エーレンフロイト邸へ(6)(テリュース視点)
正直、面会を申し込んでも断られるのではと思っていたが、断られなかった。
翌日の午前中、両親と僕とマルクはエーレンフロイト邸を訪ねた。両親は初めて。僕とマルクは三度目の訪問だ。
確かにマルクが言っていた通り、リーシアの髪はツヤッツヤになっていた。栗色の髪をサイドテールにしているがその髪型がリーシアに似合っている。リーシアのほっそりとした首にリーシアが動く度、結い上げた髪が流れるように動いて当たり、清楚なのに何処か艶かしくもあった。
こんなに綺麗な娘だっただろうか?と僕はびっくりした。髪が美しくなり顔立ちに似合う髪型をするだけで女の子はこんなに変わるのだろうか?
で。
エーレンフロイト姫君の方は・・。
昨日は一応令嬢らしく、ソファーに浅く腰掛け、背を真っ直ぐに伸ばし、足を揃えて座っていたのに、今日はソファーに深く腰掛け腕も足も組んで座っている。最早、僕達に敬意を払う気は一切無いらしい。
だらしない姿勢に不快感よりも恐怖を感じるのは、エーレンフロイト姫君の両眼から殺気がダダ漏れているからだ。
凶悪な海賊の人質にされて、海賊の足を蹴り折った。という噂を聞いた時は正直「嘘だろ」と思っていた。でも、今ならわかる。その噂は絶対本当だ。何か失言をしたら、今日は蹴りが炸裂するかもしれない。そんなエーレンフロイト姫君を見て、リーリエ夫人は叱りもせず涼しい顔でお茶を飲んでいる。
「ウツクシイアサデスネ。レベッカ・フォン・エーレンフロイトデス。」
この場で一番身分の高いエーレンフロイト姫君が、棒読みの挨拶をする。
少し顔を引き攣らせながら、父と母が挨拶を返した。
まず、打ち合わせ通り僕がリーシアに謝罪した。
リーシアは硬い表情で
「謝罪は受け入れます。」
と言った。許してくれる気は無いらしい。だが父は
「うん、うん。これで解決だな。」
とニコニコと笑って言った。我が父ながらポジティブな人だ。ちなみに笑っているのは父と母だけだ。
「だからリーシア。私の家に帰ろう。」
「・・・・。」
「おまえが大変だった事は聞いたよ。本当に辛かったね。だから、アルノーの所に戻れとは言わない。だけど、おまえはまだ未成年だ。親族の元にいなくてはならない。だから、うちへ来るんだ。私も妻もテリュースもおまえを歓迎している。」
「私・・ここにいたいです。」
リーシアは俯いて、小さな声で言った。
「そうか。そうか。しかし、ここにいつまでもいてもエーレンフロイト姫君も迷惑だろう。良くしてくださるからと言って甘えてはいけないぞ。」
「迷惑なんかでは、ありませんわ。」
とリーリエ夫人が言った。
「レベッカは勿論、私もアルベルもリーシアがここにいてくれて嬉しいと思っているわ。迷惑だなんてとんでもない。」
その言葉にリーシアは嬉しそうに微笑んだ。
しかし父は大袈裟なため息をついた。
「それは、勿論姫君や侯爵夫人はそう言ってくださるだろう。優しい御方だからな。だが結局のところリーシア、おまえの世話をするのは使用人達だ。その使用人達にしてみたら、突然やって来て長居をする客など迷惑以外の何ものでもないのだ。おまえも、もう子供ではないのだから想像力を働かせなさい。」
「未成年だと言ったり、子供ではないと言ったり、一貫性の無いお話です事。結局のところその話は、数ヶ月こちらの館に滞在をしている、私への嫌味なのかしら?」
リーリエ夫人が、微笑みながら殺気を放って来た。
「いえ、夫人。そんな・・。」
「あら、そう。良かった。だったら、リーシアが滞在するのも構わないわよね?」
父はその言葉には返事をせず、また大きなため息をついた。
「リーシア。私を困らせないでおくれ。」
父は悲しそうな声で言葉を続けた。
