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エーレンフロイト領の戦い(12)(フランツ視点)

それはリヒトが戻って来てしばらく経った頃。

王都から使者がやって来たのだ。使者はキルフディーツ領を通る陸路ではなく、ブルーダーシュタット経由の海路からやって来た。エーレンフロイト領の船がブルーダーシュタットの港に入ろうとしたら拒否されるが、エーレンフロイト側では、まだ天然痘発症者のいないブルーダーシュタットからの船は拒否していない。だから、普通に入港させた。


使者は、司法大臣の親戚の貴族だった。

司法大臣の名はガルトゥーンダウム伯爵といい、13議会のメンバーの一人だ。バリバリの『王妃派貴族』でディッセンドルフ公爵の右腕と言ってもよい。

その威光をかさにきて、使者はふんぞり返っていた。


王都からの使者なので、私とリヒトの二人で使者を迎えた。

使者のハインリヒ卿は領館の敷地内に入るや否や、目の前の光景に顔を顰めた。目の前の光景というのは、アジやイワシやニシンやキスがヒラキになって、大量に天日干しされている光景である。魚をあまり見た事がないのであろう。その匂いに、吐きそうな表情になってハンカチで口元を抑えていた。


優美さを持って美徳とする貴族社会で、20代のハインリヒは一応美男子の括りに入るとされている。しかし私は男の顔の皮になど興味は無いし、仮にハインリヒがジークレヒト級の美男子だったとしても、傲慢さと田舎への蔑みをはっきりと表情に出しているこいつに好感を持てるはずがなかった。


ハインリヒは私達の前でもったいぶって巻物を広げた。巻物の封蝋には王室の印が押されているので、王室からの正式な公文書である事がわかる。

そこにはこんな文言が書かれていた。


『ヒンガリーラントの貴重な財産である種痘を外国人に接種する事を禁止する。』


「トゥアキスラントから来た、初期発症者や濃厚接触者に投与するなという事か⁉︎」

私はびっくりして大声をあげた。


「その通りです。種痘はヒンガリーラント人を疫病から守る為の大切な財産です。ヒンガリーラント中に、接種を希望して順番を待っている者達がたくさんいるというのに、それを外国人に与えてやるなど言語道断な行為です。」


何を言っているんだ!とブチ切れそうになった。

まだ天然痘が流行っていない地域では、未知の予防薬を恐れて、全然種痘の接種が進まないと聞いている。

それに種痘はいわゆる『生ワクチン』という物なので、簡単に短期間で増産できるのだ。接種を希望する者が順番待ち状態になるわけがない!


「病で苦しんでいるトゥアキスラント人を見殺しにしろと言うのか⁉︎」

「どうして、そんなにトゥアキスラント人共の肩を持たれるのか理解に苦しみますね。トゥアキスラントは歴史的な敵国。王都民の中には自分達の物である種痘を、なぜトゥアキスラント人なんかに分け与えなければならないのかと、不満に思っている者も数多くいるのですよ。それなのに、そのような態度をとられるなど、もしや侯爵には二心があるのでは?と勘繰ってしまいますな。そもそも、種痘は国家に献上された国の資産です。それを恐れ多くも無償で国王陛下はお配りになっているのです。それなのにまるで自分の手柄であるかのように振る舞うのは図々しいと思われないのですか?他人の金で善行を振る舞い感謝されるのは気持ち良いですか?」


ひょうたん半島へ行き、その目で苦しむ患者達を直に見てみろ!と叫びたくなった。

蚊に刺された場所をうっかり掻きむしって腫れあがり、傷口が膿んだだけでもどれだけ痛くて辛いか。天然痘患者はそれが全身にできるのだ。非常に高い熱に体力を奪われ、内臓にまで感染が広がれば、食事をとって栄養をつける事もままならない。大人でものたうち回る程の苦しみに幼い子供が歯を食いしばって耐えているのに、それを見ても同じ事が言えるのか!


だが、それと同時に『種痘』が国の財産だという意見もわかる気がする。外国人に配って、いざ自分達の周囲に感染が広がった時種痘が無い。などという事になったらヒンガリーラント人は怒り狂うだろう。怒りの矛先は政府と王室に向かう。王家はそれを恐れている。


このような事になるなら種痘の専売権を国に全部譲れ、とコルネやユリアに言わなければ良かった。専売権をコルネ達が持っていたら、そこから有償で購入すれば良いのだ。誰にも文句は言えない。


だが、あの時はそうさせなければコルネ達の身が危なかった。


「無礼だぞ、ガルトゥーンダウム卿。だが卿の言う事はよく分かった。卿も一介の使者に過ぎない以上、決定に不服を申し立てられてもどうにもならないだろう。長旅で疲れている事だろうし、部屋でゆっくりしたらどうだ。」

