芳花宮のお茶会(5)(ルートヴィッヒ視点)
一瞬、何を言われたのか、わからずポカンとした。
次に思ったのは「あの母親ならやりかねんな」だった。
何か返事をしなければならないが、何と答えようか悩んだ。
「それが、何か?」
とか言ってしまったら、きっとレベッカ姫にもう二度と口を聞いてもらえなくなるだろう。
姫は僕の反応を見ている。
僕は
「続けてください。」
と言った。
「私がまず違和感を覚えたのは、いくら母親に言われたからと言って、初対面の私にためらわずに抱っこをせがんできた事です。あの年齢の子供なら、すでに自我が芽生えています。羞恥心や人の言いなりになる事への反発心を持っているものです。特別、人間好きな性格なのかと思いましたが、抱きあげてみてもそうとは思えませんでした。私の方から話しかけなければ会話も続きません。ならばなぜ、おとなしく私に抱っこされたのか?私は、この子は、母親を恐れていて母親に逆らえないのだと思いました。」
「・・・。」
「それに、母親の大声に蒼くなって震えていました。これは虐待や、モラルハラスメントを受けている人によく見られる兆候です。」
「・・・。」
「顔や手の甲など、見える場所に傷はありません。ですので、私は二の腕や脇腹など服に隠れて見えない場所を、失礼とは思いつつも触ってみました。そしたら、身をよじって痛がられるのです。しかし、奥歯を噛み締めて声を出さないようにしておられました。虐待を受けている子供は怪我を隠します。怪我を知られるのが恥ずかしいという気持ちを持っていますし、虐待の加害者に『二人だけの秘密』とか『もしも怪我がバレたら、お母さんがすごく怒られるし、離れ離れにされてもう一緒に暮らせなくなる』と言われて脅されるからです。そして『そんな事になったら全部おまえのせい』と言われるのです。痛くても声をたてないのは、加害者に殴られている時、大声をたてたり泣いたりすると虐待がエスカレートするからというのもあります。虐待の被害者はどんなに幼くとも、痛みを歯を食いしばって耐え、『嵐』が過ぎ去るのをただ待つのです。」
段々腹が立って来た。
「遅い!」と思われそうだが、正直最初は少し信じられない気持ちがあったのだ。
だけど、腹違いとはいえ実の弟が、今、姫が言ったような仕打ちを受けているのかと思うと、はらわたが煮えくりかえりそうになって来た。
レベッカ姫の言う事は筋が通っている。
そもそも姫は、虐待についてはプロフェッショナルだ。彼女は虐待を受けていた孤児院の子供達を救い出し、友人達を守って引き取った。
彼女はあらゆる加害者と被害者をその目で見て来たのだ。宝石や絵画の真贋が、見慣れている専門家には一目でわかるように、彼女には『わかる』のだ。
「僕は何をすれば良い?」
僕は彼女に質問してみた。そう聞くのは己の無知を露呈するようで恥ずかしかったが、わからない事は専門家に聞くべきだ。
ガゼボに戻って
「おまえ、レオンハルトを虐待しているだろう!」
と叫んでも何にもならないのだから。
「この問題を、調査または解決できる人、もしくは機関がありますか?」
僕は考え込んだ。
「ない。」
と僕は答えた。
親王、及び内親王を守るべき第一の立場の人間は母親だ。その母親が加害者なのだ。
雪白宮にも侍女や護衛騎士はいるが、今のところ何の役にも立っていない。気がついていないのか、ナディヤ妃に懐柔されているかだ。
王子を見守るべきなのは母親であり、その母親を見守るべきなのは後宮の女官長だ。
しかし、女官長は、全くアテにならない。
もしナディヤ妃による犯罪に気がついたら、脅迫の材料にできる。としかあの女官長は思わない事だろう。
「各宮は、各宮で完結している。他の宮殿に関する事は、僕や蛍野宮のクラウスには口出しできない。口出しできるのは女官長と後宮の最高権力者である王妃だが、どっちも駄目だ。女官長は自分の立場が一番大切な女で、側妃の生んだ子供の事を嫌っている。レオンハルトがナディヤ妃に殺されて、その後ナディヤ妃が処刑されたら、後宮から邪魔者がいなくなったとむしろ喜ぶだろう。王妃は、他人に奉仕される事が当たり前な人間で、他人の為に小指一本動かす事は無い。」
