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王都の攻防戦(10)(フランツ視点)

「・・シカ。」

「はい。」

「というと、あの動物の?哺乳類の?」

「はい。」


アーベラが無表情で答えた。


「何十頭もの群れだったのか?」

「いえ。60キロか70キロくらいの角の見事な牡鹿が一頭です。」

「・・ふーん。」

「少し前から兆候はあったのです。いつも畑から帰る前に、孤児院の子供達は薪を森で拾うのですが、森の入り口にあるオレンジの木の葉がシカと思われる動物にかじられていたのです。」

「あー、シカって、柑橘類の葉が好きだからな。」

「それ以来お嬢様は、畑の近くにシカがいるのではと恐れておいででした。そして今日畑に行くと、出たばかりのカブの新芽が動物に食べられていたのです。お嬢様はシカが近くにいるのは間違いないとおっしゃって、子供達に今日は帰るようにと言われました。子供達は『シカくらい平気』とか『シカ、見てみたい』と言って抵抗していたのですが、お嬢様が『シカに体当たりされたら即死』とか『罠にかかっていると思って近寄ったら、罠を引きちぎって猟師をツノで刺し殺したという話を聞いた事がある』とか『ぬいぐるみのシカの目はつぶらだが、本物のシカは目が野獣』とか言って、散々子供達を脅していたところにシカが出て来て慌てて全員を敷地から退去させられたのです。」


数日前、レベッカの畑を訪問した時、急にぞわっとした感覚に襲われた事を思い出した。

そうだ!あの時、風の中に獣臭を感じたのだ。恐らくあの時、近くに畑を狙う動物がいた。動物は畑を、自分の餌場と思っている。そこに大量の人間がいる事に怒りを感じていたはずだ。


「そしてお嬢様は『畑を放棄する!』と宣言されたのです。」


「えー!たかが、シカ一頭で!」

と思わず叫んでしまった。


「そんな事しなくても、柵を立てるとか。」

「柵を立てるには、畑が広過ぎます。大量の木材がいりますし、立てている間が危険です。それに、シカが周囲からいなくなるわけではありません。畑で働く皆を絶対に危険に晒せない。と言われました。」


まあ、それはそうだ。我が家の敷地で、孤児院の子供が重症を負ったり死んだりしたら大変な事になる。そんな事になったらレベッカはきっと、立ち直れないだろう。幼い子供達を預かっている以上、用心してし過ぎるという事はないのだ。

しかし・・・。


「少々の事では動じないお嬢様だと思っておりましたので、びっくり致しました。旦那様、お嬢様は昔シカに襲われでもした事があるのでしょうか?」

「そんな話は聞いた事がない。そもそも、本物のシカを見た事など無いのではないだろうか?」

「オレンジの葉のかじり跡を見て、『ギザギザじゃないから、これはイノシシじゃなくてシカだ』と言っておられたので、生態にお詳しいなあ、とは思いましたが。」


「イノシシだとギザギザなの?」

とゾフィーがアーベラに尋ねた。


「はい。シカはイノシシや人間と違って上の前歯がありません。硬くなっている歯茎と下の歯で噛み切るので、刃物で切断したように噛み跡が揃っているのです。」

「そうなの。」


「それにしても、畑を放棄って。あんなに見事に育てていたのにな。」

「はい。農学科の方々も、子供達もがっかりしていました。」


野菜が収穫できなくなった事をなのか、レベッカの醜態をなのか、その両方なのかはわからないが、それは子供達もがっかりだろう。

いや、がっかりなどという程度ではあるまい。何だかんだ言ってもレベッカにとって、畑作りは所詮道楽だ。だけど子供達にとっては生活がかかっていたのだ。今、王都では物価が、凄まじい勢いで上昇している。景気自体は後退しているのにだ。

芋や野菜の値段は限りなく上昇していくのに、孤児院を援助しようとする人達の数は減っている。あの畑は、孤児院の子供達にとって命綱だったはずだ。


農学科の生徒にしても、畑作りの指導で得た収入を生活費に当てていたと聞いている。それが急に無くなったらまさに死活問題である。


「お嬢様は乗馬もなさいますし、孤児院で飼われているロバの事もとても可愛がっておられます。シカ一頭であんなに大騒ぎされるとは驚きました。」

アーベラの発言に、批判を感じとったのだろう。

「あなたは騎士だから平気なのかもしれないけれど、普通の人にとって飼い慣らされていない野生の動物は恐ろしいものなの。お嬢様は普通の女の子なのよ!」

とゾフィーがきつい声で擁護した。


だが、アーベラの気持ちもわかる。騎士だからこそなのだ。アーベラはレベッカの護衛騎士だ。シカの一頭くらいレベッカを守りながら仕留めるくらいできただろう。慌てふためかれた事によって、自分が信頼されていないという気持ちになったのだ。


「ふむ。」

と私は呟いた。


畑は守らなくてはならない。それと同時にレベッカの心を守り、孤児院の子供達や大学生の生活を守り、アーベラの矜持を守る。

その為の方法は一つだ。


シカを駆除してしまえばいいのである。


領地では、獣害対策も騎士団にとっては大切な仕事だ。というより、海賊なんてそうそう出るものではないし、何十年も戦争は起きていないし、ど田舎の騎士団にとって『最大の敵』とは、畑を荒らす野生動物なのである。

エーレンフロイト騎士団にとって、シカ狩りは日常の一部だった。

それに。


「もし、そのシカを仕留められたら新鮮なお肉が手に入るよなあ。」


今、王都では生肉は手に入らないのだ。

王都の中には大規模な牧場が無い。昔は王都の中で牛や羊を飼い、日中は王都の外で放牧する。という農家も多かったらしいが、動物に金や宝石を飲み込ませて王都の中に密輸する、という人が後を絶たなかったのでそういう飼育法が禁止されたのだ。

なので、牧場はほぼ全て王都の外にある。

そして、今は王都に入るのに二週間、待機期間をとられる。

その為、生肉、卵、生乳などが一切王都の中に入って来なくなったのだ。


その対策として我が家では、ニワトリやアヒル、ウズラを買っているが、そもそも卵を手に入れる為に飼っている鳥達だし、レベッカが可愛がっているので、毎日肉が食べたい。とはさすがに言う事ができない。

でも、狩った動物の肉なら気にせず食べられる。そしてシカ肉はおいしい。


ハインリヒに脅迫された医学生達の家族が無事でいるかも心配なのだが

「シカ肉が獲れたので、おすそ分けに来た。」

と言えば堂々と訪ねる事ができる。良い事尽くしだ。


「騎士団の皆でシカ狩りに行くか。」

と呟くと

「いいですね。行きましょう!」

とウルリヒに力強く賛成された。


「自分も同行させてください!畑を守りたいんです。」

とアーベラも言った。


「シカ肉のローストやシチューが食べられますね。頑張ってください!」

とゾフィーも嬉しそうに言った。


そして、畑を守る為のシカとの戦いが始まった。

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