夫への贈り物(4)(モニカ視点)
まず、「廊下を走らないでください!」とお伝えすると、お嬢様は素直に謝られました。素直なのはレベッカ様の長所ですが、何を叱られたのかすぐに忘れてしまうのが、レベッカ様の短所です。
「おかえりー。で、村の様子はどんなだった?」
「さすがに、餓死者は出ていないようでしたが、現金収入のほとんどを失い困窮しているようでした。今年の食べ物は、春に買い付けた麦がありますが、来年はどうなるかわからないそうです。このまま王都の封鎖が続けば生きていけないと、不安を感じている人も多いようでした。」
「モニカ先生の家族は、ちゃんと食べれてる感じだった?」
ピンポイントで嫌な事を聞いてきます。ヨアヒム卿は、具体的な喧嘩の内容までは話しませんでしたが、あげた食べ物を貪るように食べたという話をされました。
「結局、田舎でもろくに食べられないって事?そんな様子で、子供達は王都に帰りたがっていなかったの?」
そう聞かれたので、明日戻って来る事を伝えました。説明の為に、織物と懐中時計の話をします。
レベッカ様は眉を吊り上げて怒られました。
「羊を野犬に殺されたからって、怒って子供達を責めて親に罰を与えるってどういう事⁉︎八歳の子供に野犬と戦えるわけがないじゃない!それとも、子供達に羊を守って死ねっていう事なの⁉︎」
レベッカ様は、バンバンと机を叩かれました。机が壊れないか、不安になります。
「人間の命よりも、村の利益が大事という考え方がエスカレートすると結局、アイヒベッカー領の『雨乞い事件』みたいな事が起こるのよ。いくら何でも、ある日突然人が人を生贄になんかするわけない。そうなる前に、必ず予兆や小さな事件というものが起きているのよ。その村で、他に人の命や権利を蔑ろにするような事はなかった?」
レベッカ様は、ある意味ヨアヒム卿が隠しておきたかった事をピンポイントで聞いてきます。結局、村の『上民』『下民』制度についても話をされました。
「牛乳がまずくなる話ね。『下民』とされた人達の涙の味がしそう。」
「しかし、人が人を差別する事は法律違反ではありません。貴族達もそうしているのですから。」
「そうね。私に人の思想や社会を変革する力はないわ。だけど、それにモニカ先生の家族が巻き込まれているなら、それは無視できない。
先生のご家族は住む場所は王都にあるのですか?それが無ければ、また農村に戻る事になるかもしれないでしょう?」
「いいえ。」
と私は首を横に振りました。
「以前住んでいた借家は、農村に行く前に引き払いましたから。」
「だったら、家を用意しなきゃ。リエ様が買い漁っている不動産の中には、転売するまでの間住み込みで管理してくれる管理人募集!なんて物件もあるはずだから、とりあえずそこに住めば屋根のある所で暮らせて給料も出ますよ。私、リエ様に相談して来ます!」
そう言って、レベッカ様は矢のように部屋を飛び出して行かれました。口を挟む間もありませんでした。
「・・あぁ、お嬢様行ってしまわれた。もう一つ報告しておきたい事があったのに。」
ヨアヒム卿がそう言われました。
「村の事?それとも、私の夫の事?」
「いえ、どちらでもなくて。ディム・クリューガーに相談されたのです。最近、どうも『闇のルート』を使って、二週間の待機期間を待たずに、王都の中に入り込んでいる人間がいるようだって。主に貴族や富豪らしいんですけれど。あ!『闇のルート』というのはものの例えで、黒魔術で転移しているって意味ではないですよ。元々は密貿易商だけが知っていた秘密の抜け道を貴族とかに公開して、大金と引き換えに通しているのだそうです。