「国王陛下はいかがなのでしょう?」
「無理だ。後宮は『表』とは全く別の組織だ。国王であってもそこには口を出す事はできない。後宮の腐敗にメスを入れ膿を出すのは、何人もの国王が挑戦して来た事だが、誰も成功しなかった。そのうえ・・その、父上はレオンハルトとナディヤ妃に無関心だ。レオンハルトが自ら謁見を申し込み、自分の状況を訴えでもしない限り、父上が動く事はないだろう。」
「虐待を自ら告白し、救いを求める子供は一万人に一人もいません。」
とレベッカ姫が言った。
「無理だ、無理だ!ってほんとにどうにもならないんですか⁉︎あんなちっちゃい子が苦しんでいるかもしれないのに!」
突然アグネスが叫んだ。僕ら二人の会話はついて来た侍女や護衛騎士達にも丸聞こえなのだ。
「アグネス様!」
レベッカ姫の護衛騎士達が慌てて黙らせようとした。確かにアグネスの行為は僭越な行為だ。処罰の対象にされかねない行為である。
だが、アグネスは僕の幼馴染だ。そして、とても正義感の強い子なのだという事を僕は知っている。
「私・・お父様に相談してみます!情報省に頼んで噂をばら撒いたら、国王陛下だってどうにかしてくださるかも!」
アグネスが涙目になって言った。
それに対して、レベッカ姫は冷静な声で言った。
「虐待を解決するのは難しく、加害者を仕留める時は一撃で決めないといけないわ。そうでなければ最悪な事が起きるかもしれない。」
「・・最悪な事?」
「子供が殺されるの。殺して死体を隠す事が最大の虐待の隠蔽方法だから。」
アグネスとユリアーナが息を飲み込んだ。
「そもそも、レオンハルト様が虐待を受けているかも?というのは私の想像よ。本当かどうかわからないのに噂をばら撒いたりしたら、不敬罪に問われるわ。」
「レベッカ様が間違えるはずがありません!」
とユリアーナが叫んだ。
僕もそう思うが、確認は必要だ。信じたい事を信じ込んで大騒ぎするな。と父上には一度釘を刺されている。
「確認がしたいよな。・・殴られている現場を押さえるしかないだろうか?」
グラウハーゼに頼んだら確認できるかなあ?と僕は考えた。
「レオンハルト様の服の下には傷跡が無数にあると思われます。それを目視してみたいです。」
とレベッカ姫が言った。
「もしも、本当にそのような傷跡が有れば騎士団長に報告します。」
と僕の護衛騎士が口を出した。護衛騎士達の顔色は蒼かった。『虐待』が事実ならば大変な問題になる事がわかっているからだろう。
レベッカ姫と侍女にとって、虐待の確認は善意の表れであり、好奇心の発露だ。結局自分達とは無関係な事なのだ。
だが、もしも虐待が事実なら、雪白宮の護衛騎士や騎士団上層部はただでは済まない。
「ユリア。」
とレベッカ姫が言った。
「喧嘩をしよう。」
「喧嘩ですか?」
「私がユリアを怒鳴りつけて、水差しの水をぶっかける。ユリアはそれを避けて、レオンハルト殿下が水を被るようにして。」
ユリアーナがこくこくとうなずいた。
「殿下はすぐに、風邪を引いたらいけないからと言って浴室にレオンハルト様をお連れください。そして濡れた服を脱がせてください。」
水をかける、とはまた過激な!
だが、レベッカ姫には確認を急ぎたいという気持ちがあるのだろう。雪白宮に戻られたら、確認も手出しもできなくなる。
それに、水をかけるというのは、服を脱がす口実としては最も自然なものだ。というか、それ以外の理由で五歳児の服を脱がせたら、異常者扱いを免られない。だが。
「駄目だ!」
と僕は言った。
「王族に水など、たとえ誤ってでもかけたら姫が重い罰を受ける。水をかけるのなら僕がかける!」
「殿下。」
レベッカ姫の目に、感動の光が瞬いた。
「わかりました。私達が喧嘩をしましょう。私がレオンハルト様の側に逃げるので、もう思いっきり私に水をぶっかけてください!」
えっ?僕は、ユリアーナに水をぶっかけてやるつもりだったんだが!
「お願いします。」
そう言ってレベッカ姫は駆け出した。




