芳花宮のお茶会(1)(ルートヴィッヒ視点)
ルートヴィッヒ王子視点の話になります。
ライゼンハイマー領の領都で、土砂崩れが起こったという報告がもたらされた時、僕は立ちくらみを起こしそうになった。
伝染病が原因で、国全体が困窮しているこの時に、自然災害が起こるとは!
情報省に確認すると、大量の土砂は領都の5分の1を飲み込み、領主の館も一部損壊したという。更に、土砂は種を蒔いたばかりの麦畑も押し流した。川の側にあるライゼンハイマー領は、土壌が豊かなので作物が豊かにとれる農業の盛んな土地である。
王都との距離は馬で一日、船で半日ほどだ。その近さと利便性から王都の食糧庫としての役割を担っていた。
そんなライゼンハイマー領は、ヒンガリーラントの第二王子であるこの僕ルートヴィッヒを支持している、数少ない上級貴族だった。
ライゼンハイマー伯爵の命が無事、と聞いた時は、肺中の空気が安堵の息となって出て来たものである。
土砂崩れの規模が大きかった割に、生き埋めになって行方不明となった人は十人足らずほどだったという。
というのも、ライゼンハイマー領の領都は、近くを流れるフェルぜ河より標高が低い所にある。だからこそ畑や街に水路を引いて、大きく発展する事ができたのだが、その為長雨が続くと洪水に襲われやすい、という欠点があった。
土砂崩れが起きた時、既に長雨が三日続いており、領都民のほとんどは領主の命令で高台にある避難所に避難していた。
生き埋めになってしまったったのは、重要な仕事で領都を離れられなかった人や、屁理屈をこねて避難しなかった人達である。
土砂崩れが発生した時点では雨が止んでいたので、何人かの人達は生き埋めになっても無事救出されたらしい。だが、何人かの人達は不幸にも助からなかった。
命は助かったとはいえ、たくさんの人達が、家と財産を失った。
人々は、泥に塗れた街を見て肩を落とした。伝染病の影響のせいで、苦しい生活をしていたのに、追い打ちをかけるように災害に襲われたのだ。領主も領民にかける言葉がなかった。
そんなライゼンハイマー領に翌日、救援の船がやって来た。
王都から、レーリヒ商会の船が大量の衣類、毛布、薬、食料を積んでやって来たのである。
レーリヒ商会は、王都とブルーダーシュタットを行き来する時必ず、ライゼンハイマー領を通る。普段お世話になっている土地だからと、いち早く駆けつけて来たのだそうだ。
ライゼンハイマー領の人々は湧き立った。
救援物資というと、雑巾のような服や穴だらけの毛布などを送ってこられる事が多いが、レーリヒ商会が持って来た衣類は清潔で上質だった。下着に至っては完全な新品だった。
食べ物も、生麦や生の芋ではなく、軍隊が行軍食として持ち歩くような、日持ちがするけれど、すぐ食べられる物ばかりだった。
その時に一番必要な物を届けてもらい、ライゼンハイマー領の人々は涙した。物をもらえた事もそうだが、自分達を気遣ってくれる人がいる。自分達は見捨てられたわけではない。という事実に涙したのだ。
救援物資の半分を用意したのはレーリヒ商会だが、残りの半分を用意したのは『王都の有志』であるという。きっとレーリヒ商会のような、富豪の平民達だろう。と、僕は思った。
実は、ライゼンハイマー領の近くに土地を持つ領主達に父上は支援を呼びかけたのだが、皆無理だと言って断ったのだ。
いざという時『貴族』という連中は、言い訳するばかりでまるで役に立たない。平民の方がよっぽどフットワークが軽く、情が厚い。
今回の件でしみじみとそう思った。
だけど、しばらくして『王都の有志』が誰なのかが新聞にのった。
『王都の有志』というのは、エーレンフロイト侯爵令嬢レベッカ姫だったのだ。
僕は驚いた。王都民も驚いた。
エーレンフロイト領といえば、この度の伝染病騒動で、大きな被害を受けた領だからだ。
確かにエーレンフロイト姫君は今までも、熱心に孤児院や貧民救済病院を支援していた。
だけど、それはエーレンフロイト領がお金持ちな領地だからできる事だとも思っていた。
余るほど豊かに持っているから、気前よく余剰分を人に分けてあげられるのだ。そう思っていた。
しかし、苦境の中にあってもエーレンフロイト姫君の高邁な精神が失われる事はなかった。否。自らの領地が苦境にあるからこそ、苦しい立場に置かれた領地とそこに住む人々を見捨てられなかったのだ。
彼女こそ現代の『聖女』だ。と、王都の人々は皆噂した。
宮廷画家をしている、ライゼンハイマー夫人も涙を流して感動していた。
「私は、エーレンフロイト家の方々とは交流を持ってきませんでした。それなのに、姫君はわたくし共の領地を助けてくださったのです!」
夫人が一目レベッカ姫に会いたい。と母に相談し、母がレベッカ姫を王宮に呼び出す事になった。母も、貧しい王都民の為に野菜を作って配ったり、使用人の子供の為に絵本を作っているレベッカ姫に会って、いろんな話を聞いてみたかったようなのだ。
彼女に会える!と思うと僕も嬉しかった。
だけど、心の中に小さなトゲのようなものも刺さっていた。
レベッカ姫は立派な人だ。そして僕には、そんな彼女が必要だ。
じゃあ、彼女には?彼女には僕が必要なのだろうか?
