毒が咲く木(1)
執務室は大騒動になった。悲鳴をあげる者。腰を抜かす者。救命をしようとする者。
まるで演劇のワンシーンのようだ。
死んだアントニア自身がまるで役を演じる女優のようだった。笑顔で、嘘ばかり言って、明らかに自分に酔いしれていた。今起きている事が現実の事と思えなかった。
騒然とした部屋にアヒムという、左利きの騎士が戻って来た。手にパレットと筆を持っていた。見ただけで室内の状況を判断したようだ。伯爵と何か話していたが、私には聞き取れなかった。
「ヨハンナ。令嬢方を別室へお連れしてくれ。」
と伯爵は言った。
「私は『鍵』について調べてくる。」
伯爵の手の中に、さっきまでアントニアが首から下げていたペンダントの鍵があった。
「父上、私も行きます。」
「いや、コンラート。おまえはレベッカについていてあげてくれ。」
「しかし。」
「レベッカを守る事が、当家の今の最優先事項だ。ついさっき、レベッカは殺されかけたばかりなのだぞ。更に何かがあったらどうする!大急ぎで、エーレンフロイト家に連絡を入れる。迎えが来るまでおまえがレベッカを守るんだ。」
「・・・はい。」
「アヒム、アントニア付きの侍女とメイドを拘束しろ。オイゲン、エーレンフロイト家と司法省に連絡をしてくれ。私は東館へ行く。」
「かしこまりました。」
「知らない。私達何にも知らないんです!」
騎士達に連れて行かれる侍女達が泣きながら叫んでいた。
「レベッカ様。こちらへ。」
とヨハンナに連れて行かれたのは、昼間お茶を飲んだ談話室だった。さっきまでいた部屋には戻りたくなかったので、ほっとした。
しかし、談話室も地獄の空気だ。ソファーに座っているのだが、ユリアは私の右腕、コルネは私の左腕にしがみついて離れない。正直腕が重くて痛い。
ヨハンナが
「何かお飲み物をお持ちしましょうか?」
と聞いてくれたが断った。毒殺されかけた直後にお茶が飲めるほど強心臓ではないし、それに両腕がこれではカップが持てない。
コンラートが
「すまなかった。」
と私に言った。
「私が、家に来るよう誘ったから・・。」
「違うよ。私が伯爵様に相談があるって言ったのだもの。コンラートお兄様は悪くないわ。」
その後続く沈黙。
コンラートはここで気の利いた事を言える人じゃないし、そういう精神状態でもないだろう。
母親が殺されていたのかもしれないのだ。そのショックはどれほどのものか。
でも、本当に殺されたのかはわからない。あの女は明言しなかった。
「そうよ。私が殺したのよ。おほほほほ。」
って言ってくれてりゃ、好きなだけ悪態がつけたのに!
匂わせるだけ匂わせといて、あの女は手の届かないところに逃げた。イラっとする気持ちだけが後に残った。伯爵は、証拠を探しに東館へ行ったが証拠が見つかるだろうか?あの鍵は何かの罠だったりしないのだろうか?あの鍵が金庫の鍵で、開けた瞬間毒ガスが噴き出すとか。
そう考えると心配になってきた。なんとなくだが、アレで終わりという気がしないのだ。あの女は最後まで笑っていた。悔しそうでも諦めているようでなかった。自分の方がまさっているという空気をぷんぷんと残して死んでいったのだ。
そうして無言のまま、時間が経つ事数十分。
エントランスの方で、ばたばたと何か気配があった。
「うおお!でっかいカメ。」
という声が聞こえた。お父様の声だ。
「レベッカ!」
と叫びながら、お父様とお母様とゾフィーが入って来た。ビルギット達護衛騎士も一緒だ。
「レベッカ、無事か⁉︎良かった。本当に良かった。」
お父様は半泣き状態である。立ち上がって無事だ、と言いたいところだが、腕が重くて立ち上がれない。
「申し訳ありませんでした。私の責任です。」
と言って、コンラートが頭を下げた。ヨハンナをはじめとした使用人さん達が不安そうな表情で見ている。
「・・違うわ。」
とお母様が言った。
「これは私とアントニアの問題だったのよ。」
「・・・。」
「昔から、私の物を何でも奪おうとしてた。お母様の形見のドレスもアクセサリーも、仲の良い侍女も、婚約者も。」
その言葉で、ああお母様とあの女は仲が悪かったんだな。という事がわかった。今まで、お母様の口からあの女の事聞いた事もなかったしなあ。
「レベッカが無事だったなら、十分だ。」
