王都の攻防戦(14)(フランツ視点)
『林』と『森』の違いは、人が管理をしているか否かだという。
そういう意味では、ここは確かに森だった。
森の手前。オレンジやリンゴの木が植えられていた辺りまでは人の手も入っていたが、それより奥は道なき道。鬱蒼と茂った木々のせいで下草は少ないが、段差があったり斜面があったりで歩くのにも難儀した。
だが、だからこそ『獣道』はわかりやすい。
私達は、シカの足跡を追ってひたすら森を進んで行った。
足跡を逆に行けば、迷う事なく屋敷には戻れるだろうが、それでも道に迷わないよう目印の青い紐を木に結びながら進んでいる。やがて三十分くらい歩いたところで、隣の屋敷の敷地との境界線にある柵に到達した。
『柵』と言っても、私の膝までくらいの高さしかない。こんな低い柵ならシカどころか、野ウサギだって軽々飛び越えるだろう。シカの足跡は柵の向こう側に消えていた。シカと違って人間は、勝手に他人の家の敷地には入れない。捜索は残念ながらここまでだった。
「随分、傷んでいますね。」
とウルリヒが言った。確かに木製の柵はボロボロだった。長い年月風雨にさらされ朽ちている場所もたくさんある。柵の下に穴が掘られ、動物が通過した跡もあった。
「これ、アナグマが掘ったんじゃないですか?」
とヨアヒムが言った。
「クマッ!」
ヨーゼフが、ビクッ!となって、私の腕にすがりついた。
「ヨーゼフ。アナグマはクマと名前についているけれど、イタチの仲間だよ。大きさもイタチくらいだ。心配しなくていいよ。」
「そ、そうだよね。ここは王都の中だもん。クマなんかいるわけないよね。」
「足跡を辿れば、アナグマの巣穴を見つけられるかもしれません。行ってみましょう。」
とヨアヒムが言う。ヨーゼフが首をかしげた。
「イタチの仲間でしょ。食べられるの?」
「アナグマは、とてもおいしいですよ。捕って帰ったら、お嬢様や奥様が喜ばれますよ。」
「お父様。行ってみようよ!」
とヨーゼフが言った。
正直、本日の任務は畑を荒らす害獣の駆除であって、畑から遠く離れた場所でひっそりと暮らしているアナグマを殺す理由は無い。
だけど騎士達には、手ぶらでは帰れない!という思いがあるのだろう。
「そうだな。」
と私は言った。
しばらく歩くと少し開けた所があった。そしてそこには大きなアプリコットの木が生えていた。木にはアプリコットの実が鈴なりになっていた。
「すごーい!お姉様達に持って帰ってあげようよ。」
と言ってヨーゼフは飛び跳ねた。
私は実を一つもいでかじってみた。
誰かが管理している木ではないので、肥料をやったり実を間引いたりされていない。その為、実は小ぶりだった。酸味もかなり強い。
でも、今のアルベルは酸っぱい果物を喜ぶはずだ。レベッカだって、ジャムやコンポートにすれば喜んで食べるだろう。
だが・・・。
背の低いヨーゼフの手が届く場所には実がなっていない。ヨーゼフは許可を出す前に木に登ってしまった。プチプチと実をとって、持参していた袋の中に入れる。木の根元には熟したアプリコットがたくさん落ちている。そして、それに混ざって。
「ウルリヒ、これって?」
「はい。イノシシの足跡です。ひづめの形からして雄ですね。かなりの大型です。」
騎士達の顔にも緊張が走った。足跡は新しいものだったからだ。
「あれ?」
とヨーゼフが言った。
「向こうの茂みに何かいる。茶色くて大きい・・まさか、クマ⁉︎」
私達は、武器に手をかけた。茂みがざわりと揺れてその向こうから獣が出てくる。イノシシだった。
「大きい。」
とティアナがつぶやいた。確かに。イノシシは大人でも三十から四十キロくらいだ。でも、このイノシシははるかに大きい。二倍以上。百キロ近くあるかもしれない。
通常野生の動物は、人間の姿を見れば逃げる。しかしイノシシは逃げなかった。当然だろう。このアプリコットはイノシシの餌だった。それを人間が横取りしている。動物は自分の食料を他の生き物が奪う事を決して許さない。
「ヨーゼフ。絶対に木から降りるな!」
と私は叫んだ。ヨーゼフが相手にできる相手ではない。そして、ヨーゼフをかばいながら戦う事はとてもできない。
ヨーゼフも恐怖を感じたのか
「はい。」
と素直にうなずいた。
「来るぞ!」
とウルリヒが叫んだ。次の瞬間、イノシシは矢のように一直線に突進して来た。
屋敷に戻ると、レベッカとアーベラが言い合いをしている声が聞こえてきた。