心の中に巣食うのはいつも、ジークレヒトとコンラートの存在だ。ブルーダーシュタットで活動する二人の事が最近の王都の新聞にのった。
全身に膿疱ができ、生きたまま腐っていく患者がいたそうだ。高熱に震え「寒い、寒い」と言い続けていた。ジークはその患者を抱きしめ
「こうしていれば暖かいでしょう。」
と言った。患者は、翌日ジークの腕の中で息を引きとったのだそうだ。
ライゼンハイマー領で土砂崩れが起き、レベッカ姫とレーリヒ商会が支援物資を送るまで、王都はこの話題でもちきりだった。
すごいと思うし、真似できないと思う。ジークレヒトは欠点も多い人間だ。それでも、間違いなく彼は高潔な人間なのだと思った。
レベッカ姫に相応しいのは僕ではなく、ジークなのでは?という思いがいつも頭から離れない。
コンラートの母親とジークの母親とレベッカ姫の母親が友人で、コンラートとジークの妹が婚約していた。それならば、母親達はジークとレベッカ姫を結婚させたいと思っていたのではないだろうか?それを、僕が親の権力を使ってレベッカ姫を奪い取った。
ジークは常に僕の上を行っている。僕はいつも彼には敵わない。その事実が辛い。
レベッカ姫に必要なのは、ジークなのでは?という思いが頭から離れない。
僕は自信を失っていた。
そんな僕に
「レベッカ姫を迎えに行ってくれるかしら?」
と母は頼んで来た。
「喜んで。」
と答えたのは嘘じゃない。だけど胸が痛かった。
当日。僕は騎士達と一緒にレベッカ姫を迎えに行った。
開いた馬車のドアから一番最初に出て来たのはレベッカ姫だった。彼女は今日も黒百合のように優美だった。
僕と彼女の目が合った。その途端。
レベッカ姫が足を滑らせた!レベッカ姫は頭からずっこけた。
考えるより早く体が動いた。僕は全速力で姫と地面の間に体を滑り込ませ、彼女の体を受け止めた。
レベッカ姫の髪から、花のような香りがした。黒髪が揺れて、僕の首や肩に当たると心臓がドクン!と大きく跳ね上がった。あと数センチで唇がぶつかりそうなくらい顔が近くにある。
「すみませんでした!」
と叫んで、レベッカ姫が飛び退いた。正直残念だ。彼女の香りや肌の温かさをもう少し感じていたかった。
「もう、姉上ったら、ルーイ様に会えて嬉しいからって、飛び出しちゃダメだよ。」
とヨーゼフが言うと、レベッカ姫は真っ赤になった。
そうなのか?僕に会えて嬉しいと思ってくれていたのか?
「すみません。ご迷惑をかけて。」
とレベッカ姫は恥ずかしそうに言った。
違う。謝らなくていい。僕は嬉しかった。とてもささやかな事だけど、彼女の役に立ったんだ。彼女の助けになれたんだ!
その事が今、たまらなく嬉しかった。




