光輝会(5)(ルートヴィッヒ視点)
「素敵です!レベッカ様。」
とユスティーナ嬢が言い
「ベッキーの知識は底が知れないな。」
とジークも言った。
さっきジークに馬鹿にされた時よりはるかに、エレナローゼが悔しそうな顔をしていた。扇を握りしめた手が震えている。
「そういえば、ルーイ様がさっき言われていた蝶の事だけれど。」
といきなり言い出した。レベッカ姫に魚を説明しろ、と言ったのだから、何かコメントしろよ!と思うが、絶対にこいつは他の女を褒めたりはしない性格なのだ。
「祖父のコレクションなの。とても美しいでしょう。あのオオルリアゲハは、アズールブラウラントで最大のオークション『エーデル協会』でライバルと競って手に入れた、特別な物なの。あちらのミイロシジミタテハは、見る角度によって羽が青にも緑にも見えるのよ。あれだけの大きさの物を持っているコレクターはどこにもいないわ。」
レベッカ姫が僕を敬称で呼んでいるのに、愛称で呼ぶな!
光輝会の連中に愛称呼びを許したのは失敗だった。
「あの蝶達が、あんなにも色彩豊かなのは、どうしてか知っている人はいるかしら?」
エレナローゼは、招待客達にそう言った。
誰も何も言わないのは知らないからだろう。もしかしたら光輝会の中には知っている者もいるかもしれないがエレナローゼの顔をたてているようだ。
レベッカ姫も黙っているのを見てエレナローゼは、ふふん、と笑った。熱帯魚のせいでナナメになったご機嫌が治ったらしい。
またいつものように、朗々と知識をひけらかすかと思ったが、エレナローゼは何も言わなかった。多少蝶の色彩について気にはなるが、こいつにおべっかを言ってまで知りたい事ではない。むしろレベッカ姫と会話したい。
と思ったのに、エレナローゼがレベッカ姫に自分の取り巻き達を紹介し始めた。
ダーヴィッドがレベッカ姫の前に進み出る。
「高名なエーレンフロイト姫君に会えて嬉しいです。貴女とは、いろいろと学問について話し合いたいと思っていました。ところで姫君は『アルトナー予想』について、どのような答えをお持ちですか?」
レベッカ姫は首を小さく横に振った。
「よくわかりません。数学は苦手なので。」
数学の話だったのか!それすらもわからなかった。
「ご謙遜を。アーレントミュラー公爵夫人が姫君の事を褒めたそうではないですか?そんな姫君が数学の事がわからないなどという事はないでしょう。ははは。それとも、アーレントミュラー公爵夫人が姫君を褒めたというのは幻聴だったのかな?」
「幻聴でしょう。」
会話はぷつっと途切れた。まあ、これ以上続けようがないわな。『アルトナー予想』については「わからない」と言っているのだから。
と、今度はシルヴィオが前に進み出て来る。
「数学は苦手との事ですが、読書ははお好きなのでしょう。ディートンの『凍える刻』をもうお読みになられましたか?」
「いいえ。」
「信じられない!読書好きなら必ず読むべき一冊ですよ。あの本を読まずして、読者好きを語られるなんて。」
おまえと本の趣味が違うってだけだろう!だいたい、その本は、先月発表されたばかりの哲学書だ。読了している人間の方が少数派だ。
「エーレンフロイト姫君は、ディートンがお嫌いなのですか?どの哲学者が好きなのです?人生の指針にしている哲学の言葉がありますか?」
シルヴィオは哲学マニアだ。彼が知らない哲学者はいないだろう。レベッカ姫が誰の言葉を言っても必ず「知ってる」というはずだ。そして、もしもその哲学者が平民だったら、哲学者の事もレベッカ姫の事も馬鹿にするつもりに違いない。
「そうですねえ。」
と言って、レベッカ姫は小首を傾げた。まっすぐな黒髪がさらりと流れる。
「あっても見せるな殺意と財布。ですかね。」
・・・。
場がしーん、となった。シルヴィオが何も言わないところを見るとシルヴィオの知らない言葉なのだろう。
というか、ソレは哲学なのか?
深い!とは思うが。しかし、侯爵令嬢の彼女が自分で財布を持ち歩く事は無いだろう。今、おまえに殺意を持っているけれど隠しているんですよー。という嫌味に聞こえない事もない。
エレナローゼの取り巻きによる嫌がらせが二つ、不成功に終わった。エレナローゼが、チラッとアデリナを見る。アデリナが急いで前へ出てきた。
「エーレンフロイト姫君は、詩はお好きかしら?ノーザンホルンの『四季の歓び』はお読みになられた?」
今度は詩の話か。今までに比べたら弱めの攻撃な気がするが。読んだ事のない僕が言う事ではないけれど。
「きっと、ありますよね。アカデミーの図書室にも置いてあるって聞いていますわ。出版部数も千冊を超えているベストセラーですもの。」
「いえ、ありません。」
「本当に?信じられないわ。一度くらいあるでしょう?あれほどの名作よ。読んだ事がないなんて恥ずかしい事よ。」
「無いです。」
アデリナ嬢の無礼な言い方に僕はムッとして、叱りつけてやろうか、と思った。
しかしそれより一瞬早く、ジークが
「ぶはは!」
と笑い出したのだ。
「キルフディーツ令嬢。詩人の名前が間違ってますよ。ノーザンホルンではなくノイエンホルンです。本の題名も『四季の輝き』です。
本気で間違えたんですか?それとも、ベッキーが『もちろん読んだ事ありますわー、おほほほほ』と言ったら、『あら、私ったら勘違いしていたわ。でもレベッカ様は読んだ事があるって言われたけど、どう言うことかしら?変ねー、ほほほ』とか言うつもりだったんですか?」
アデリナ嬢の顔が真っ赤になった。
「ひどい、そんな言い方。少し間違えただけなのに。ひどいわ。」
と言ってメソメソと泣き出した。
「ヒルデブラント卿。よくそんなひどいセリフが女性に言えるな!君こそが慮外者ではないか。」
と言って、シルヴィオがアデリナ嬢の肩を抱く。
確か、今日のコンラートのお見合い相手ってアデリナ嬢じゃなかったのか?コンラートの前で他の男と抱き合っていて大丈夫なのか?
「仕方ないさ。ヒルデブラント卿は『女性がお嫌い』らしいからな。」
ダーヴィッドが嫌味ったらしい笑みを浮かべながら言った。「あはははは」と、他の光輝会員達から下卑た笑い声があがった。
ジークが、心外だ。という顔をして言った。
「えー、僕は女の子好きだよ。特にベッキーの事が大好きだよ。嫌いなのは『性格の悪い女性』だよ。アデリナ嬢、国立大学の文学部の准教授の奥様にも同じ事をしたんだろ。ほんと性格最悪だよな。だけど、同じ事をするなら本の題名くらい変えなきゃね。はっきり言って『馬鹿じゃねえの』と思う。」
それは本当に最悪だな!よくもそんな真似をレベッカ姫に!
というか、ジークの情報網と口の悪さに勝てる人間はそうそういねえよ。そして、何サラッと人の婚約者に「大好き」と言っているんだ!
会場の空気は最悪だ。
光輝会の会員共が、ジークを攻撃するのは一向にかまわないが、レベッカ姫に対する嫌がらせがこれ以上エスカレートするのは嫌だ。
僕は強引に話題を変えた。
「そういえば、近々ガラティナという国から使節団が来るのだけど、どういう話題をふったら喜んでもらえると思う?皆、ガラティナ国の情報はどんなものがある?どんなイメージの国かな?」




