新しい家族達(22)(アルベルティーナ視点)
それはまあ、そうですね。家庭教師としては何を目指すべきなのか確認の必要があるでしょう。
私は自分が子供だった頃の事を思い返しました。
義姉がつけてくれた家庭教師は、たくさんの事を一気に教え込み、満点をとらなければ許してくれない人でした。
その後、兄がつけてくれた家庭教師は、好きな事、得意な事を伸ばしてくれる人でした。
広く浅い知識も必要でしょう。しかし、あの子達は全員アカデミーの生徒で基本は出来ている子達なのです。ならば、他の子と比べられて叱られるよりも、好きな事、得意な事を褒めて伸ばしてもらった方が勉強全体が捗る事でしょう。
コルネなら絵、ミレイならピアノ、ヘレンなら書道、リーシアなら茶道です。
それでなくても、自己肯定感の低い子供達です。せめて、楽しく勉強をしてもらいたい。と思いました。
「得意な事を重点的に、後は平均くらいに出来てくれれば十分です。」
「承知致しました。」
とエルヴァイラ夫人が言われました。声に少しほっとしたような響きがありました。
「それでは、わたくしはこれで失礼致します。」
とエルヴァイラ夫人が言われました。モニカ夫人とアルテ令嬢は住み込みですが、エルヴァイラ夫人は家族がいるので通いなのです。
「ちょっと待って頂けるかしら。」
と言って、私はゾフィーに『ミルフィーユ』をとりに行ってもらいました。
「お子様方へのお土産にどうぞ。持って帰って。」
そう言うと、エルヴァイラ夫人の顔がぱああっと輝きました。ミルフィーユは見た目が美しく美味しそうなお菓子です。砂糖もふんだんに使っていますので子供達も喜ぶでしょう。
「こんな豪華なお菓子、よろしいのですか?」
「ええ、どうぞ。」
どうせ、レベッカは食べたがらないでしょうから。一度これを食べた者は、次にこれを食べようかどうしようか悩むほど食べにくい菓子なのです。
「モニカ夫人とアルテ令嬢は、執事に部屋まで案内させますわ。ところで、モニカ夫人?」
「何でしょうか?奥様。」
「本当に、貴女は住み込みで良かったの?エルヴァイラ夫人のように通いの方が良かったら・・。」
アルテ令嬢は独身ですし、一人暮らしをされておられました。でもモニカ夫人には夫がいるのです。ちなみにその夫には二人の愛人の間に五人の子供がいるそうですが・・・。
「いいえ、奥様。わたくし住み込みを許可して頂けて、とても感謝しているのです。」
「そうなの?」
「私の夫は、演劇の演出家をしておりまして、伝染病が流行し大規模集会が禁止されて以来失職しておりました。それで、王都では食べていけなくなったので、農村出身の愛人の故郷の村に疎開する事にしたのです。夫は、私ともう一人の愛人にも一緒に行こうと言ってくれたのですけれど、私が一緒に行くというのも妙な話ではありませんか。先方の親戚の方々も、いぶかしく思われるでしょうし。そんな時に、住み込みの家庭教師の話があって、本当にありがたいと思ったのです。侯爵家の方々には本当に感謝しております。」
それは、ちょっとあんまりな話ではありませんの。モニカ夫人の御主人様!
妻にとっては、夫に愛人がいるというだけでも辛くてたまらないのに、食べていけないからって愛人の実家に頼るだなんて、そんな妻にとって屈辱的な話があるでしょうか⁉︎
そんなところで、夫の愛人に慈悲を受けるくらいなら私だったら飢え死にした方がマシです。モニカ夫人は崖っぷちにいらっしゃったのだなあ。としみじみ思いました。
ただ、農村に疎開って大丈夫なのでしょうか?勿論、野菜や麦を作って食べ物が豊かな農村もあるでしょうけれど、口減しをするほど困窮している農村もあると聞いてます。それに、旧アイヒベッカー領の雨乞い事件ほど極端でないにしても、農村という所は閉鎖的な地域です。都会の暮らししか知らない芸術家が、簡単にコミュニティーに溶け込めるものなのでしょうか?