ようするに、そのお金は反社組織の私腹を肥やしているわけですし、真面目に二週間待機している貧乏人もいるのに不公平です。それに何より、二週間待たずに王都に入り込んでいる人間が天然痘に感染していたら、王都内に大流行が起きてしまいます。そういうズルをしている人間がいたら、待機所を設置する意味がありません。だから本当にそういう人がいるのか調べてくれるよう、お嬢様か侯爵閣下に伝えてくれ。と頼まれていたのです。」
「それって、大問題じゃないですか!そんな事があるんですか?」
「秘密の地下通路とかあるのかもしれないし、そもそも王都は全エリアが城壁に囲まれているわけではありません。森や谷とかで外部とつながっていて、現実にそこからシカとかクマが入って来るのです。人間が入り込む可能性も十分にあります。」
「なんて事・・・。」
「その話を聞いて、もしも悪そうな奴が『お金を払ったら秘密の抜け道を教える』と言ってきたら、話に乗ったフリをして、抜け道がどこにあるのか、確認してやろうと思ったのに、金を持っているように見えなかったのでしょうかねえ。誰にも言われませんでした。」
「エーレンフロイト騎士団の紋章が入った、ローブを着てたから声をかけられなかったんじゃないんですか?」
王都の物価が上がり続けているのも、王都が失業者で溢れているのも、都市を封鎖して二週間の待機期間を設けているからです。
それなのに民の範となるべき貴族が、違反を犯しているなんて到底許せません!
私が唇を噛み締めていると、レベッカ様がリエ様を連れて戻って来られました。
「レベッカに聞いたけれど、旦那、戻って来るって?やっぱ、一年持たなかったのねえ。」
「申し訳ありません。お恥ずかしいです。」
「何が恥ずかしいの?村人の方がおかしいでしょ。さっさと離脱して正解よ。生贄にされてから復讐しても遅いのよ。」
「ありがとうございます。そう言って頂けて嬉しいです。」
「文教地区に、潰れたカフェがあるの。今は空き家になっているけれど立地はいい場所だし、世の中が元に戻ったら買い手がつくと思うんだ。人が住まないと家は荒れるから、管理してくれる人を探していたの。一階がホールとキッチンで、二階は上級会員専用の個室。三階は支配人室や従業員の控室、四階は屋根裏部屋で、従業員の居室になっているのでベッドや最低限の家具はあるわ。そこに住む?」
「ありがとうございます!感謝します。」
「ベッドはあるけど布団はないから、そこはレベッカに相談して。レベッカは孤児院に寄付する為に、質の良い中古の布団を買い集めているから。管理人としての給料は本人と話し合いましょう。」
「本当にありがとうございます。」
私は頭を下げました。
とんとん拍子に話が進みました。
正直、とんとん拍子過ぎるくらいです。
織物を送る。と決めた時から、レベッカお嬢様はこの状況を考えていてくださっていたのでは。と思えます。ありがたくて、涙が溢れそうになりました。
「そういえば、レベッカ様。ヨアヒム卿は、まだ大切な報告があるようですよ。できれば、侯爵様と一緒にお聞きになられた方が良いかと思います。」
「え?何?怖い話?」
と言って、レベッカ様が目をぱちぱちさせています。怖い話と言えるかもしれません。天然痘が既に王都内に入り込んでいるかもしれないのです。そして、それを持ち込んだのは、大貴族達です。事態が表沙汰になれば、たくさんの貴族が処罰の対象となるでしょう。
私は部屋へ戻り、リゼラに父親が戻って来る事を伝えました。意外にもリゼラは喜びませんでした。
「このお屋敷を出て行かなきゃならないの?」
「そんな事はありませんよ。家庭教師を辞めるわけではありませんから。」
「良かった。」
と言ってリゼラは、ほっと息をつきました。気持ちはわかります。私もあの愛人や、その子供達とひとつ屋根の下で暮らすのはストレスです。
「明日、お父様を迎えに行きましょう。」
と私は言いました。本妻のプライドとして、一番良い服を着て行こう。と心の中で考えました。