王都の攻防戦(3)(フランツ視点)
私が次に向かった場所は、ユーバシャール孤児院だ。
ここには、口減しで捨てられたレンバー村の子供達が身を寄せている。どんなふうに過ごしているか確かめてあげて欲しい。と、デイム・クリューガーとカーテローゼ嬢に頼まれたのだ。
レベッカから、一応話は聞いていたが、頼まれた以上自分の目でも確認しておきたかった。
孤児院に着くと、子供達を助けた遍歴商人の兄妹の一人、妹のエンヤ嬢が米の籾摺りをしている最中だった。中庭に大きな石臼があって、ロバに臼を回させているのだ。聞けば、米はユリアが石臼はレベッカが寄付をしたらしい。
ユーバシャール孤児院には、60人以上の子供達がいる。その子達に食べさせる為に一食でも数キロの米がいる。その数キロの米を手回しの臼で籾摺りしていたのでは、時間がいくらあっても足りないし、腱鞘炎になるだろう。ちょうどロバさんもいる事だし、動物が回す用の臼を買って、レベッカがプレゼントをしたそうだ。
ロバの手綱を持って歩かせているエンヤ嬢の周りに、幼い子供達がまとわりついていた。この子らはレンバー村の子供達なのだそうだ。
アラフィフの女性と、13歳の女の子と12歳の女の子は今、レベッカの畑に農作業に行っているらしい。
デイム・クリューガーに託されていた手紙を渡すとエンヤ嬢は嬉しそうに笑った。
エンヤ嬢は美しい少女だった。切り揃えられた前髪の下の整えられた眉に清潔感がある。髪の毛も凝った髪型に結い上げていてゴージャスなのに清楚で更に機能的だった。『清潔感』って大事だよな。と私は思った。
ヒルデブラント家のジークは、顔の造作的には非の打ち所がない人間だったが、ひょうたん半島ではいつもボサボサの髪をしていて
「あー、頭痒い。」
とか言っていた。
最終的には、ジークは女の子みたいな髪の長さになっていたし、コンラートは引きこもって耽美小説書いている唯美主義者みたいな見た目になってたもんな。
「バリーさんとカリンさんには本当にお世話になりました。無料のパンをもらいに行く人はたくさんいたのに、私達の事を覚えていて気にかけてくれるなんて。すごく嬉しいです。」
と言ってエンヤ嬢は涙ぐんだ。
「何か困っている事はない?」
と私は聞いた。エンヤ嬢はすぐに首を横に振った。
「何もありません。ユーバシャール院長もユリアーナ様もレベッカ様も、他の方々も本当に良くしてくださいます。レベッカ様には、兄の仕事まで紹介して頂いて、感謝してもしきれません。」
「へえ、そうなんだ。紹介って、どこに?」
「従姉のリーリエ様が運営しておられる商会です。最近忙しくなって来て、計算や帳簿付けが出来る事務員を探していた。と言われたんです。それで、有り難く働かせて頂く事にしたのですけれど、後になって、今の王都は失業者で溢れていて、市民権を持たない余所者は仕事なんか普通は見つけられない、って聞きました。だから、レベッカ様とリーリエ様には本当に感謝しているんです。レベッカ様は麻布も全部買ってくださいましたし。」
我が子ながら偉いなあ。と、父親として少し誇らしい気持ちになった。
「君がここで暮らしているのは、市民権が無いから家を借りられないからかい?」
もしもそうなら、何か力になれないだろうかと思ったのだが
「いいえ。」
とエンヤ嬢は首を横に振った。
「リーリエ様が、自分が持っている物件に住んでもいい。と言ってくださったんですけど、ユーバシャール院長に頼んで、ここに住まわせてもらっているんです。レンバー村のみんなとすっかり仲良しになったし、私も兄さんもヒンガリーラントの王都に来るのは初めてで、知り合いが誰もいないので、本当は王都で暮らす事がすごく不安だったんです。だから、ここでの生活が楽しくて。」
「そうか。なら良かった。」
私達が話をしていると
「エンヤお姉ちゃーん!」
と言いつつ幼い少女がかけって来た。栗色の髪に白とピンクの紐を合わせて可愛く編み込んでいる。まるで女優か、絵のモデルがするような前衛的な髪型だ。
「あら、ユッタたらすごく可愛くなって。」
「本当?ユッタ可愛い?」
「ええ、可愛いわよ。まるで、お金持ちのお嬢様みたい。ね、みんなそう思うよね?」
と周りにいた子供達に聞くと
「うん。すごく可愛い。ユッタじゃないみたい。」
「すごーい。この髪、どんな風に結んでるの?」
と周りにいた子供達が言った。
「触っちゃダメ!」
と言った後、ユッタちゃんは、くるりと半回転して私の方を向いた。ユッタちゃんの動きに合わせて髪が跳ねるように動く。
ユッタちゃんは私とウルリヒに向かってにっこりと微笑んだ。
これは、褒めてくれ。と暗に言っている⁉︎
もしも、ここがひと気の無い暗がりで、中年男の私が幼女に
「君、可愛いね。」
と言ったら、今までの人生で積み上げてきた『徳』を全部失うだろうが、ここは暗がりではないし、ユッタちゃん自身が褒めてもらいたがっているのである。ここは、褒めてあげるのが、正しい大人というものだ。
「とっても可愛いよ。素敵だね。」
と言うと、ユッタちゃんはえへへと笑った後、恥ずかしそうにエンヤ嬢のスカートの陰に隠れた。
この反応。本気で可愛いな!
