シンフィレアの災禍
私は悩んでいる。
そんな私の目の前に今、貯金箱である『黒い豚様』が鎮座している。
豚様は順調に体重を増やしていっている。
今年の秋、クラリッサ・バウアーと共著という形で出版した『お仕事図鑑』は売れに売れた。
ヒルデブラント領とかファールバッハ領とか、金を持っている領地の領主一族が
「領地内の学校に配る。」
と言って数十冊も大人買いしてくれたのだ。
とても可愛らしい絵がついていたので、絵本としても人気だった。クラリッサは『男爵位』がもらえるのでは、というくらいの勢いで売れたのである。
ヴァイスネーヴェルラントでは、本がたくさん売れた作者は貴族の位がもらえるらしい。現在ディートリッヒ・フォン・ユング、コルドゥラ・フォン・ドレッセル、アレクサンドル・フォン・クラインの三人が男爵位を授与されたらしい。そして、誰が四人目の女男爵になるのか?ヴァイスネーヴェルラントでは賭けが行われるほど、話題になっているそうだ。
候補が二人いるらしく、どちらか先に男爵位を与えられるか皆が注視していたところ、いきなりのダークホースが現れた。
シルヴェスティナ・アクスという作家が彗星の如く現れ、処女作第一版を800冊売ったのである。
彼女が描いた『ブラウン・シュガーの冒険シリーズ』は、現在3巻まで出版されていて、既に3千冊を売っているらしい。
実親が何か訳ありの人らしく、貴族になるのは相応しくない!と言っている古参貴族もいるらしいが、王太后のお気に入りである彼女が四人目の女男爵になるのは間違いないそうだ。
わかるよ。『ブラウン・シュガーの冒険シリーズ』は面白いもん。
多色刷り版画が開発されて一年。それ以来、たくさんの絵本が出たが、その全てがストーリー性の無い絵本だった。ただただ絵が可愛らしく、文章はおまけ、みたいな。そこに初めて大人が読書するに値する、ストーリー性のある絵本が出たのだ。
しかも、人間が出てこない世界で擬人化された鳥達が冒険を繰り広げるストーリーである。
今までに存在していた本は、人間や人間の姿をした精霊などの物語で、動物はあくまで動物として出てきた。私自身はうっかり、擬人化した仔猫の姉弟の物語を紙芝居にして作ってしまったが、擬人化された動物の物語というのは過去に存在しなかったのだ。
擬人化に込められた、隠喩や暗喩の物語はたくさんの人の心を打った。
これを超えて売れる本は、10年は出ないだろうと言われていた。ところが、その直後売りに出された『お仕事図鑑』は、既に売り上げ部数で『ブラウン・シュガーの冒険シリーズ』を抜いているらしい。
ありがたい話である。
私が稼いだお金は自由に使ってもかまわないと親に言われている。ただし、収支報告はしなくてはならない。しかし、私は一部をかすめとって隠し財産を作っている。そして、それを黒豚様のお腹の中に隠しているのである。
今や黒豚様は、これを凶器に人を殴ったら人死にが出るであろうほど重くなっていらっしゃるのだ。
実はそれともう一つ、私には隠し財産のモトがある。
新聞に投書をして、賞金を時々もらっているのだ。
きっかけは、新聞記者のデリクにされた相談だった。
「どんな連載記事がのったら、新聞がたくさん売れるだろうか?」と。
だから答えた。
「私だったら、料理のレシピがのってたら買うね。」
今日のご飯は何にしよう?というのは主婦にとっては悩みのタネだ。
本屋に料理本がずらりと並び、インターネット上にはお料理アプリが複数存在し、テレビで無数の料理番組が流れる世界でも、主婦達は悩んでいる。そういった物が無い世界で、一週間毎日違う料理を食卓に出すのは至難の業だと思う。
「そーんな変わった料理が連載するほど、存在するかね?」
とデリクが言ったらしいので(私達の会話は、間にドロテーアを挟んでいる。)私は
「ブルーダーシュタットには、フライドポテトとかコロッケとかトンカツとかエビフライという料理があるって知ってる?」
と聞いてやった。
その後、新聞社は有料で料理のレシピを募集した。
料理のレシピは、花嫁の持参金代わりになるくらい貴重な物なので、集まらないのではと新聞社は思ったらしいが、こちらの世界にも新しい料理を考えるのが趣味の料理研究家が一定数存在した。
そして、私も日本で食べられていた料理をせっせと投書した。
おかげで、なかなかの金額の隠し財産が貯まったのである。うはははは。
そうして着実に貯まっていく隠し財産だが、これは将来亡命する事になるかもしれない時の大事な資産なのである。
だから、決して無駄遣いするわけにはいかない。しかし私は、昨日国立大学農学科の方達に、ガラスの温室を建てる為のスポンサーになると勢いで約束してしまった。
ここで話は冒頭に戻る。
はて、どのくらいの金額を出そうかと今思案の真っ最中なのだ。
私が黒豚と熱く見つめ合っていると、新聞を買いに行っていたドロテーアが戻って来た。