とお父様も言ってくれた。
外の廊下がまた、ばたばたしていた。そして、伯爵が談話室に入って来た。騎士達も一緒だった。
「こんな事になってしまい、すまなかった。」
と伯爵は言った。お父様が首を横に振る。
「本当は司法省の役人が来て、聞き取りをするまでレベッカはここにいた方が良いのかもしれないが、僕は家へ連れて帰りたい。そう役人に伝えておいてくれ。」
まーた、司法省の人達にあれこれ聞かれるのかと思うとちょっとブルーになった。ハイドフェルト男爵家とのゴタゴタの後も大変だったのだ。でも、今回はあの時と違って死人が出ている。事情聴取は避けられないだろう。
「わかった。それで・・頼みたい事があるのだが、コンラートをしばらくそちらで預かってくれないだろうか?」
「父上!」
「しばらく邸内は騒がしくなるはずだ。ここでは落ち着いて過ごす事ができない。」
「私は子供ではありません。ここに残って事後処理にあたります。」
「子供ではないからこそ、してもらいたい事があるんだ。領地の家令や分家の当主、私の四人の姉妹達に手紙を書いて連絡してくれ。噂で騒動を聞くより本当の情報を先に知っておいて欲しい。これは、当主としての命令だ。」
「・・・。」
「コンラート。うちへ来てちょうだい。ヨーゼフも喜ぶわ。私もその方が安心だから。」
とお母様が言った。それから、一瞬ためらうそぶりを見せて伯爵に言った。
「6年前。私、本当にエレンに手紙を出していないの・・。」
「わかっている。」
と伯爵は言った。
「今回もコンラートの名前を騙っていたんだ。」
エレオノーラ夫人の名前が出ると、空気がズドンと重くなった。今回の件は犯人が死んで『めでたしめでたし』ではすまない問題なのだ。
「では。」
とお父様が言うと、執事が談話室に入って来た。
「旦那様。門番からの報告で、ヒルデブラント小侯爵が訪ねて来られたとの事でございます。」
「はあ⁉︎このタイミングでどうして?」
「『歓びの館』に逗留しておられたところ、口の軽い司法省員が歓びの館にやって来たそうで、それでこの度の一件を耳にされたそうです。」
「・・・。」
『歓びの館』というのは、王都一と言われている高級娼館である。息をするのにも金貨がいる、と言われている場所で、平日の夜に学生がそんな所にいるって全くいったい何をしているやら。という、冷たい空気が大人達の間に流れていた。
「この大雨の中、筆頭侯爵家の若君をいつまでも外に立たせておくわけには・・。」
おずおずと執事が言う。ヒルデブラント家が嫌いな伯爵は嫌そうな顔をして
「入れてやれ。」
と言った。
程なくして、髪から雫を垂らしているジークが入って来た。
「コンラート、大丈夫か?」
そう言ってコンラートの肩をつかむ。カメに驚く声が聞こえなかったな、と思ったが、これは目に入ってなかったな。と思った。
ジークは、人目も憚らず、コンラートを抱きしめた。
「キャ。」
稲妻が走ろうと、目の前で人が自殺しようとも悲鳴一つあげなかったコルネが悲鳴をあげた。
周囲の使用人さん達も、ものすごく動揺している。
コンラートはジークをはねのけたりせず、コテンとジークの肩に頭を埋めた。その頭を強くジークが抱きしめた。
本当はコンラートは、お母さんが殺されたのかもと知って辛くて辛くて、でもそれを言えなくて、ギリギリの力でなんとか立っていたのだろう。ジークにすがる姿が非常に弱々しく、悲しく見えた。ジークはそんなコンラートを無言で強く抱きしめていた。
もう一度言うが、使用人さん達はドン引きしている。
この場で、本当はジークは女の子なのだと知っているのは、私とユリアとお母様とゾフィーとそしてコンラートだけだから。
さっきとは違う意味で地獄のような空気になった室内をどうにかしようと、私は
「ジーク様。殺されかけたのは、私なんですけど。私の心配もしてくださいよ。」
と言った。それに対して
「君が大丈夫なのは見ればわかる。」
と言われた。私は一応、ジーク様の事を友達だと思っているのに女の友情とは儚いものだ。
お父様が咳払いをして
「では、うちへ帰ろうか。」
と言った。私の腕にしがみついていたユリアとコルネを、アーベラとビルギットが剥がしてくれる。
「コンラートも行きましょう。」
