エーレンフロイト領の戦い(10)(フランツ視点)
残酷表現があります
「トゥアキスラントから来た船が入港させてくれ、と大騒ぎしています!」
と騎士団長から報告があったのは、西の海に太陽が沈みかけている夕方の時間帯だった。
「させられるわけがないだろう。感染者がいるかもしれないのに。」
「いるかも、ではなくいるんです。感染者が出た地域を政府代表者が焼棄する、と宣言した為、病人とその家族が命懸けで逃げ出して来たんです!」
私は書類にサインをしていたペンを落としてしまった。
伝染病が発生した地域を焼棄するというのは、歴史上どの国でもよくある事だった。死体と共に、まだ生きている病人や発症していない濃厚接触者を焼き殺すというのは、伝染病が蔓延する地域ではしばしばある悲劇だった。
それを歴史の1ページとして知ってはいたが、現実に自分が生きている場所のすぐ側で起ころうとしているというのは、ぞっとする話だった。
殺されようとしている人々も、すぐ側の地域には十分な薬があって病人が回復しているというのに、自分達は何の援助も受けられず焼き殺されるなど耐えられまい。逃げ出して、救いを求める人達の気持ちは理解できた。
だが、もしも外国人を受け入れて自領の人間に再び感染が広がったらどうする?
次々と病人が逃げて来た場合、領地で支えきれるのか?
中途半端に助けて、後から助けられないとなれば、逆に恨みを買うはずだ。
もしも、逃げて来た人の中に凶悪な犯罪者や密偵がいて、自領の人間が傷つけられたら取り返しがつかない。
どうすればいい?
周囲が私の判断を待って固唾を飲んでいる。
「港へ行ってみよう。」
と私は言った。
騒ぎが起こっていたのは、三つある港の中では一番大きなディーステル港だった。
船は小さな漁船のようだった。既に、暗がりが迫って来ており、どれくらいの人数が乗っているのか肉眼では判別できない。
港の周辺では、剣を構えた騎士達がずらりと並んでいる。
ひょうたん半島の近くという事もあり、コンラートやジークレヒト、医師や医学生も駆けつけていた。感染者の濃厚接触者がいる為、種痘未接種の領民達は近づかないよう、騎士達が触れ回っている。
「助けてください!」
と船から大きな声が聞こえて来た。
「寛大なる、エーレンフロイト侯爵様にお願い申し上げます。どうかお助けください!私達は普通の善良なる市民です。病人の中には幼い子供もいます。どうか、私共をお助けください!」
変な話だが、こう叫んでいるのが野太い声の中年男だったら、もう少し冷静な気持ちになれたかもしれない。
だが、叫んでいるのは女性だった。しかも、かなり若い。もしかしたら10代の少女かもしれなかった。
「この声、ミッフィー君じゃない?」
と医学生の一人が、他の医学生に言った。
「知っている人間か?」
と私はエデラーに聞いた。
「おそらくですが、トゥアキスラントの医学生、ミヒャエラ・フォン、ヴァルトラウト令嬢じゃなかろうかと思います。シンフィレアにボランティアに来とった人です。」
とエデラーは答えた。
「ヴァルトラウト令嬢・・。」
コンラートの声に驚くような響きがあった。
「知っている令嬢なのかい?」
「・・アントニアの夫だった貴族の苗字です。」
「という事は侯爵家の人間か⁉︎」
ややこしい事になりそうな身分の相手だった。
「年齢的に、アントニアの夫の庶出子じゃね。」
とジークレヒトが言った。
そうかどうかはわからないが、もしそうだとしたら、父親を失った庶出子というのは苦労の多い人生だった事だろう。と思った。
リヒトの従姉妹だったアントニアの夫はかなりの下衆だったと聞いている。だが、今叫んでいる少女は他国にボランティアに行くほど立派な人のようだ。そしてボランティアに行っていたのなら、彼女自身は種痘を受けているだろう。彼女自身は感染していないのに苦しんでいる人達の為に声を張っているのだ。
あの船に乗っている人々はもう国には帰れない。
戻れば処刑されるか、他の感染者と共に焼き殺されるかどちらかだろう。私達が受け入れなければ、船の中で飢えて死ぬ以外の選択肢は無い。
・・どうすればいい?
私は目を閉じた。周囲の私を見る視線が突き刺さるようだった。
少女は全員が助かる事を諦めたのだろうか。
「どうか、子供達だけでもかまいません!苦しんでいる子供達をお救いください!どうか、お慈悲を!」
と叫んだ。
こんな時、自分の代わりに決断してくれる人がいればどれほど良いだろう。
きっと、自分はどちらを選んでも後悔するだろう。それならば・・。
「カイ。あの船には子供が乗っているそうだ。」
「はい。」
「あの言葉を無視したら、この場にいる全員がレベッカに、生きたまま森に埋められるぞ。受け入れよう!」
医学生達の間から歓声が上がった。
「荷馬車をありったけ持って来い!」
とジークレヒトが叫んだ。船が安全に港に接岸できるよう、港湾職員達と一緒に騎士達が篝火を持つ。
船からも歓声が上がっていた。