今日は普段より戻って来るのが遅かったな?と、思う。まあ、ドロテーアだってちょっと寄り道をしたい気分になる時だってあるだろうけど。
「ドリー、今日ちょっと遅かったね。途中で何かあったのかと心配したわ。」
とコルネが言った。
「すみません。私が新聞社に着いた少し前に、大きなニュースが飛び込んで来たらしくて、紙面を全部差し替えたそうです。なので、私が着いた時まだ新聞を刷っている真っ最中だったんです。初めに刷った新聞は、料理のレシピと、北大陸に伝わる謎の奇祭の記事で緊急性に乏しかったらしいので。」
新聞にしょっちゅう投書している身としては、自分が送ったレシピがのるかどうかは大問題なのだが、新聞の公益性を鑑みるに、料理と奇祭の記事と大きなニュースの記事と、どちらをのせるべきか比べるべくも無いだろう。
「何があったのー?」
と言いつつ、まだ乾いていないインクで手が汚れないよう新聞を摘み上げた私は、次の瞬間新聞を握りしめて絶叫していた。
「シンフィレアの王都で大火ーっ!えーっ!こんな季節にっ。最悪!」
いや、別に火事はいつ起きたって嫌な物だが、こんな真冬に家から焼け出されて、全財産を失くすなんて死に直結する事態である。
しかも火事の原因が、無計画な野焼きとか、カルト教団がイケニエを燃やそうとして燃え広がったとかなら同情できないが、原因は地震らしい。それほど大きく揺れたわけではないが、起きた時間が夕方だった。ランプやロウソクに火を灯し始める時間帯だ。台所では食事の支度の為に火を使う。そんな時間に地震が起きた為、王都の至る所で同時多発的に火災が起きた。しかも、季節は冬で空気が乾燥している。
島国のシンフィレアは海風が強く、その強い風を利用して炎の温度をあげ、ガラスを作ったり製鉄をしたりして国を豊かにしていた。
その強風がこの度は仇になったようだ。海岸沿いにある王都は、ほぼ全焼したのではないかと思われる。という事だった。
シンフィレア国は島国で、西大陸の西300キロくらいの場所にある。王都のある大きな島と、小さな四つの島からなる国だ。
その地理の特性上、西大陸や北大陸からの移住者や亡命者が多い。国土の大きさはヒンガリーラントの半分くらいだが人口はヒンガリーラントより多いと言われている。当然王都にも、かなりの人数が住んでいたはずだ。
そんな王都が全焼だなんて、一体どれほどの数の死者が出たのか想像もできない。
ヒンガリーラントで一番西にあるエーレンフロイト領は、シンフィレアとも積極的に交易していて、シンフィレアは領地で採れる珪砂の最大の輸出先だ。
エーレンフロイト領にシンフィレアの商館があるくらい、エーレンフロイト領にとって大事な国だ。
一時的でも、輸出入が止まれば相当の痛手になるはずだ。
というか、シンフィレアは西大陸に輸入されるガラスの8割を作っている国である。農学科も、ガラスの温室を作るのは今はとても無理なのではないだろうか?
「シンフィレアって、どこにある国なのですか?」
とコルネに聞かれたので説明する。
「ヒンガリーラントとは仲の良い国なのですか?」
コルネの質問に答えたのは、ドロテーアである。
「昔は戦争をした事もあったようですが、今はとても仲の良い国ですよ。今のヒンガリーラントの王様のお母上は、シンフィレアの王女様だったそうです。ですから、ヒンガリーラントの王様とシンフィレアの王様は従兄弟同士なのだそうです。」
「そうなの?それは知らなかった。」
と私は言った。
「私も、ついさっきデリクさんから聞いたんです。シンフィレアの新聞記者さんが、火事から逃れる為に海の側へ行って、商人の方は船を守る為に船を沖に出そうとして、逃げて来た人々をその船に乗せたそうです。しばらく沖合で静観していたそうですが、半日経っても火が消えなかったので、外国に助けを求めに行こうという事になってヒンガリーラントに来られたそうです。西大陸の国の中では、一番ヒンガリーラントが仲の良い国なので、食べ物や薬、医療団を援助して欲しいと一番先に頼みに来たそうです。記者さんは、複数の新聞社を回って救援を呼びかけているそうです。」
「たとえ仲が悪い国であろうとも、そういう時は助けるべきだよ。」
「そうですね。お嬢様。アカデミーの生徒の皆さんに、シンフィレアの為の寄付とか呼びかけてみたらどうでしょう?」
「それはしない。」
ユーディットの提案を私は却下した。
「え?」
「シンフィレアの王様がヒンガリーラントの王様の従兄弟って事は、ブランケンシュタイン公爵夫人の従兄弟でもあるって事だよね。」
「そうですね。公爵夫人は国王陛下の同母妹ですから。」
「だったら、絶対公爵夫人やエリーゼ様が何か言い出すと思う。それを待つ。先にでしゃばるのはよろしくないと思う。」
「・・そうですね。出過ぎた事を申し上げました。」
案の定、次の日お母様から、シンフィレアへの援助の件で話があるから週末に家へ戻って来い。と連絡があった。




