畑作り(1)
大陸歴314年。春。
私が住む国、ヒンガリーラントの隣の国トゥアキスラントで天然痘患者が発生した。
トゥアキスラントは我が家の領地、エーレンフロイト領の隣にある領地だ。お父様は領地の防疫対策をする為、護衛騎士達と一緒に領地へ戻って行った。
王都に残ったお母様は、お父様の事が心配で心配で、ものすごく神経質になっている。私も領民の事はとても心配しているが、正直お父様や領地の管理人のカイの事は心配していない。
なぜかと言うと、過去世でお父様もカイも天然痘には感染しなかったから。
そう。実は私、レベッカ・フォン・エーレンフロイトにとって大陸歴314年という時間を過ごすのは二度目なのだ。
一度目の大陸歴314年は悲惨な年だった。
一度目の時も、お父様は領地へと春に戻って行った。そしてその最中に、天然痘はエーレンフロイト領にも発生。エーレンフロイト領には、伝染病患者や濃厚接触者を隔離する為の病院や施設があるが、そこを出入りする騎士達に感染が広がり、結局流行を抑えきれず、あっという間に領地中に広まった。結局、どれくらいの数の領民が病死したのか私は知らない。まだ子供だからと、あまり詳しい情報を教えてもらえなかったのだ。私もあえて聞かなかった。そもそも領地全体でどれくらいの領民がいるのかさえ、過去世の私は知らなかった。
お父様はそのまま、夏が過ぎ秋になっても戻って来なかった。その間に天然痘は王都内でも流行した。そして私と弟のヨーゼフも感染した。お父様が王都に戻って来たのは、ヨーゼフが死んだという連絡をした後だった。
天然痘患者は、減ったり増えたりをしながら、何波にも渡って国中を蝕んだ。
経済が停滞し、流通が止まり、農民の数も減り、食べる物が亡くなってたくさんの人達が飢えて亡くなった。大陸歴314年の終わりには、王都内でも餓死者が出ていたはずだ。
天然痘が終息したのは大陸歴317年の事だった。その三年間で王都でもエーレンフロイト領でも数えきれないほどの餓死者が出た。
そしてその翌年。大陸歴318年に私は死んでしまった。死因は病死でも餓死でもない。何者かに殺害されたのだ。天然痘にかかっても生き延びたのに、終息して一年で殺されてしまうなんて我ながら運の無い話だ。ただ、後遺症に苦しんでいた身で長生きをする事が幸せだったのかどうかは、今となってはわからない。実際その頃は毎日、弟の代わりに自分が死ねば良かった。と思っていた。
そしてその後、私は地球の日本で『文子』という名の子供として、おぎゃぁと生を受けた。
ファンタジー小説に出て来る魔物が、レベルアップすると怪我や欠損が無くなるみたいに、健康状態はリセット。
元気いっぱいになった私はすくすく成長し、毎日学校に通い友達も出来て、友達と遊んだりバイトに励んだりしてけっこう楽しく暮らしていた。
様々なバイトに励んだ私だったが、そのうちの一つが農繁期の農家のお手伝いだ。
田舎の街で暮らして私の周囲には、広い農地があり、イノシシやらイタチやらサルやらヌートリアやらがうじゃうじゃいた。
私の一番の親友の家が農家だったので、そこで働かせてもらい、完熟のトマトやらキウイやらを食べさせてもらったのは楽しい思い出である。
しかし、そんな楽しい生活もまた18年で終了。社会問題になっていた自動車の逆走事故に巻き込まれたのだから、本当の本当に運が無い。
ところがその後、再び私はレベッカの人生に回帰しヒンガリーラントに戻って来た。
戻ったのは、大陸歴311年の秋だった。
三年後の天然痘の大流行の前に、出来る準備はしておこうと私は頑張った。何をしていたのかというと、コツコツコツコツお金を貯めて米やら芋やらを大量に買っておいたのだ。とりあえずこれでエーレンフロイト領の領民は、病気で死ぬ事はあっても飢えて死ぬ事はなくなるはずだ。たぶん。
レベッカに戻って来れて、家族や使用人さん達と再会できたのはとても嬉しかった。だけど、正直に言えば日本での暮らしが懐かしくなる事もある。学校の友達。満開の桜の小路。乗り心地の良かったバスや電車。エスカレーターやエレベーター。エアコンに冷凍冷蔵庫に炊飯器。読みかけの漫画。水曜九時にやっていた刑事ドラマ。そして何よりおいしい食べ物!
