新しい家族達(13)(アルベルティーナ視点)
私は書斎に行き、ステファニー様への書きかけの手紙の続きを書き始めました。
書く事が急に増えました。
仲間がいた方が勉強は絶対に捗るものなので、元々ユリアとコルネは一緒に家庭教師に学ばせるつもりでいましたが、へレーネ嬢とリーシア嬢も加わると追加で書いておかねばなりません。二人の事情も簡単に書いておきました。複雑な状況下にいた子供達なので、大声での恫喝や体罰は絶対にしないで欲しい。とお願いしておきました。
コンコン。とドアをノックする音が聞こえて来ました。誰かと思えば執事です。
「奥様にお客様でございます。」
「お客?今日、誰か訪問の予約があった?」
「いえ。突然の訪問をお許し願いたい。との事でございます。」
「誰なの?」
「キューネ卿の次男、ロンバルト・フォン・キューネ様と義理の妹のミレジーナ令嬢です。」
「!」
私は立ち上がりました。
「旦那様がいらっしゃらないこの屋敷に、本来なら面会予約の無い客は絶対入れないところですが、今日立て続けに起こっている一連の状況から考えるに、ミレジーナ令嬢は中にお入れした方が良いのではと勝手に判断致しました。」
「素晴らしい判断よ。すぐに会うわ。ミレジーナ令嬢はどのような感じ?体調を崩していそうとか、不自然な怪我があるなんて事はない?」
「正直よくわかりません!義理の兄上の上着を頭から羽織っていて表情が窺い知れないのです。ただ・・・。」
「ただ?」
「アルベル!」
廊下を執事と歩いていると、リエとメグに声をかけられました。
「三人目が来たって?私達も同席していい?」
「勿論よ。リエ。キューネ卿の息子がシュテファリーアラントに留学してるって言ってたけど、長男?それとも次男の方?」
「長男よ。次男はまだアカデミーの高等部に通っているはずよ。」
「何か話の途中だったみたいだけど何を話していたの?」
とメグが聞きました。
「何を言いかけたの?」
と私は執事に聞きました。
「はい。あの・・。応接室へお通しする時、頭に被っていた上着の袖がドアノブに引っかかって上着がバサっと床に落ちたのです。慌てて拾って、またミレジーナ令嬢は頭に被られたのですが、その時一瞬見たミレジーナ令嬢の髪の毛がとても短かったのです。」
「髪を切っていたって事?」
「いえ、あれは、切ったというより・・刈ったというか・・剃ったというか。」
「・・・。」
ミレジーナ嬢は、ゆるくウェーブのかかったミルクティーのような色の髪色をしていました。
針のように真っ直ぐな黒髪の私は、心の中で羨ましく思っていました。あの髪を剃った?いったい、何があったの?
私は応接室へ入りました。
コンラートと同じくらいの年齢の少年が、ソファーに座る事なく立っています。その横には、平民が着るような安っぽい服を着た少女が、上着を頭に引っ被って立っていました。あらかじめ執事に聞いていなかったら、きっとびっくりしてしまったでしょう。
「アルベルティーナ・フォン・エーレンフロイトです。どうぞ、おかけになって。」
「ロンバルト・フォン・キューネと申します。美しい午後の日でございます。突然押しかけて参りましたのに、このように時間をとって頂き心から感謝します。」
そう言って、ロンバルトはミレジーナの方に視線を移しました。
「義妹のミレジーナです。このような姿で申し訳ございません。義母にズタズタに髪を切られてしまい、とても人にお見せできる姿ではないのです。」
「髪を切っただなんてどうして?」
「わかりませんが、売って金にするつもりなのではと思います。家族には内緒にしていますが、しょっちゅう銀行の人間に会っていますから。商売が上手くいっていないのだと思います。」
忌々しげな顔をして、ロンバルトは言いました。
「伝染病が流行り出して以来、義母がやっている商売は上手くいかなくなりました。いえ、本当はその前から、あまり上手く行っていなかったのです。女性達の髪を結ったり、爪色を染めたり、高い化粧品を売ったり、そんな商売をしていましたが最近では同じような店が増えて、客足が遠のいていました。義母は貴族の知り合いが少ないくせに、平民は出禁にしていましたから。」
知っています。そういう商売をしていた事も。貴族女性しか相手にしていなかった事も。その商売が上手くいってなかった事も。
「だけど、我が家には湯水のように金を浪費する人間がいますからね。そいつに、好きなだけ金を使わせてやる為、あの女は金が必要としていました。それで、義妹の髪を売る為、根本から切り刻んだんじゃないかと思います。自分の髪を売ればいいのに・・・。」
「・・・。」
