聖女エリカ(3)
終戦後、エリカは弟や未亡人となっていた母や乳母を呼び寄せ、忙しいエリカに代わって母親や乳母がエリカの子供達を養育した。
そしてエリカは、病人の看護や美容品の販売をしながら、医療大学や看護学校の設立に尽力した。
たくさんの女性達がエリカに憧れ、学校に入学し、エリカの教えを受けた。看護婦が最下層の職業と呼ばれていたのはもはや過去のものとなった。
彼女の影響を受け、三百年が経った今でもなお、ヒンガリーラントが西大陸で最も医療が進歩している国とみなされているらしい。
西大陸で医者を目指す者にとって、ヒンガリーラントの医大に入学する事が最高のステータスなのだそうだ。看護婦が、注射や傷の縫合を行えるのも、ヒンガリーラントだけだそうである。
そんな数々の偉業を成し遂げた『聖女』エリカだが、聖女という風に呼び出したのは後世の人達で、同時代の人達は『烈女』とか『猛女』とか言っていたらしい。
同時代を生きた伝記作家によると、愛嬌も無ければ愛想も無い、短気でヒステリー傾向にある人だった、との事であった。
そりゃそうだろう。
優雅で、たおやかで、繊細で、血を見ただけで失神してしまうようなか弱い女性は、そもそも看護婦にならないだろうし、祖父と大げんかして病院送りにしたり、上官に回し蹴りなどくらわせたりしない。
我が強く、気性の激しい人だったに決まっている。
いろいろと才能豊かな人であったようだし、そういう『できる人』って、できない人に当たりが強かったりするしな。
きっと野戦病院でも、部下の看護婦達に「あれやれ、これやれ、それやれ、早よやれっ!」って、怒鳴りまわしていたに違いない。
ヒンガリーラントの初代国王とも、仲が悪く、お互い心の底から嫌い合っていたらしいが、国王がエリカを粛清する事も、エリカが信奉者を引き連れてクーデターを起こす事もなかった。
エリカが95歳で天寿を全うした時は、国葬にするよう国王自ら命令したらしい。国王は常々、後継者である王太子に
「王族に必要なのは、無能な善人ではなく、役に立つ嫌な奴である。」
と、言っていたそうな。
世界を変革する事を目指して、実際に、本当に世界を変革できる人は多くない。しかし、エリカはそれができた人だった。
看護婦を巡る状況、男尊女卑の価値観、人の命は皆平等であるという事。それらについて凝り固まった偏見や通念を、ブルドーザーのように掻き回して時代を駆け抜けて行った。
彼女によって、何十万人もの人々が命を救われ、彼女が死んだ後もなお、その足跡に従ってたくさんの人達が歩み続けた。たとえ、国王に『嫌な奴』呼ばわりされていようとも、彼女は間違いなく偉大な人だった。
ユリアが書いた覚え書きを読み終わり、すごい女性がいたのだな、と私は感心した。
クリミアの天使と呼ばれたフローレンス、ナイチンゲールと、ダマスカスの薔薇と呼ばれた女王ゼノビアを足しっぱなしにしたような、激しい人生だ。その生涯を読み終えて一番最初に考えたのは
「この人、地球人だったんじゃね?」
だった。
時代にそぐわぬ知識。経験も無いのに実行できた医療技術。男尊女卑や女性への性暴行を容認できない価値観。
彼女の存在そのものが、オーパーツなのだ。
だいたい、本名がリーゼロッテなのに、通称がエリカである。
地球人時代の彼女の名前がエリカだったから、本人がそう呼ばせたのではないだろうか?
エリカという名前は、ドイツ語圏にもあるし英語圏にもある。ついでに、日本人にもいる。ラインハルトはともかくとして、エマとリナとミアという名前も、日本人にもよくある名前だしなあ。
もしも彼女が地球人だったとして。しかも日本人だったとして。
そのはるか子孫として私が生まれて来た事には、どのような意味があるのだろう。
王都にある、彼女のお墓には、今も彼女を敬愛する人々の捧げる花が絶えないのだそうだ。
謎が一つ解けた。
去年、コンラートに会う為シュテルンベルク家のお墓に行った時、やたら献花台に花束が多いって思ったんだよね。
そもそも、お墓の前に献花台があるような家、他に無かった。
そういう理由で、花束が多かったのね。
あと、霊園の管理人さんにシュテルンベルク家のお墓の場所を聞いたら、迷わず教えてもらえたわけもわかった。きっと、しょっちゅう聞かれてるんだろうなあ。エリカ様のファンに。
機会があったら、私もまた行ってみるか。
そう思った。
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