「アルノーやベロニカにひどい目に遭わされたおまえが、親族である私の元ではなく、エーレンフロイト姫君の元へ逃げ込んだなどと噂になったら、他人は私もおまえにひどい仕打ちをしていたのでは?と誤解するんだ。どうかお願いだからリーシア。私を困らせないで欲しい。」
気の弱いリーシアの事を父は巧みに追い詰めて行っている。リーシアは俯いて黙り込んでしまっていた。
「一つ聞きたい事があるのですけれど、よろしいですか?」
ずっと黙っていた、エーレンフロイト姫君が口を出して来た。
「ああ、どうぞ。」
「あなたは、リーシアを大切に思ってくれているのですか?」
自分の説得が功を奏したと確信したのだろう。父は満面の笑みを浮かべた。
「ああ、勿論大切に思っているよ。これからは私がリーシアを守ろう。」
「守らなくていいので、困ってくれませんか?」
「・・・え?」
「自分が困らないように、リーシアが我慢しろというのではなく、困っても構わないから好きなようにしなさい、と言ってあげてください。リーシアを大切に思っているのなら。」
「姫君!」
「リーシアは今まで我慢に我慢を重ね、辛苦の限りを経験してきました。これ以上我慢しろとは言わないであげてください。リーシアの為を本当に思うなら、家の名誉も自分の不都合もどうでも良いと言ってあげてください。自分が全部責任をとるから、好きなようにして良いよ、と言ってあげてください。」
父は真っ赤になって黙り込んでしまった。
駄目だ、これは。14歳の女の子に論破されてしまった。母は父の事を『政治家としての能力がある』と言っていたけれど、政治家でもない14歳に口で負けているようでは、政治家なんてとても無理だろう。
「貴族には貴族としての、責務というものがあるのです、姫君!」
「それはリーシアにではなくまず、リーシアの親に言ってください。そもそも『大変だった事は聞いたよ』って、誰に聞いたんですか?リーシアから直接聞いてください。」
「伯爵様!私は伯爵様の家には行きません!」
リーシアが顔を上げて叫んだ。
「伯爵様は、私の話を全然聞いてくれません。私は、ここに残りたいと言っているのに、最初からご自分が決めておられる事だけを押し通そうとしてきます。このまま、伯爵様の家へ行っても、何を言ったって無視されるに決まっています。だったら、父の所に居た時と全く同じです。でも、この家の人達は違います。ベッキー様もリエ様も、私がどうしたいか聞いてくれます。何がしたいか、何が欲しいか聞いてくれるんです。私は伯爵様の家には行きません!」
「リーシア!伯父様に何て口を聞くの。あなたは人を思いやれる優しい子だったはずでしょう。」
母が悲しそうな声でそう言った。
「夫人。」
とドスの効いた声でエーレンフロイト姫君が言った。
「夫人はリーシアが一番好きな事は何かご存じですか?」
「え・・ええ、勿論。リーシアが好きなのは勉強よ。ねえ、そうでしょう?」
「リーシアが一番好きな事は、おいしいものを食べる事ですよ。」
リーシアが側で、うなずいている。
「そんな事も知らないで、『昔はこうだった』的な発言はやめてください。今朝のサラダにのっていた生ハムよりも薄いですよ。信憑性が。」
「なっ!」
「お二人は、リーシアを連れ帰りたい。リーシアはここへ残りたい。お互い妥協できずに平行線ですよね。ならばいっそ、裁判を起こして国王陛下に決めて頂きませんか?」
両親が蒼ざめた。裁判になどなったら、リーシアがエーレンフロイト家の寄子となろうとしている事がディッセンドルフ家にばれてしまう。
それがばれたくないから、リーシアを急いで連れ帰ろうとしているのに、ばらされた後リーシアを連れ戻せても本末転倒だ。
「リーシア!」
焦った父が大声を出した。
「おまえは、そんな真似をして本当に良いと思っているのか⁉︎」
