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新しい家族達(30)(アルベルティーナ視点)

騒ぎの前兆は、その数十秒前に起こっていました。


レベッカが

「ただいまー!」

と言って戻って来たのです。


タイミング的に、司法省員達とレベッカは、エントランスでエンカウントするはずです。

しかし、レベッカにはすれ違う集団の中に、ペーター・フォン・ローマイアーがいる事はわからないはずですし、司法省員がすれ違いざまに痛烈な嫌味を言うとかしない限り騒動は起きないでしょう。レベッカとて、その程度の分別はあるはずです。

そう思っていました。


いたのに。


「ギャアアアアア!」

と、聞き苦しい男の悲鳴が聞こえてきました。


この時点では、誰が悲鳴をあげたのかわかりません。我が家の使用人かもしれません。私は驚いて立ち上がってしまいました!


「あの声!ペーターですわ。」

とオルヒデーエ夫人が言われました。


なら良かった。・・いえ、よくありません!


私は廊下に飛び出しました。エントランスでは、一瞬何が起きたのかわからないような奇妙な状況が起こっていました。


ローマイアーが、手で顔を覆ってうずくまっています。その指の間からは血が流れています。その数メートル先で、レベッカが四つん這いになっていて、その態勢のまま

「ごめんなさい。ごめんなさい!本当にごめんなさいっ!」

と叫んでいます。


二人の間に木の桶があって、中に入っていたと思われる水が絨毯に溢れています。そして、その周辺に蠢く生き物!

十数匹のザリガニが、絨毯の上をよしょよしょと這って逃げようとしています。それをリーシアやリーゼレータが捕まえようと追いかけています。


「何があったの⁉︎」

と、ビルギットがアーベラに聞きました。


「レベッカお嬢様が何も無い場所で突然こけまして。手に持っておられた桶の中身をお客様の一人にぶちまけたんです。」


誰にぶちまけたのかは聞く必要はなさそうです。


「それで、中に入っていたザリガニのハサミに、お客様のまぶたとか鼻とか唇が挟まれまして。あ!ダメですよ。ザリガニに素手で触っては!ハサミに挟まれたら子供の指くらい簡単に切断してしまいますから!」


アーベラがリーシア達に向かって叫びます。

私は、ぞっとして自分の腕をさすりました。そんな強力なハサミにまぶたや唇を挟まれるなんて、想像するだけで恐怖です。


「誰か火バサミ持って来い!」

と、執事が従僕達に向かって叫びました。エントランスには、ほぼ全従業員が集まって、何事かと遠巻きに様子を見ていたのです。勿論その中には、ラヴェンデルやヤスミーンもいます。


「消毒・・消毒をしないと。アーベラ。薬箱を!」

ようやく、こけた状態から立ち上がったレベッカがアーベラに叫びます。


「消毒なんかしなくて良いわよ。」

こんな、薄情な男に。という意味で私は言ったのですが。


「な・何を言っているのですか?お母様!」

アワアワしながらレベッカは言いました。


「ザリガニには恐ろしい寄生虫がいて、脳に入り込むと失明したりするんですよ!それに、湖の水はどんなに綺麗に見えても人喰いアメーバーがいたりするし!」


『寄生虫』。『人喰いアメーバー』。というパワーワードに、我が家の使用人だけでなく心配そうに寄り添っていた司法省職員達までみんな引きました。コルネが薬箱を差し出し、レベッカが受け取ります。

レベッカはガーゼを取り出し、惜しみなく消毒液を振りかけました。


「レベッカ、やめなさい。」

消毒液が勿体ない。と思って私は言いました。こんな男、人喰いアメーバーとやらに喰われりゃ良いのよと口には出来ませんが内心では思っていました。


「お嬢様!いけません!」

「ベッキー様、やめてください!」

鬼気迫る表情で、アーベラとユリアが叫びました。えっ?どうして?と私は内心思いました。二人は、この男が何者なのか知らないはずです。


「え?」と言いつつ、レベッカはローマイアーの手を顔から剥ぎ取り、ペタッとガーゼを血の滲んだまぶたに押し当てました。


「ギヤアアアアアアアッ!」

この世のものとも思えない絶叫が響き渡りました。


ローマイアーが顔を手で押さえ、転げ回って悶絶しています。


「え?」

と言ってレベッカはポカンとしています。

「ベッキー様!まぶたは皮膚の中でもとりわけ薄いんです。そこに消毒薬を塗ったら、全部染み込んで目の粘膜に直撃です。これは拷問の中でも、割とハード系の小説に出てくる拷問法ですよ!」

