森の影(8)(ルートヴィッヒ視点)
「なぜ、それを真っ先に言わなかった⁉︎」
「わたくしが情報の収集と報告を命じられていたのは、アーレントミュラー公子の状況です。アーベルマイヤー家やエーレンフロイト令嬢の状況ではありません。」
「・・・。」
つまりこいつは、いろいろな情報を知っているけれど基本聞かれた事にしか答えない。って事か!
何を聞くか何を聞かないか?それを僕はグラウハーゼと父に試されているのだ。
僕は今すぐ部屋を飛び出して行って、アーベルマイヤー伯爵夫人に詰め寄ってやりたかった。
それをしなかったのは、ただ単に今が夜で、もう伯爵夫人が家に帰っている時間だからである。
それに、そんな事を言っているという確かな証拠が無い。詰め寄ったところで、しらばっくれられるに決まっている。悪意を持って噂をばら撒く奴とは、そういうものだ。
僕は深呼吸した。
父上はグラウハーゼの情報は信頼して大丈夫だ。と言った。だからアーベルマイヤー家が責任を回避する為、レベッカ姫に濡れ衣を着せようとしているというのは事実のはずだ。
そしてそれが事実なら絶対に許せない!
一年前の、手紙事件の時は僕は泣き寝入りした。許せない行為ではあったが、レベッカ姫の名誉を毀損する行為ではなかったからだ。
だが、今回の行為はレベッカ姫の名誉を著しく毀損する行いだ。絶対に許せない。許しても泣き寝入りしてもいけないのだ。
だからと言って、怒鳴り込みに行ってもどうにもならない。
父上は、冷静になり時間を置いて思考する癖をつけろ。と僕に言った。その為に、グラウハーゼをつけてくれたのだ。
「グラウハーゼ。新たな命令だ。アーベルマイヤー家がレベッカ姫を中傷しているという証拠を調べてくれ。」
「承知致しました。」
「最新の情報が常に欲しい。毎日報告に来てくれ。」
「では、また明日夜九時に伺います。」
グラウハーゼは一礼し、ドアから出て行こうとした。だが、ドアの前で一回振り返った。いつの間にか両手に黒ウサギと白ウサギのパペット人形をはめている。
『では、また明日。王子様。おやすみなさい、良い夢を。』
『あんまり怒ってばっかりいると、頭の血管切れちゃいますよ。ぶちいっ。』
今、今日で一番切れそうになった。
次の日。
突然、父である国王にお茶会に誘われた。
珍しい事である。だけど、アーベルマイヤー家の仕業について父上から何か情報を得る事ができるかもしれない、と思って嬉しかった。もしも父上が何もご存じなかったら、さりげなさを装おって父上の耳にお入れしよう。
「他に誰か招かれているのか?」
「アーベルマイヤー伯爵夫妻が招かれております。」
と侍従は言った。一瞬、頭に血が上った。脳内で黒ウサギと白ウサギが『落ち着いて、落ち着いて』『深呼吸しよう。スーハースー』と語りかけてくる。
グラウハーゼに
「明日の正午、一回報告に来い。」
と言えば良かった。アーベルマイヤー夫妻に会う前に、少しでも何かの情報が欲しかった。こんな時、すぐにグラウハーゼを呼び出したり会話が出来たりする『魔法の道具』とかあれば良いのになあ。と思う。
だけどなぜ父上は急にアーベルマイヤー夫妻をお茶会に呼んだのだろう?そして、その場に僕を呼んだのだろう?
昨日の一件で、アーベルマイヤー家に罰を与えてくれるのだったら良いのに。と思った。ただ、そうなった場合、フィルも連座になってしまう。それを思うとやっぱり罰を与えないで欲しいとも思う。心の中は複雑だった。
お茶会の会場は王宮の中庭だった。今の季節はちょうどバラの花が満開になる。この場所は父上がお気に入りの家臣をお茶に誘う場所だ。
父上と一緒にお茶を飲んでいる。という栄誉が王宮中の人間にわかる場所だからだ。その反面、手入れされた庭には潜む場所が無い。その為会話を誰かに盗み聞きされる可能性は無い。
僕が中庭に着くと、父上が既にテーブルの側に座って待っていた。アーベルマイヤー夫妻はまだだ。
「エーベルリン家のゲルハルトがエーレンフロイト領から戻って来たそうですね。何か報告はありましたか?」
「いや、まだだ。王宮に報告に来るよう言ってあるが体調が悪いらしい。」
「体調が悪い?城壁の外での検疫は通過したのでしょう?どこが悪いのですか?」
「さあな。機嫌じゃないのか。」
それは『体調が悪い』とは言わないのではないだろうか?王族の呼び出しを拒否するとはずうずうしい奴だ。
そこに、アーベルマイヤー夫妻の到着が伝えられた。父上が席に座るよう勧めると、優雅に挨拶をして夫妻は席に着いた。
アーベルマイヤー夫妻は美しい夫婦だ。伯爵は色が白く、中年になって少し腹とアゴがたるんできたが、それでもまだ十分美男子だった。
そして伯爵夫人は、バラのように美しく華やかでハイセンスな女性だ。彼女は自分が美しいという事をよくわかっている。そしてその美しさが最大限引き出されるような、化粧、髪型、服装をしていた。一見清楚でありながら、豪華な刺繍の施されたドレスは彼女の象牙のような肌の美しさを引き立てている。さすが王宮の衣装室侍女長だけあって、彼女のファッションは洗練されており、とてつもなく優雅だ。そのぶん、金もかかっている。
この女は、どんな服を着ればその女性が最も美しく見えるか、あるいは無様に見えるかをよくわかっている。そしてその卓越したセンスを駆使して、自分が気に入らない女に嫌がらせをするのだ。
見た目は美しくても内面は薄汚い女だ。
「お招きありがとうございます。陛下。昨日はとても心が痛む事があり、私も主人も気持ちが沈んでおりましたの。なので、ご招待とても嬉しかったですわ。」
と夫人が言う。心が痛むから何だというのだろう。群衆雪崩に巻き込まれた人達は怪我した傷がひどく痛むはずだ。
「令嬢が大変だったという話は聞いている。だが、若いうちはいろいろと失敗をするものだ。そこから新しい事を学んでいけば良い。昨日の令嬢の行いについて責任を問う気ははない。この度の一件で、令嬢が人間として成長してくれる事を期待する。」
「まあ、ありがとうございます陛下。陛下のお優しいお言葉、とても嬉しゅうございますわ。」
伯爵夫人が出てもいない涙をハンカチで拭った。
甘い!
と、僕は怒りに震えた。
百人以上の怪我人を出した騒動だ。今日の新聞は、貴族と政府への批判がすさまじかった。それでも新聞の論調はまだ控えめな方だろう。実際には酒場やら他の場所で、王都民の怒りと不満が大暴風を起こしているはずだ。
それなのに、何も責任を問われないだなんて。まさか父上は、レベッカ姫が暴動を煽動したという嘘を信じ込んでおられるのだろうか?
「それにしても美しい庭ですね。」
「本当に。何てバラの花がかぐわしいのでしょう。」
と伯爵夫妻が言う。そんな二人に父上は穏やかな声で言った。
「伯爵は13議会を、伯爵夫人は衣装室侍女長を辞任しなさい。」