とお母様が言った。当然のようにジークがついて来た。
エントランスに出ると、ゾウガメがリンゴを食べている真っ最中だった。
「カメさん。またね。」
と言って名残惜しそうにコルネが甲羅を撫でる。まるで人の言葉がわかるように、ゾウガメは首を縦に動かした。
「珍しい生き物を飼っているんだなあ。」
ジークが、ゾウガメに今気がついた、というような表情で言った。ここんちのペットじゃないですよ。というツッコミを誰も言わなかった。
外に出ると雨の勢いがさっきより強くなっているように感じた。
「私も、司法省に行って来る。」
と伯爵が執事に言う声が聞こえた。そして私は雨の中、馬車に乗って自宅へと戻った。
家へ戻ると、ユーディットとベティーナが泣きながら抱きついて来た。
「ご無事で良かったです!お嬢様。」
「お嬢様ー。」
「コルネ様!」
と言いつつカレナとドロテーアも、ユリアとコルネに抱きついて来た。
部屋へ戻って一回着替えた後、お父様に談話室に呼び出された。私の口からも一回話を聞いておきたいとの事だった。
談話室には、コンラートとジークもいて紅茶を飲んでいた。コンラートは、今はキリッとした顔をしていたが、少し情けない姿を見せた事を恥ずかしがっているような表情にも見えない事もない。
私は順を追って説明をした。話を聞き終わってお父様は
「よく、手紙の罠に気がついたね。」
と言ってくれた。
「マルテさんとレントさんのおかげ。二人に聞いていなかったら、わからなかったと思う。」
「お二人にはお礼をしなくてはね。」
とお母様が言った。
あの日の家出にも価値があったんだなあ、と私もしみじみ思った。
「その話を知っていたから、彼女が描いている絵をちょっと不気味に思ったんだよね。あんなに緑色をコッテリ塗っていたら、捨てるのも苦労するよなあ、って。そもそも、庭が毒花だらけで、ちょっと引いたし。」
「毒花?」
とコンラートが言った。
「毒花がそんなに多かったのか?庭をあまりじっくり見た事がないから、よく知らなかったのだが。」
「毒花だらけだったよ。トリカブトでしょ。曼珠沙華に鈴蘭にキョ・・。」
「ベッキー様!」
突然、ユリアが大声を出した。何かと思ったら、ユリアが目を大きく見開いて怯えたように首を横に振っている。
私もびっくりしたが、皆も違和感を覚えたようだ。
「どうしたんだ?」
とお父様が聞いた。
「どしたの、ユリア?キョ・・。」
「言っては駄目です!ベッキー様。」
「何で?」
「ユリアーナ嬢。我が家の庭にいったい何が?」
とコンラートが鋭い視線で聞いた。
「・・・。」
「ユリア。答えるんだ。何かシュテルンベルク家にとって良くない事なのか?僕はコンラートの為なら、女の子の顔でも切り裂けるよ。」
ジークの発言に、ユリアよりコルネの方が驚いていた。
「ユリア、どうしたの?話してちょうだい。」
とお母様が言う。
「レベッカ、何を言いかけたんだ?」
とお父様が私に聞いた。
「だ・・旦那様、人払いをしてください!」
とユリアが叫んだ。お父様は、執事に目配せをして皆を下がらせた。カレナやドロテーアは不安そうな顔をしていたが仕方なく部屋を出て行った。
「ゾフィーとビルギットはかまわないかな?元々シュテルンベルク家の人間だ。」
とお父様が聞いた。私の隣に座っていたコルネは「出て行かない!」とばかりに私の腕を掴んだ。
この場にいる人間は、私、お父様、お母様、ユリア、コルネ、ジーク、コンラート、アーベラ、ビルギット、ゾフィーになった。
「それで、レベッカは何を言おうとしていたんだ?」
とお父様が聞いた。
「えーと・・夾竹桃が咲いていたって。」
「その花がどうしたの?そんなに危険な毒花なのかい?」
ユリアが真っ青な顔をして言った。
「夾竹桃は、第一種輸入禁止草木です。」
「なんだって!」
お父様が叫んだ。お母様も悲鳴をあげた。ジークも唖然とした顔をしている。
だけど私には意味がわからない。
「え、何?輸入したらダメな木なの?」
「輸入、販売、栽培、所持、みんな禁止です。」
「一種とか二種とかあるの?」
「五種まであります。」
「一種と五種では何が違うの?」
「刑罰の重さです。」
「どっちが重いの?」
「一種です。全ての項目において一種は死刑になります。」