「そもそも、なんでこの時期にカブを植えたんですか?カブは暑さが苦手な野菜です。春か秋に蒔くのが普通ですよ。」
「種を蒔いてから収穫までが早いって聞いたからだよ。だいたいなんで今更それを言うの?」
「カブは間引き菜もおいしいので、なんだったら全部新芽のうちに食べてもいいかな、って思ったからです。本気で『野菜』になるまで育てたければこの時期はオクラとかピーマンがお勧めです。」
「ピーマンはダメ。連作障害でナス科の野菜が植えられなくなるから。」
「カブやタマネギを植えたら良いではないですか。」
「ナス科がダメ、葉物がダメってなったら根菜しかない畑になっちゃうじゃない。」
「お嬢様。タマネギは根菜ではありません。あれは『葉』ですよ。」
「え?嘘でしょ。・・あ、お父様。お帰・・えええっ!」
私の姿を見てレベッカが悲鳴をあげた。
「お父様。血が!」
「大丈夫だよ。返り血だから。」
「逃げたシカを追いつめたの?」
「いや、シカは柵を越えて隣の家の敷地に逃げて行った。これは・・ああ、来た来た。」
ずざざ、ずざざと音をさせて騎士達が縄を使ってイノシシの死体を引きずって来た。
「まあ!」
「大きい!」
ユリアとコルネが驚きの声をあげる。レベッカもぽかん、としていたが、やがて肩を振るわせ
「こ・こんなのが、うちの庭にいたの?隣の敷地じゃなくて?うちに!」
と叫んだ。
「まあ、敷地の境の柵は老朽化してぼろぼろだから、いろんな動物があっちに行ったりこっちに来たりしているのだろうけれど。森の中にアプリコットの木があってね。その実を食べに来ていたみたいだ。周囲も少し調べてみたらナラの木が生えていたり、木苺の実がなっていたりしたから、この時期いろんな動物がうちの庭に集まって来ているのかもしれないな。」
「こんな大きなイノシシが畑に来て、人間に突進して来たらと思うとぞっとする。お父様駆除してくれてありがとう。」
「いやいや。」
と私は言ったが、でも騎士として、そして父親として、これより嬉しい言葉があるだろうか!
ガルトゥーンダウムや国王陛下に会って、降り積もった大量のストレスが、一瞬で霧になって消えていくかのような気分だ。
他の女の子達も、わーわー言いながら、イノシシに寄って来る。
「なんとなく動物って、前脚と後脚を木の棒にくくりつけてぶら下げて運んで来るものだと思っていました。」
とコルネが言うと
「それ、やろうとしたら木の棒が折れたの。」
とティアナが答えた。
「そんなに重かったの?見たところ『腹出し』は終わっているみたいだけど。」
とレベッカが私に聞いた。
「ああ、苦労して運んで来て、お腹を開いてみたら内臓やリンパに寄生虫がたくさんいる食べられない肉だった。って事になったらショックだからね。ちょうど近くに沢があったので、内臓を確認してみたんだ。そしたら大丈夫だったので肉を運んで来たんだ。」
「お疲れ様。お父様。」
「はは、ありがとう。でも大丈夫。見ての通り、若い者に運ばせたから。」
「でも、お父様がとどめをさしたから、返り血がそれだけついたのでしょう。一番大変な事をしたんじゃない。やっぱりすごいよお父様は。」
「ありがとうレベッカ。」
私は血のついた手袋を脱ぎ娘の頭を撫でた。正直、泣くのを我慢するのに必死だった。
動物は死ぬと、体温が急激に上がる。それをそのままにしておくと『肉焼け』を起こして不味い肉になってしまうので、冷たい川の水などに一晩浸けて肉を冷やす。
嬉しい事に、この別邸の庭には小川が流れている。それが、街に流れて行って王都民の皆さんの生活用水になっていたら、汚すわけにはいかないが、この水は反対方向の森に向けて流れている。なので、イノシシはひとまず川の水に浸けておく事にした。腹出しの終わったシカ達も既に浸けこまれていた。
レベッカは空を見上げた。
「さっきからカラスがすごいんだけど、夜の間にお肉持って行ったりしないかな?」
「そんな事にならないよう騎士達に夜警をさせるよ。シカの群れも、また畑に戻って来るかもしれないしね。」
と私は言った。
死後硬直がとける前に、肉を解体すると肉の味が悪くなる。なので、解体するのは明日の事だ。既に夕闇も迫って来ている。
明日も忙しい一日になるな。
しかし、王宮で気に入らない奴と顔を合わせるより、はるかに有意義な時間だった。
ヨーゼフ君が不吉な事を言っておりますが、そう、これはフラグです。
戦いはもう少し続きます。よろしくお願いします。^ ^




