれる、貧民救済病院とかとは違うんだ。」
「でも、私以上に深窓の令嬢のエリーゼ様も行かれるわけですし。」
「エリーゼがボランティアに志願したのは野心があるからだ。エリーゼは女性初の宰相になる事を目標にしている。ボランティアに行くのは病人に同情しているからじゃない。売名と人気取りの為だ。」
そうなんだ!ヒンガリーラントの歴史上、女性で大臣になった人は一人もいない。それなのに、大臣の中で最上位の宰相を目指しているとは、夢がデッカいなあ、エリーゼ様。
というか、権力を握るのにそういう方向性もあるんだ。私、あの人は『王妃』を狙っているのかと思っていた。
「それにインフルエンザなどとは違い、天然痘は特に外観に変化が出る病気なんだ。直視するのも苦しいはずだ。」
それは知ってる。世界中の誰よりも知ってるくらいだ。
「それに『種痘』を受けていたらといって、絶対に感染しないかどうかはわからないんだ。行くのは危険だ。だからベッキー。行っては駄目だ!」
ルーイの必死な様子に私は正直に言って『ドッキュン!』ときた。
だって、誰もこんなに必死に私を引き留めてくれなかったんだもん!
エリーゼ様には『強制』と言われ、父にも護衛騎士にも友人達の誰にも引き留めてもらえなかったのだ。
引き留められても困るけど、でも誰も私が心配じゃないんかい!って思ったよ。
だけど、この人は全身全霊かけて私を心配してくれている。行くな!と言ってくれている。忙しい中わざわざ駆けつけて、エリーゼにもユリアにも言わない言葉を私に言ってくれている。
正直、ハートを撃ち抜かれた。
胸がいっぱいになっていたところに、エリーゼ様が現れた。思わず彼女が乗って来た馬車を二度見してしまった。
彼女は、荷馬車に乗ってやって来たのだ。屋根も、幌さえもないボロ・・いや質素な馬車だ。こんな馬車を公爵家で所有しているのか?と度肝を抜かれた。
「・・なんか珍しい系統の馬車ですね。」
「遊びに行くわけではないのよ。金箔や宝石で飾った馬車なんかで乗りつけたら、空気が読めないと思われてしまうではないの。さあ、乗ってちょうだい。」
「待て、エリーゼ!」
「止めないでちょうだい、ルーイ。」
「おまえの事は止めはせん。だけどベッキーを連れて行くな!」
そう叫んでルーイ王子は私の肩をつかんだ。
「行くなベッキー。僕とエリーゼのどっちが大切なんだ?」
「私に決まっているじゃないの。」
とエリーゼ。
「おまえには聞いとらん!」
「あんたとは付き合いの長さが違うのよ。だいたい、そういうセリフを女に聞く男は下の下よ!」
なんか、すごい状況になった。どっちの言う事を聞いても死亡フラグが天高くあがってしまう。
「ルーイ様。」
と私は言った。
「私が今何を考えているかわかりますか?」
「えっ⁉︎」
「何を考えているか当ててみてください。もしも当てる事ができたら、私はボランティアには行きません。」
「・・・。」
「そんな事を言われても人の心の中は見えないじゃないか?たとえルーイが当てたとしても、君が『違う』と言えばそこまでだろう?」
とフィリックスに言われた。
「誓って嘘は申し上げません。」
ルーイは悩んでいるみたいだった。私が『何を』考えているかより『何故』こんな質問をされるのか意図がわからないのだろう。
私だったら・・・。
一番嫌な事を言うな。ハズレだったらラッキーだし。当たっても自分の要求が叶うなら嬉しいし。
「・・・君は僕を、鬱陶しくて居なくなって欲しい。と思っている。」
「・・・。」
まさか、それが一番嫌な事!
いやいやいや!何も考えずにただそう言っているだけかもしれないし。ただ本気でそう感じているのかもしれないし!
でも、なんか顔が赤くなっていく気がする。働くのだ、私の自律神経!顔色を正常に保つのだっ‼︎
「どうなの?」
とエリーゼに聞かれた。
「違います。私は『絶対に医療ボランティアに行くと決めている』と考えています。」
ルーイが、小さくため息をついた。意外性も何も無い言葉に皆が「ふーん」と言う顔をしている。
・・・・。
「あーっ!」
とフィリックスが叫んだ。ほぼ同時にユリアが「あっ!」と言った。
「そうか、これはパラドックスなんだ!」
とフィリックスが叫ぶ。
「はい。答えは同じです。」
とユリアも言う。
「えっ⁉︎どういう事だ?」
とルーイが言った。フィリックスが説明を始めた。
「レベッカ姫は『自分は絶対に医療ボランティアに行く』と考えていた。おまえが、それを当てたら姫は約束だから、ボランティアには行かない。でも、外れだと嘘をついたら。姫は『絶対にボランティアに行く』と『思っていない』という事だから、やはりボランティアには行かない。
だからおまえが『絶対にボランティアに行くと決めている』と言っていたら、当たりだろうと外れだろうと姫はボランティアに行けなくなったんだ!」
その通りだ。
これは地球で『ワニのパラドックス』あるいは『ライオンのパラドックス』と呼ばれる、有名なパラドックス問題の応用なのだ。
ワニ、もしくはライオンが人間と出会い
「自分が考えている事を当てたら、おまえを食べないでやろう。」
と言う。
それに対して人間は言う。
「あなたは私を食べようと思っていますね。」
こう答えたら、人間は食べられずにすむのだ。
現実には、フィリックスが言ったのよりもう少し難解な論理なのだが、まあ結論は同じだ。
今私の心にも矛盾がある。
ボランティアなんか行きたくない。でも行かなければ後悔する。
エリーゼに誘われて迷惑だ。でも、私を選んでくれた事は誇らしい。
ルーイ様に「行くな」と言われてすごく困っている。でも、泣きたいくらい嬉しい。
心の中はグチャグチャだ。誰かに心の中を解きほぐして欲しい。でも自分以外の誰に自分の心がわかるだろう。
ルーイ様は外した。これが『答え』なのだ。私は行く。この質素な荷馬車に乗って。
私を見つめるルーイ様の目は悲しげだった。怒っているのではなく嘆いているように見えた。
そして私はルーイ様を悲しませた事を「怖い」ではなく「悲しい」と思っていた。
「行きましょう、ベッキー様。」
とユリアに言われた。私はルーイとフィリックスに頭を下げた。
私達は荷馬車に乗った。全員乗るのはさすがに無理だったので乗りきれなかった人達は、エーレンフロイト騎士団が乗る馬に二人乗りさせてもらった。私は荷馬車組だ。
「ごめんなさい。」
と私はルーイに言わなかった。怒ったルーイが婚約を解消すると言ったら、それもまた運命だろう。
そうなって欲しいような欲しくないような。自分の気持ちがわからなかった。
でも『婚約を解消して欲しくない』と考えるのは、一周目、二周目合わせて初めての事だった。苦い物を飲み込んだような気持ちだった。そんな気持ちの私を乗せて。ゴトゴトゴトゴト、荷馬車は揺れた。
第六章完結です。いつも読んでくださりありがとうございます。
第七章もどうかよろしくお願いします^_^




