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エーレンフロイト領の戦い(3)(フランツ視点)

「お嬢様が大量購入されたのは、上等の綿布です。」

「綿布?何の為に?」

「『水蜜』を作るのにも、豆から豆乳を搾るのにも清潔な布がいるのだそうです。屋上に近い風通しの良い部屋に置いてあります。」

「清潔な布という事は、ガーゼや包帯の代わりになったりするだろうか?」

「包帯に使うのは、むしろもったいないくらい良い布ですよ。十分なると思います。」

とカイが答える。


「菓子作りというのは、伝染病対策に通じるものがいろいろとあるんだな。」

と私は言った。

「どちらも、清潔さが重要ですからね。悪い菌が大敵です。」

「レベッカに感謝しないとなあ。」


もしも天然痘が発生してしまった時に必要な物がだいたい揃っている、という事に私は感心した。

コルネやジークがしでかした事にも仰天したが、レベッカも親に内緒でけっこういろいろな事をしていたのだ。

成長した。という事なのだろうが、子供達のしでかす事は意外な事ばかりで驚いてしまう。


子供達の成長が嬉しいような、そら恐ろしいような気持ちになりながら考え込んでいると、騎士の一人が私とカイに報告に来た。


「エデラー医師が、シンフィレアから戻って来られました。」


エデラーは、他のボランティア医師団と一緒に戻って来た。

トゥアキスラントで天然痘が出たという情報は、シンフィレアにも届いたらしい。ヒンガリーラントを心配して、急いで帰国してくれたのだ。


「ボランティアチームの人達には、ごちそうを振る舞ってくれ。」

と私は料理人に頼んだ。本来なら今は、ヒンガリーラントの三大祭りの一つである、収穫祭の真っ只中だ。領主である私が妻子を連れて戻って来る予定だったから、カイは十分な量のごちそうを用意してくれていた。

それを腐らせたりしてはもったいないし、災害地に無償で出かけた人達はもてなしに値する立派な人達だ。


ボランティアに行っていた人達は、年寄りか若者かの二極化だった。

家庭がある人や責任ある立場の人達は、三ヶ月も外国で無償援助はできない。行ける人は、リタイアして余生をゆっくり過ごしている人か、医学生がほとんどだ。

私と同じくらいの年齢の人は二人しかいなかった。一人の方とは面識があった。去年の夏、ブルーダーシュタットで会ったベンヤミン医師だ。ヒルデブラント侯爵クリストハルトの乳兄弟という人である。

もともと、貧しい人達を積極的に援助している人で、援助し過ぎて王都を追われたという人だ。バックに大きなお財布がついているので、外国にボランティアにも行けたのだろう。私はベンヤミン医師と握手をして久闊を叙した。


そして、もう一人の同世代の男性を、エデラーが紹介してくれた。

「ローテンベルガー領出身のコール医師です。領主一族の主治医をしておられます。」


・・・。

コール、という名字に聞き覚えがあった。

領主一族の主治医であるならば間違いがない。


「フランツ・フォン・エーレンフロイトだ。リーゼレータ嬢には娘のレベッカや、ユリアーナがとても親しくしてもらっていて感謝している。」

「もったいないお言葉でございます。ノア・コールと申します。高名なエーレンフロイト侯爵にお声をかけて頂き幸甚の至りでございます。娘、リーゼレータも侯爵令嬢に御心をかけて頂き大変に有り難い事だと光栄に思っております。」


コール医師は、ユリアーナのアカデミーの寄宿舎での同室者、リーゼレータ嬢の父親だ。それは即ち、ローテンベルガー公爵ローデリヒの姉テレージア殿の夫でもあるという事だ。


テレージア殿と私は昔婚約していた。

だからと言って、私の方でコール医師やリーゼレータ嬢に思う事は別に無い。

だが、先方がどう思っているかはわからない。エーレンフロイト家に裏切られたという思いがあるかもしれない。

娘達同士は、何のわだかまりもなく楽しくアカデミーで過ごしているようだ。できる事なら、私もテレージア殿やコール医師と、そんなふうに過ごしたかった。


「長旅でお疲れだろう。わずかばかりだが、食事を用意している。酒も用意しているのでぜひゆっくりとくつろいでくれ。」

と私はベンヤミン医師とコール医師に言った。歓声をあげたのは周囲にいた若い子達だ。


「エデラーも疲れているだろうが、一応報告が聞きたい。」

と私はエデラーに言った。夕食が始まるまでの間、私はエデラーからシンフィレアの報告を聞く事にした。



「三ヶ月の間ご苦労だった。よく、頑張ってくれた。この時期の船旅は大変だっただろう。だが、戻って来てくれてとても嬉しい。」

執務室についてまず、私はそう言った。

西大陸の海沿いには冬から春の間は、強烈な北風が吹く。その為、船での航行は難しくなる。海沿いの街々にとって、収穫祭は、船が出せるようになる事を喜ぶ祭りでもある。


「もったいないお言葉でございます。シンフィレアの蒸気船で送って頂きました。帆船でしたらまだ、戻って来れなかったと思ぉとります。」


ありがたかったのは、エデラーがシンフィレアから、余った解熱鎮痛薬を持って帰って来てくれた事だ。更に驚きの物をエデラー達は持ち帰って来ていた。『種痘』である。


「レーリヒ商会、シンフィレア支店から無償供与されたもんです。100個ほどあります。」

「エデラーは、種痘を接種できるのか?」

「はい。わっしは既に、シンフィレアで種痘を受けとります。」


これは、公表されとらん事ですが。

と前置きをして、エデラーは驚きの言葉を口にした。


「シンフィレアでも、天然痘が発生したのであります。北大陸から支援の為に来た人間から発症しました。」

それはまた、ありがた迷惑な話である。

「わっしら、ヒンガリーラント人はみぃんな、濃厚接触者になってしまいました。なので、みんな種痘を接種したんです。」

「・・ヒンガリーラント人で天然痘に感染した者は?」

「おりません。未来ある若者になんかあったらいけませんから、50歳以上の医者だけが天然痘の隔離施設で治療に参加したのですが、種痘を接種したもんは誰も感染しませんでした。」