婉曲な表現でそう尋ねてみると
「さあ、どうなのでしょう?」
とモニカ夫人は苦笑いされました。
「『田舎』と言えば閑静な保養地しか知らない人が、現実をどれだけ正しく認識しているか?農村には水道も下水道も通っていないし、家畜には信じられないくらいハエがたかる、とかわかってないと思うのですよね。生まれたての仔牛は可愛いとか、搾りたての牛乳は美味しいとか、良い事しか耳に入っていなかったみたいですので。無論『彼女』が聞こえの良い事しか言わなかったからですけど。」
「一緒に行かれなくて正解ですよ。」
とアルテ令嬢も言われました。
私もそう思います。
というか、一ヶ月くらいで田舎暮らしに挫折して、王都に戻って来そうな未来が見えます。
そうなったらどうするか?それはまあ、その時に考えましょう。
お二人が出て行かれた後、私は自分の家庭教師だった方の事を思い返していました。
相性が合うかどうかで、勉強がどれだけ捗るか、身につくかは全くと言って良いくらい変わります。それを私は身を持って知っています。
私に読み書きと計算を教えてくれた最初の家庭教師は、幼かった私には恐ろしい女性でした。
暴力こそ振るわれる事はありませんでしたが、私が問題を間違えると大きな音を立てて机を叩くので、私はいつもびくびくとしていました。
正解をするのは当然で、褒められる事はなく、間違えると厳しく叱られ、その年齢でこんな事もできないなんてと文句を言われ続けます。
今この年齢になると、幼い子供に延々と嫌味を言い続けていたあの女性は、ちょっとおかしかったのではと気がつきますが、当時の私に気づけるわけがありません。
ただ、先生が来られる日になると朝から辛い気持ちになって、朝食が喉を通りませんでした。
そんな私を助けてくれたのは、侍女のヨハンナとお兄様です。
ある日、いつもの勉強部屋にメイドが花瓶の水をこぼしてしまったというので、勉強する場所が図書室になりました。
広い図書室でも先生は、いつも通り机を叩き怒鳴り声をあげていました。
私が涙を堪えていると突然
「そこまで厳しく叱りつける必要はないのではないのか?」
と言ってエルハルトお兄様が本棚の陰から出て来られました。
「ヨハンナから報告を受けていたが、確かに貴女と妹では相性が合わないようだ。明日からはもう来なくていい。」
「小伯爵様!私は、奥様であるパウリーネ様に雇われて働いているのですよ!」
「君は、私よりパウリーネの方がこの家では偉いと思っているのか?」
「そうではありません。しかし、妹君の事を真にお考えになるのでしたら、甘やかしては決してなりませんわ。妹君を従順な真の淑女とする為には・・。」
「甘やかしたいんだ。」
「え?」
「年の離れた可愛い妹だから甘やかしたいんだ。」
「ですから、それはなりません!妹君の・・。」
「だから相性が合わないと言っている。私の考えに賛同できない教師は必要無い。もう一度言うが、君は妹にも私にも必要無い。私が辞めるよう言っていて、君が辞めたくないと思っているなら、君が私の考えに合わせ妹に親切に振る舞うべきだった。だけどもう遅い。ヨハンナ。先生はお帰りになられる。玄関まで送りなさい。」
その後、私はお兄様に抱きついて泣いてしまいました。
それからお兄様が新しく選んでくださった先生は、カロリーネ叔母様の友達の娘、という方でした。
お兄様は新しい先生に言われました。
「妹には学ぶ内容ではなく、学ぶ楽しさを教えてやって欲しいのです。」
先生は、その通りにしてくださいました。グラスボールを使って計算の練習をしたり、ぬいぐるみを使って歴史の物語の人形劇をしたり、正解すれば褒めてくださって、間違えても優しくわかるまで説明してくれました。何より常に満点をとる必要はない事を教えてくださいました。私は乾いた布のようにたくさんの知識を吸収する事ができるようになりました。
もしも、あのまま最初の先生に教わり続けていたら、私はどんな大人になってしまっていたでしょうか?
来て頂く事になった三人の先生方は、芳花妃ステファニー様のご推薦です。勝手にクビにできない相手だけに子供達と相性が合うと良いけれどと思っていましたが、何とか大丈夫そうです。
私は、ほっとして大きく息を吐き出しました。
これで一安心ね。
しかし、二日後。我が家で大騒ぎが起きたのです。