とユリアが叫びました。


ユリアがどんな小説を読んでいるのか、彼女の部屋の本棚を一度あらためた方が良さそうです。


「うっそー!」

とレベッカは叫び

「ごめんなさい。ごめんなさい!わざとじゃないんです。ほんっとうにごめんなさいっ!」

と転げ回っているローマイアーに向かって叫びました。

「私ったらお客様になんて事を!」

「お客様ではないわよ。」

と私は言いました。

「一介の司法省職員よ。」

「尚、やばいじゃないですかー!」

レベッカは真っ青になって叫びました。


「何があったんですか⁉︎すごい叫び声が聞こえてきましたが?」

我が家の主治医のエデラーとフローラがエントランスに飛び込んで来ました。


「どうされたんですか?すぐに治療を!」

「触るなあ!ローマイアーを殺す気か!」

事務次官が叫びました。


「え?ローマイアー?」

「司法省員でローマイアーって言ったら・・。」

使用人達がひそひそひそひそ言い始めました。同情的な顔をしていた、レベッカの友人達からさえ、顔から同情の表情が消えました。

皆、ラヴェンデルの身の上に起こった事を知っているのです。

パニックを起こしているレベッカだけが、気が付いていないみたいです。


「これ以上、ローマイアーに手出しはさせんぞ!」

事務次官が言うと

「なら、さっさと連れて帰ってよ。そこで転げ回られていても邪魔だから。」

とアグネスが言いました。

「いろんな意味で、目の穢れですしね。」

とユスティーナも不快そうに言います。


「君達、何ひどい事言ってるの⁉︎」

とレベッカが二人に言いました。

しかし、使用人達は

「呼んでもいないのに押しかけて来て騒ぐなよ。うるせえなあ。」

「掃除しなきゃいけないんだし、早よ帰れ!」

と冷たい言葉をかけます。


「そんな奴どうでもいいじゃないですか?それより、ザリガニを捕まえないと。せっかく、侯爵夫人やラヴェンデルさんに栄養をつけてもらおうと思って、とって来たのですから。」

とリーゼレータが言います。

『寄生虫』とか『人喰いアメーバー』なんてセリフを聞いた後では、あまり食欲がわかないのですけれど。


結局、すごい目でレベッカを睨みながら、司法省員達は帰って行きました。

「どうしよう。」

とレベッカは肩を落として言いました。


「どうしようもないでしょう。あの男が失明して、あなたが傷害罪で『クレマチスの塔』に幽閉なんて事になったら、食べ物くらいは差し入れしてあげますよ。」

と言うと「あああああぁ!」と言いながら、レベッカは頭を抱えてその場に座り込んでしまいました。



その後。気になって私がラヴェンデルの部屋をオルヒデーエ夫人と訪ねると、ラヴェンデルはソファーの側のローテーブルに突っ伏して震えていました。

近くに寄って見てみると、どうやら笑いを必死に噛み殺しているようです。


「大丈夫、ラヴィ?」

「・・すみません。奥様。でも、おかしくって。はは、あはは!」


気持ちはわかります。私も笑い転げたい気分です。

だって、こんな事ってあります?司法省職員は十人もいたのに、偶然あの男にザリガニをレベッカがぶちまけるなんて。

悪意を持って投げつけたって、ザリガニが顔の皮膚をつまんでぶら下がるかどうかは確実ではありませんよ。レベッカはある意味持っているというか、本当に要領の良い子ですよね。褒めてやるわけにはいきませんけど。