「そうか。では、エデラーも天然痘患者の治療に?」

「はい。わっしは若く見えるかもしれませんが、今年で62歳ですんで。」


・・別に年齢相応の容姿に見えるが、今つっこみを入れている場合ではない。

「・・天然痘は、どういう病気だった?」

「最初の見た目は水痘のようでしたなあ。わるうなっていくと体中が膿だらけになって、それこそ生きたまま皮膚が腐って崩れていくらしいですが、わっしが見た患者にそこまでひどいんはおりませんでした。発症して三日以内に種痘を接種すると軽症で済むらしいんですわ。なので、グラハム女史のお弟子さんが、レーリヒ商会の商館に種痘を使わせてくれと頼みに行きましてなあ。おかげで、種痘を受けた北大陸人もうつったシンフィレア人も、熱もあんまり高うならんかったし、痕もほとんど残らんかったんです。全然残らんかったわけではないですけど、若い頃に、よう脂がのっててニキビだらけだった若者くらいのアバタですんだんですわ。」

「もう収まっているのか?」

「はい。発生したんは二ヶ月前の話ですので、とっくに。」

「最終的に何人くらい発症したのですか?」

とカイが質問した。


「北大陸人に五人。シンフィレア人に八人です。」

「・・死者は?」

「二人です。グラハム女史は北大陸では、魔女と噂されとりましてなあ、一人除いて種痘をしたがらんかったんですわ。グラハム女史を気味悪がっとるというより、グラハム女史の薬で命が助かったら、国に帰れん事になると言うてましてなあ。二人は助かりましたが二人死にました。わっしはシンフィレア人の患者を担当しとったんで、北大陸人の患者は見とらんから最後がどんなだったかよう知らんのですが。」


愚かだな。と思った。エデラー医師ではない。死んだ北大陸人だ。

命が助かるかもしれない薬があるのに、それを拒絶するなんて。差別や偏見が、それだけ人にとって恐ろしい物だという事だろうけれど。


「話を聞く限り種痘の威力はすごい物のようだな。種痘を受けた者で副作用が出た者はいるのか?」

と私は質問してみた。


「一人、体がだるいと言うとった若者がおりましたが他にはおりませんでしたな。『種痘』は最初の頃は人痘の毒を弱毒化して作っとたんだそうです。その頃は体調の悪うなる人も多かったらしいんですが、馬痘の毒から作るようになってからは副作用の出るもんが激減したそうです。」


「そうか。ならば私も受けてみようか。」

と私が言うと、カイとウルリヒがぎょっ!としたような表情をした。


「待ってください!まずは『毒味係』にさせませんと。」

「そうです。このような時の為に、騎士団にいきの良いのを揃えているんですから。」

「未来ある若者で試すのはかわいそうだろう。年をとっている者がまずやらないと。」

「だったら私達の中でフランツ様が最後です。私達三人の中で一番お若いのですから。」

とカイが言った。


「わかった。私は後からにしよう。ただし、種痘を接種するのは希望者だけだ。決して受けたくないと言う者に無理強いしないように。人間の体は繊細で、これがよく効く薬だと言われたら、水でも病気が治ったり、腐ってないのにさっき食べた物が腐っていたと言われたら腹を壊したりするものだ。未知の予防薬を恐ろしいと思って接種したら、それだけで具合の悪くなる者が出るかもしれない。」

「承知しました。」


それから私は、シンフィレアの復興状況や、いつ頃珪砂の輸出が再開できそうか、を質問してみた。

しかし、診療所に引きこもっていたエデラーにはよくわからないようだった。


「食事の用意が出来ました。」

と侍女が伝えに来たので、私達は食堂に向かった。



その夜。私は、ひたすら書類仕事に励んでいた。

収穫祭の時期は、納税の季節だ。春が来た、わーい。と浮かれているばかりではいられないのである。

資料は全てカイが揃えていてくれるが、領主として目を通さないわけにはいかない。領主がサインをしなければならない公式書類もたくさんあるのだ。


今年は椿油が高値で売れたな。と書類を見ながら思った。椿の木をできればもっと増やしたい。レーリヒ商会に相談してみないと。と思う。

それに我が領では、レモンやベルガモットの精油が採れる。あと、アルカリ性の灰が手に入れば石鹸が作れるかもしれない。豊かな森には多種多様な木が生えている。アルカリ性の灰が採れる木がないか、研究を進めてみるのもいいかもしれない。


そう考えていたちょうど真っ最中。外の廊下で人が走る足音が聞こえて来た。

顔を上げると、激しいノックの音がしてカイが飛び込んで来た。


「フランツ様。・・出ました。領内で天然痘が!」


それが、戦いの始まりだった。

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