考えてみたら、レベッカとはこういうやりとりをした事がなかったなあ。まあ、私はレベッカに一日百回くらい「可愛い」って言ってたけれど。そしたらある日レベッカに
「もう聞き飽きた。」
と言われてしまった。
「手先の器用な人がいるのだね。」
と私が言うと
「今日は特別です。理容師のウォーリスさんがボランティアで子供達の髪を切りに来てくれていて、女の子は髪を編み込んだり、眉毛を整えたりもしてくれているんです。」
そう言って、エンヤ嬢は自分の髪を触った。あ⁉︎えらく凝った髪型してるなあ。と思っていたが、これもプロがやったものだったのか。
「へえ、そういうボランティアもあるんだ。」
なんとなく『ボランティア』と言ったら、お金や服を寄付するとか、一緒に遊んであげる。というのを想像していた。でも、確かに髪を切りに来てくれるプロの人がいたら助かるだろう。何せ、ここには60人以上の子供達がいるのだ。全員がお金を払って髪を切りに行ったらとんでもない額になるはずだ。かといって、素人が切った髪というものはなかなか悲惨なものである。
切りすぎた。くらいならまだマシだ。ひどい場合、ついうっかり、耳たぶを切られたりするのである。
それに素人が切ると、皆同じ髪型になってしまうからな。
「ウォーリスさんは、この孤児院が出来た時から月に二回、ずっと欠かさず来てくださっているのだそうです。この院の子ども達の中にはウォーリスさんに憧れて、学校を卒業した後ウォーリスさんの店で見習いをしている子が何人もいるそうです。」
レベッカだけでなく、いろんな人達にこの孤児院は支えられているのだ。そして勿論、その人達もまた誰かに支えられているのだろう。
王都に戻って来た時、退廃した空気を感じてぞくっとした。この街は大丈夫なのだろうか?と思った。だけど、まだこの街は大丈夫だと思った。
希望の光がキラキラと、暗闇で輝くホタルのように、そこかしこで輝いている。
「あ、ウォーリスさんだ。」
とユッタちゃんが言った。
ドレス姿の背の高い人が、中庭に出て来たのだ。
「エンヤちゃーん。そろそろ休憩しなさいな。外は暑いでしょう?倒れちゃうわよ。エンヤちゃんもトンキーも。はっ!誰⁉︎いい男がいる?しかも二人!」
どうやら、この労働中のロバの名前はトンキーというらしい。
「エーレンフロイト家の騎士様です。私に知り合いからの手紙を届けに来てくださったんです。」
そう。私は今身分を偽っている。その方がレンバー村の子供達からの本音が引き出せる。と思ったからだ。
そもそも私は、レベッカやヨーゼフやアルベルと違って、ここを訪ねた事がない。今日初めて来たのである。
ユーバシャール院長がいたらさすがにバレたかもしれないが、院長はレベッカの畑に行っている。なので、正体がバレる心配は無い。
とゆーか、もしも「この国の侯爵です」と伝えていたら、エンヤ嬢とこれだけ話し込む事は出来なかっただろう。
「ま!ほほほ。騎士様も是非中へどうぞどうぞ。子供達がレモネードを作ってくれているんですよ。絶対に製造工程を見てはいけない作り方をしてるんでしょうけど、味はまあまあですわ。」
その時私は
どっちだ!!
と悩んでいた。
このウォーリスという人。女性なのか?男性なのか?
ドレスを着てはいるが、背が高く肩幅が広い。首にはスカーフをおしゃれに巻いているので喉仏の有無もわからない。髪はゴージャスに結い上げているが、ゴージャス過ぎて「かつらでは?」という気がする。
声は女性にしては低く、男性にしては高い。
それにいったい何歳なのだろう?この孤児院が出来た時から理容師をしているというのなら、そう若くはないはずだが、それほど年をとっているようには見えない。
だが勿論、そんな失礼な質問を直接ぶつけるわけにはいかない。
こういう人がいるから、ジークとかがわからないんだよな。と私は思った。
レンバー村の口減しについては『我が家へと続く道』で紹介しています。
私が小学生の頃、髪は母に切ってもらっていたのですが、うっかりざっくり、耳たぶを切られた事がありました。
あれはトラウマになりましたね(汗)
今でも怖くて耳にピアス穴を開けようという気持ちになりません。