リヒトが割って入って来た。


『一介の使者』呼ばわりされた事にハインリヒは不快そうに眉間に皺を寄せたが

「そうですね。エーレンフロイト侯爵は正しい判断をされると信じております。」

と言って笑った。


「すぐに離れに部屋をご用意します。」

とカイが言ったがハインリヒは

「けっこう。こんな生臭い臭いが立ちこめた場所になどいられない。ひょうたん半島とやらには、ホテルがあるのだろう。そこのスイートルームを使わせてもらおう。侯爵が万が一にも命令に背いて、トゥアキスラント人共に種痘を恵んだりしないか、見張る為にもな。」

「ひょうたん半島のホテルは、濃厚接触者達の待機場所だぞ。」

とリヒトが言うと

「問題ありません。種痘は接種済みですから。」

とハインリヒは答えた。


ハインリヒと四人の部下達が出て行くと

「誰にとっての『正しい判断』なのやら。」

とリヒトが呟いた。

悔しくて私は、拳で壁を叩いた。


「落ち着け、フランツ。」

と言われたが、落ち着いてなどいられなかった。


今、目の前に苦しんでいる人がいるというのに見捨てなければならない、なんてそんな真似出来ない!

それに、そんな事をしたら受け入れたトゥアキスラント人から動揺と怒りの声があがるだろう。既に受け入れたトゥアキスラント人は、百人以上だ。彼らが暴動を起こしたりして、それが原因でエーレンフロイト領の領民や、一生懸命治療に当たってくれている医者や医学生にもし何かあったら!


「金を払え、というのなら金くらい出すのに・・・。」

種痘の接種は、現在全て無料だ。貧しさゆえに種痘が受けられず、その為に病気が広がるのが止まらない。という事を避ける為だ。


「13議会の連中は、トゥアキスラント人が憎くて見捨てようとしているんじゃない。」

とリヒトが言った。

「どういう意味だ?」

「王妃派の連中はフランツ、おまえが英雄扱いされるのが我慢ならないんだ。」

「・・・。」

「おまえは、見事に領内の疫病を封じ込めている。領民達の事を守っている。領民を飢えさせているなんて事も無い。更に外国の哀れな人々にさえ手を差し伸べている。ここにいたら実感が湧かないだろうが、ヒンガリーラントの人々は皆おまえを英雄と思い、心の底から尊敬しているんだ。第二王子の義理の父親にやがてなるであろうおまえをだ。それが、どれだけ王妃派の人間にとっての脅威か・・。だから、おまえを引きずり落としたいんだ。」

「結局はトゥアキスラント人を見捨てた薄情者だと?」

「違う!王妃派の連中は待っているんだ。優しいおまえが耐えられなくなり勅命に背くのを。トゥアキスラント人を守ってしまう事を。そうすれば、おまえは王家に背き国家の財産を横領して横流しした犯罪者になる。おまえが罪人になってしまったら、レベッカは第二王子とは結婚できない。そして、おまえを追放なり処刑なりしてしまえば、意外に豊かだったエーレンフロイト領を自分達の手に入れる事が出来る。王妃派はそれくらい焦っている。おまえの人気が限りなく上昇する事にも、経済の停滞故に困窮していく自分達にも。」

「困窮?天然痘が発生してまだ二ヶ月も経っていないんだぞ。そのくらいで。」

「しているんだ。おまえには理解できないだろうけど!非常の時の為に、最低二年分の食料を領主は備蓄しろ、という国の命令を律儀に守り、戦争や災害の時に備えてそれ以上の穀物を蓄えていたおまえには信じられないだろうが、ほとんどの領はそんな命令守ってないし、食料を備蓄するくらいなら横流しして自分達の贅沢や上位者への賄賂に使っているんだ。おまえみたいな、真面目で優しくて偉大な領主はいないんだよ。少なくとも王妃派の中には一人もいないんだ。」

「・・・。」

「そして、そういう連中は考えるんだ。自分達の領地が困窮しているなら豊かな領地を奪えばいい。自分達の国が困窮しているなら他の国を奪えばいいって。」

「それは、強盗の論理じゃないか⁉︎」

「あいつらは、犯罪者と紙一重なんだ。あいつらは豊かなエーレンフロイト領を奪い、混乱するトゥアキスラントを奪おうとしている。奴らは、おまえが命令を聞いてトゥアキスラント人に殺されてくれたら侵略の口実が出来るし、命令に背いてくれたらおまえを処罰してエーレンフロイト領を奪えると思っているんだ。」


それをわかっていて、どの口が「落ち着け」と言うのか!


頭をかきむしりたくなった。自分一人の事なら、心のままに生き自分自身の正義を貫き通したい。だけど、王都には私の愛する家族がいる。自分の軽率な行いで妻と子供達を危険に晒す事は絶対にできない!


「フランツ様・・・。」

カイが気遣うような声をかけてくれた。


「大丈夫だ。」

リヒトが大きく息を吐きながら言った。


「抜け道はある。」

リヒトの言葉に私は顔を上げた。


「・・ジークレヒトを呼んで来てくれ。」

自分の護衛騎士にリヒトはそう言った。


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