「あなたの笑う顔を見るのは久しぶりね。レベッカお嬢様にお礼を言いたいくらい。」

とオルヒデーエ夫人が言われます。

「駄目ですよ。レベッカが調子に乗りますから。でも私も胸がすっとしたけれど。」

と私は言いました。


なんだかんだ言いつつ、結局私達がケラケラ笑っているとリエが部屋にやって来ました。


「バイルシュミット嬢とかファールバッハ夫人から、情報集めて来た。」

と言ったので、そのままラヴェンデルの部屋で報告を聞きました。


「13議会からまた、ブチ切れそうな気分になる命令が出たらしいの。エーレンフロイト家だけでなく、シュテルンベルク家やヒルデブラント家も切れそうな命令。」

そう言って、国税支払い高の高い領地が食物の無償提供をしなくてはならなくなったという話をリエはしてくれました。


「うちの領地は、バイルシュミット領やコースフェルト領に援助をもうしているのに、まださせられるの?」

エーレンフロイト領には、レベッカが買い込んだ食料が潤沢にあるのですが、レベッカが買い込んだ物であるゆえに、旦那様は出し惜しみするのでは?と気になります。


「今回の使者は、エーベルリン男爵家の人間よ。エーレンフロイト家やうちを怒らせて、命令に逆らわせる事に成功したら『王妃派』の中で、エーベルリン家の格が上がる。同じ事をしようとして無様に失敗したガルトゥーンダウム家は立場がないわ。それで、エーベルリンが王都に戻って来る前に、ガルトゥーンダウム家はちょっかいを出して来たらしいの。エーレンフロイト家を追い詰めたのは自分達だ!と言い張る為にね。」

「つまりこれは、第一王子と第二王子の争いではなくて、第一王子の派閥内での争いって事?それに巻き込まれたの?」

「まあ、元々は第一王子と第二王子の仲が悪いから起きた事だと言えるけど。」


私はため息をつきました。

恐怖からパニックを起こした私が旦那様に連絡し、怒った旦那様が国に逆らうのを期待していたみたいです。

「旦那様に今回の件を連絡をする気は無いけれど、エーレンフロイト領がどうなっているのかが気にはなるわね。デリクにでも頼んで見て来てもらおうかしら?」


旦那様も最近は連絡をくださらないし、王都に流れて来る情報は怪しげな物も多くて何を信じたら良いのかわからないのです。

デリクに手紙を届けてもらいがてら、エーレンフロイト領と旦那様の様子を確認して来てもらおうと思いました。



そして、またしばらくの時が経ちました。

ある日、エーレンフロイト領から連絡が届きました。


「エーレンフロイト領の領都で、天然痘の終息宣言が出ました。ですので、侯爵閣下が王都にお戻りになられます。自分は、閣下が出発される一日前に王都を出ました。ですので、閣下達は明日戻られます。」

と、騎士が言いました。


ついに旦那様がお戻りになる!

私は、胸が熱くなって泣き出しそうになりました。


離れていた間、いろいろな事がありました。良い事も。悪い事も。嬉しかった事も。困った事も。

早く話したい。何より、お腹の中のこの子の事を!


「ゾフィー!可能な限り、ご馳走を用意して。」

と私は言いました。

旦那様には『告発状』が届いていますし、これからきっと大変でしょう。


天然痘もエーレンフロイト領の領都では終息したとはいえ、ラーエル地区を含めまだいろいろな地域で流行っています。流行が収まらない限り、食料不足や物価の高騰、失業者の増加は止まらないでしょう。そんなふうに問題は山積みだけど、それでも嬉しくて嬉しくて、私は胸が弾みました。


早く、この情報をレベッカとヨーゼフに伝えたい。早く畑から戻って来ないかしら?

と思って時計を見ました。まだ二時間は二人は戻って来ない、そんな時間です。


「畑に行ってみようかしら?」

前々から一度見に行ってみたいと思っていたけれど、まだ行った事がなかったのです。

「ゾフィー、出かけるわ。馬車を用意して。」

「承知致しました。」


家の外に出るのも久しぶりです。玄関から外に出ると眩しい初夏の光が差していました。

私は弾むような足取りで歩きました。

不安な世の中でも、今だけはこの喜びに浸っていよう。そう思って私はどこまでも青い青い空を見つめました。

昔私は、まぶたを蚊に刺された事があって、痒いので液体の痒み止めをまぶたに塗った結果、悶絶した事があります。

お母様視点の話終了です。

いつも、呼んでくださり本当にありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ゲルハルト関連の話ですが 王と王子の会話からは ハインリッヒが王都に帰還し、王家にエーレンフロイトの件で訴え、ゲルハルトが王都に帰還してから アーベルマイヤー伯爵夫妻に王が辞めるよう…
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