「子供の前で大声を出さないでちょうだい。話し合いで答えが出ないのなら仕方ないでしょう。まあ、陛下もお忙しい方だから、裁判は13議会の新メンバーが決まった後の事になるかもだけど。」
リーリエ夫人が口を挟んだ。夫人はわかっているのだ。父がリーシアを連れ帰りたいのは、13議会絡みだという事を。
「わかったわ。リーシア。一旦この話は保留にしましょう。まず、一回家に帰ってから、それからどうしたら良いのかゆっくり話し合いましょう。ね。」
と母が言った。こう言ってはいるが、家に連れて帰ったら、監禁して二度と外には出さないだろう。リーシアが反抗すれば暴力を使ってでも抑え込むはずだ。
もう聞いていられなかった。
父も母も結局はアルノーとベロニカ夫人と同じだ。考えているのは自分の事だけ。リーシアの事など何も考えていない。リーシアの気持ちも幸福もどうだって良いのだ。
何故、ここまでリーシアは虐げられなくてはならないのか?リーシアにだって、幸福になる権利があるはずなのに。
「リーシア。ここにいたらいい。僕が許可するよ。」
僕が言うと、父は目を剥いて怒った。
「テリュース!おまえ何を言っているんだ!」
「僕は成人しているから、未成年の親族の後見人になれるよね。僕が、後見人になって許可するよ。リーシアがここにいる事は誘拐でも監禁でもない。僕が保証する。」
「やめんか。テリュース!」
「父上!僕は裁判なんて嫌なんです。父上と母上が有罪になって、ハイドフェルト男爵夫婦のように公共広場で鞭で打たれるところなんか見たくない。本来なら裁判沙汰になって当然の大事件を、リーシアがここに残る事を認める事で訴えないでいてくれるんです。その事実に感謝しましょう。エーレンフロイト姫君。リーシアをよろしくお願いします。」
ここに残る事でリーシアは不幸になるかもしれない。
でも、僕の家に連れ帰ればリーシアは確実に不幸になる。押し付けられた運命で不幸になるよりも、自分自身の選択で不幸になった方が絶対にマシなはずだ。僕はそう思う。
「はい。お引き受けします。」
姿勢を正して、エーレンフロイト姫君が言った。
「レベッカ、リーシア。後は大人同士で話をするから、二人はもう下がりなさい。」
とリーリエ夫人が言った。二人が立ち上がると
「待て!」
と叫んで、父がリーシアに掴みかかろうとした。しかし、その伸ばした腕を、僕と同じくらいの年頃の女性騎士が押さえつけた。
関節技をかけられ
「この無礼者!痛ててててっ!」
と叫ぶ父は、本当に見苦しいと思った。
「マルク。僕らも帰ろうか。」
と僕はマルクに言った。
エーレンフロイト邸を出ると、夏の陽射しが眩しく僕は目を細めた。
「私をクビになさらないのですか?」
とマルクが聞いてきた。
「世の中、嘘つきばっかりだからな。本当の事を言ってくれる相手はありがたいよ。これからも、騙されやすい僕の事を支えてくれないか?と言っても、僕があの両親の息子をクビになるかもしれないが。」
「あなたはなりませんよ。あなたは一人息子で、あなたを廃嫡すれば旦那様の弟君やそのご子息方が後継の座に着く事になります。そのような事が旦那様に我慢できるわけがありません。だいたい更迭されるとしたらアルノー様の方が先でしょう。今のデューリンガー商会に、働きもしない高給取りを雇い続ける余力はありません。」
「それも、そうかー。」
リーシアもこれでいくらか溜飲を下げてくれるだろうか?と、僕はぼんやりと考えた。
君のこれからの未来が少しでも幸福なものになる事を願うよ。空を見ながら僕はそう思った。
テリュース編終了です。リーシアの話はこれで一区切りです。
リーシアのろくでもない親との対決は、伝染病終了後に予定しています。
次話からまたアルベルティーナ視点の話に戻ります。家庭教師登場です。
頑張って書いていこうと思っていますので応援よろしくお願いします^ ^