「どうかお願いします。侯爵夫人。義妹をしばらく預かって頂けないでしょうか?このままでは、義妹はあの女に食い潰されてしまいます。」
「・・それは、『虐待』を受けているという事かしら?」
「『虐待』の定義が何なのか、僕にはわかりません。ハイドフェルト令嬢のように、殺されかけたわけでも、鞭で打ちすえられたわけでもありませんから。何があったのかと聞かれても、そんな事と言われそうなほど小さな事ばかりです。でも、義妹は、そして僕も、もう表面張力ギリギリまで水を入れられたコップのようにギリギリなんです。たとえ首を切り落とされなくても、少しずつ少しずつ、身体中の肉を削がれていったら、死ぬ事はなくても生きていけません。」
例えの残酷さにゾクッとしました。そういう刑罰が存在する国がある事は知っています。
大袈裟な事を!とは思いません。キューネ夫人はそういう人です。私に対しても殴りつけてきたり殺そうとしたり。そんな事は決してしてきません。ただただ、ねちねちと嫌味を言ってくるだけです。でも、いつもいつもそうされると、とてもダメージを受けます
それが毎日毎日、朝から晩まで続くとなるとやっていられないでしょう。
それにだいたい、女の子の髪を切り刻む、という行為は決して小さな事ではありません。
「辛かったわね。」
と言って私は、ミレジーナ嬢の肩に手を置きました。ミレジーナ嬢は黙っています。でも、上着で4分の3隠れている顔の僅かに見える部分に、幾筋も幾筋も涙が伝っていました。ミレジーナ嬢の肩は小さく震えていました。
「ミレイ様!」
と叫びつつ、レベッカが部屋に入って来ました。執事が呼んで来てくれたのです。ユリアとコルネも一緒に部屋に入って来ました。
レベッカは、ミレジーナ嬢を抱きしめました。ためらわずにそうする姿に、へレーネ嬢やリーシア嬢にもそうしたのだろう、と思いました。
「・・ベッキー様。手紙のお返事書かなくてごめんなさい。すぐに来なくてごめんなさい。この髪を見られたく・・なか・ったんです。」
ミレジーナ嬢は涙声でそう言いました。
「恥ずかしかった。・・鏡に映る自分の姿が。それに、母親に愛してもらえない事が。そんな子供私だけです。みんな、優しいお母様がいるか、亡くなっているかなのに。世界中で私だけが・・・。」
「そんな事ない!」
叫んだのは、私の横に立っていたメグでした。
「そんな子供はいっぱいいるわ。私もそうだったの。子供を本気で憎んでいる母親はいくらでもいる。でも恥ずかしく思うべきなのは親の方よ!あなたは何も、恥ずかしく思う必要はないわ。」
「思うに、あなたの髪を切ったのは、あなたが外部に助けを求める事が出来なくなるようにさせる為でもあると思うわ。卑劣な奴って、悪知恵だけはよく働くのよ。」
とリエも言いました。
「私、お母様を殺してやろうと思っていました。」
ミレジーナ嬢がそう言ったので、私はギクっとしました。
「ピアノ室の掃除をするよう言われて、掃除をすませた後、ピアノを弾いてみたくなって、私ピアノ大好きだから。でも、弾いていたらお母様がすごく怒って、ハサミで私の髪を切って、その時言われたんです。『調子に乗って浮かれた真似をしているんじゃないわよ!私は金に汚い親に、汚い老人に売られてしまった。私は不幸にさせられたんだから、おまえはもっと不幸になるべきだわ。お前なんか、この世で一番下劣な男の慰み者にさせてやる。それとも変態な男を顧客にしている娼館に高値で売ってやろうかしら。おまえが二度とヘラヘラと笑えないようにしてやるから!』
私・・死んだお父様大好きだったんです。ハンサムじゃなかったし年をとっていたけど、ものすごく優しかった。お母様にも優しくて、お母様が欲しいと言うものは、どんな高い物でも買ってあげていたのに。そんなお父様の悪口を言うなんて・・・。別に私、ヘラヘラとなんか笑ってない。幸せになりたいわけでもない。ただ普通に暮らしたいだけなのに、でも、お母様が生きている限り私は『普通』になれない。それならもう死んでしまおうかと思ったけれど、私が死んでもお母様は痛くも痒くもないだろうし、お母様は『普通』に生きていくんだと思うと悔しくて、だからお母様を殺してやろう。私の髪を切ったあのハサミで殺してやろうと思ってハサミを探してて、そしたらロンバルト様が『これ以上、ここにいたら駄目だって。エーレンフロイト家に行くんだ』って。そこで『普通』に暮らすんだって。そう言われて・・私、もう一度だけ『普通』に暮らしたいって、そう思ってしまった。もう、私は何もかも普通じゃないのに・・・。」
私は何て言ってあげたら良いのかわかりませんでした。「そんな事を言ったら駄目!」と言ったら、この子を傷つけるでしょう。でもまさか「殺しちゃえば良かったのに」と言うわけにはいきません!