コンビニで売っていたシュークリームやチョコレート菓子。炭酸のジュースに緑茶に烏龍茶。お湯を注いで三分で食べられるラーメン。鯖の味噌煮に醤油味の唐揚げ。生で食べられる卵。なぜこんなに?と謎なほど柔らかいお肉。やたら糖度の高い野菜やたくさんの種類の果物。いかん。思い出すだけでよだれが・・・。
今は日本で食べていたおいしい物を考えている時ではない。
健康を保ち、飢えて死ぬ事さえなければ良し、と考えなくてはならないのだ。だが、いくら過去世の記憶があるといっても、私の出来る事など微々たるものだ。王都の人口は50万人以上いる。人間は一年間で、飲料も含めてだが1トンくらい物を食べるらしいので、とてもではないが全王都民の為の食べ物をどうにかしてあげる事はできない。だが、自分の身近にいる人達の分くらいはどうにかしておくべきだ。
エーレンフロイト家の館で働いてくれている使用人さん達の分はもちろん、私が支援している孤児院の子供達が飢えて死んだり、飢えて犯罪に走ったりしないよう、子供達の分も。
エーレンフロイト領に天然痘が発生した。と聞いた私は、お母様に頼んだ。
「我が家の庭に、孤児院の子供達に手伝ってもらって野菜畑を作りたいの!」
「駄目です。」
お母様の返事はにべもなかった。
「まず理由を聞いて!」
「駄目なものは駄目です。信頼できない人間が庭に出入りし何かを植える事ができる状況がどんなに危険か、あなたも知っているでしょう。」
「孤児院の子供達は、信頼できない人間じゃないよ!私もしっかり様子を見ておくしさ。」
「信頼できるかどうかを判断するのはあなたではありません。旦那様です。アカデミーに戻れず暇なのはわかりますが、それなら刺繍やピアノの練習をしなさい。」
「刺繍じゃお腹は太らない!来るべき食糧危機に向けて、芋や野菜が作りたいの。」
「この館がある王城特区は、王城の一部なのです。そこに平民を出入りさせる事には慎重にならなくてはなりません。その平民が悪人でなかったとしても、邪悪な貴族がその平民を利用しようとしたら平民は抵抗できないのです。」
「・・・。」
お母様の言い分もわかる。人は善なる存在ではない。悪い奴が世の中には一定数いる事も様々な経験からわかっている。何せ昨年は、様々な事件に巻き込まれ、三回も司法省の職員さんから事情聴取をされたのだ。残念ながら我がエーレンフロイト家は、『アウグスティアン』と呼ばれる悪党に、絡まれやすい一族なのだ。お父様がいない状況で、お母様が神経質になるのも一応わかる。
私はしょぼぼん、と肩を落とした。いつ戻って来るかもわからないお父様を待ってはいられない。それに、お父様だって畑を作る事を許可してくれるかはわからない。
肩を落とした私にお母様は言った。
「だから、もしも畑を作りたいのなら第二地区の別邸の庭にしておきなさい。」
「・・・え。」
「この屋敷の庭には遠く及びませんが、それなりの広さはあります。ユーバシャール孤児院は第二地区にあるので、あちらの方が子供達も歩いて通って来やすいでしょう。そもそも。食料が不足していく事が予想されるこの王都で、貴重な種を広い畑に植えて全部枯らした、とかなったら洒落になりません。あなたは、農作業など今まで一度もした事がないのですから、まずは小さな畑に少しだけ種を蒔き、野菜が無事収穫出来たなら少しずつ畑を広げていきなさい。」
「お母様。ありがとーっ!」
私はお母様にガバっと抱きついた。お母様は
「やめなさい、熱苦しい!」
と、反応が冷たい。
「その代わり二つほど約束しなさい。まず、畑仕事などやりたくない。という子供を強制的に参加させない事。どんなに好きになろうと努力をしても虫やミミズやカエルが苦手、という人間もいるです。それに、農家に生まれて口減しで捨てられたという子供は、畑を見ると心の傷が開いたりもするでしょう。そんな子供に強制をしないように。もう一つは、ピアノや刺繍の練習もする事。午前中は、お勉強やピアノや刺繍の練習をしなさい。畑仕事をして良いのは午後だけです。」
「これから夏になって行くし、農作業は涼しい午前中の方が・・。」
「駄目です!午前中に行くとあなたはきっと夕方まで帰って来なくなります。勉強が先で、自由時間の方が後です。」
「わかりました。」
なんとか出た許可である。ここでゴタゴタ言うとお母様の気が変わるかもしれない。
しかし!
ふふふふふ。と私は心の中で笑った。
お母様は知らないけれど、私は日本にいた頃農作業をした経験があるのだ。
大量のレタスやコマツナを収穫してお母様をびっくりさせてみせる!
私は心の中でガッツポーズをした。