悩む私の前で、レベッカはぽんぽんとミレジーナ嬢の頭を叩きました。
「良かった。」
そう言ってレベッカは微笑みました。
「ミレイ様がお母様を殺す前にここに来てくれて。立ち止まって考えてくれて。ミレイ様に、こうやってまた会う事ができて。本当に良かった。とても嬉しい。」
「ベッキー様・・・。」
「ミレイ様がお母様を殺してしまっていたら、もうきっと二度と会えなくなってしまった。また会えて良かった。わかっているよ。お母様を殺したかったのでも、自分の命を終わらせたかったわけでもない。苦しみを終わらせたかったんだよね。苦しかったね。辛かったんだよね。」
「うわあああああ!」
ミレジーナ嬢は声を上げて泣き始めました。
「親に愛されないのは辛いよね。自分を愛してくれる母親がいないのは辛いよね。でも、ミレイ様には私がいる。世の中には、友達が一人もいないって人もいる。たとえ死んでしまったとしても、誰にも泣いてもらえない人もいる。でも、ミレイ様には私という友達がいる。ミレイ様に何かあったら私は泣くよ。大泣きする。」
ミレジーナ嬢は、ますます大きな声で泣き始めました。私も、もらい泣きしてしまいそうになりました。メグは既に号泣です。
「私も、ベッキー様にお会いするまでは毎日毎日辛くて死んでしまいたいと思っていたんです!」
「私もベッキー様に道で偶然お会いしなければ、川に飛び込んで死んでいました!」
ユリアとコルネがそう言って、ベッキーにしがみつきました。なぜ、このシチュエーションであなた達は、張り合っているんですか⁉︎
「わ・・私みたいな、本気で親を殺そうと思った人間、許されていいんでしょうか?」
「行動は自由ではないけれど、思想は自由だよ。というか、今私はミレイ様のお母様を心の中で既に五回殺したよ。思っただけで罰を受けるなら、私ヤバいね。」
気持ちはわかりますが、五回は多すぎですよ。どんな方法で?とはちょっと恐ろしくて聞けませんね。
私はロンバルトの方を振り返りました。
「妹さんの事は任せてちょうだい。責任持ってお預かりするわ。」
「あなたはどうするの?」
とリエがロンバルトに聞きました。
「死んだ母方の祖父母のところへ行きます。」
「あなたのお母様は確か、アズールブラウラントの方ではなかった?」
とリエが聞きました。今、アズールブラウラントとヒンガリーラントの国境は封鎖されています。
「自分と兄の事を心配して、家督を息子に譲りブルーダーシュタットに移動して来てくれているのです。母が死んで二ヶ月で父が再婚したので、祖父が怒ってしばらくは我が家と縁を切っていたのですが、二年前からまた僕と兄と連絡をとり合うようになりました。」
「そう。伝染病がどうなっていくかわからないから気をつけてね。」
「大丈夫です。自分もミレジーナも種痘を受けていますから。」
「あの・・。」
とユリアがロンバルトに話しかけました。
「ブルーダーシュタットに行かれるなら、父と伯母に手紙を届けて頂く事はできますか?」
「ああ、かまわない。これから銀行に行って、預金をみんな引き出して来るから戻って来るまでに書いておいてくれるなら。」
「わかりました。」
「さて、ミレジーナさん。」
リエが、ミレジーナ嬢の顔を覗き込むようにして言いました。
「私、外国に住んでいて、ヒンガリーラントと往復するのに、鏡が無い宿屋に泊まったり、急に知り合いの家に呼ばれたりとかいろいろあるから、ドレスや帽子と一緒にかつらもたくさん持っているの。便利で良いのよ。朝、寝癖がついてても直さなくていいし、急にお茶会に呼ばれても、凝った髪型で行けるし。もし黒髪のかつらでも嫌でなければ貸してあげる。いろんな髪型のがあるのよ。くるんくるんの縦ロールとか、前髪パツーン、横髪もパツーンの超ロングとか。」
「・・う、嬉しいです。私、ベッキー様の髪色に憧れてて。」
「じゃあ、私の部屋に行きましょ。」
「いいなあ。」
とコルネが言いました。
「私も黒髪に憧れているんです。」
「そうなの?じゃあ、コルネもいらっしゃい。」
そうリエが言うと、ものすごくユリアが悔しそうな顔をしました。でも、ユリアは急いで手紙を書かなくてはならないので
「私も!」
とは言えないのです。
「私は、へレン様とリーシア様の様子を見て来るよ。」
とレベッカは言いました。
「お二人も来ておられるのですか?」
とミレジーナ嬢が言いました。そういえば、それを言ってなかったですね。
「ああ、うん。・・二人もいろいろあってね。後でゆっくり話すから。」
と言ってレベッカは部屋を出て行きました。