その女の毒
シュテルンベルク邸にいる全員が集まるとなかなかの人数だった。伯爵の執務室はそれなりの広さがあるのだが、それでもギュウギュウ感は否めない。
もちろんコンラートもいるし、アントニアもいた。アントニアの周囲を囲んでいるのは彼女の侍女達だろう。
門番はこの場に呼んでいない事と、外出している人間の名前が伯爵に告げられた。それと、庭師が行方不明だと報告された。夕食の席にも現れなかったらしい。
「エーレンフロイト侯爵令嬢の部屋に、気味の悪い絵を持ち込んだ者がいる。」
と伯爵は言った。使用人達が顔を見合わせてザワザワしだす。
「心当たりのある者は名乗り出るように。」
ザワザワザワザワ。
するばかりで誰も何も言わなかった。
「誰もいないのか?」
「・・・。」
伯爵は視線を執事に移した。執事がうなずき
「キーナとリーゼルは前に出なさい。」
と言った。
怯えた表情で、メイドが二人前へ出てくる。一人は10代後半で、もう一人は10代前半に見えた。
「あ、あの。」
「二人共、この30分の間何をしていた?」
「台所でお皿を洗っていました。」
「ずっとか?台所を出た事は?」
「ずっとです。ずっと台所にいました。」
執事が、年配のメイドに視線を移す。
「メイド長。間違いないか?」
「はい。二人はずっと台所におりました。間違いありません。」
「では、次にユルゲン卿。」
騎士達の視線が一人の騎士に集中した。腰の右側に剣をさした騎士だ。
「卿は、この30分の間どこにいた?」
「食堂で夕食をとっていました。」
緊張した表情で騎士は言った。執事は、他の騎士達から証言を確認した。
「なるほど。」
と伯爵は言った。
「絵を描いた人間は左利きだ。あと、この館内で左利きの人間といえば、私とアヒムとそしてアントニア。この三人だけだ。しかし、アヒムはずっと私とこの執務室にいた。そうなるとアントニア。絵をレベッカの部屋に持ち込む事ができたのはおまえだけだという事になる。」
あれ、そういえばさっきまでこの部屋にいた左利きの騎士がこの場にいない。たぶん彼の名前がアヒムなのだろう。もしかして伯爵の命令で、左利きの人間達の部屋を捜索しに行っているのかな?
「それだけの事で、私が絵を持ち込んだと貴方は言うの?手紙の差出人の名前が、私の名前だったとでもいうのかしら?」
おーい。語るに落ちてますよー。伯爵は『絵』を持ち込んだって言っただけで、『手紙』とは一言も言ってませんよー。
「差出人の名前はコンラートだった。」
突然自分の名前が出てきてコンラートが眉をひそめた。
「なら、コンラートが描いたのではないの?」
「コンラートに描けるような絵ではない。」
「まあ、どうして?貴族の嗜みとして幼い頃絵を習わせていたじゃない。それとも、自分の息子は卑猥な絵など描かないとでも言うのかしら?」
アントニアは笑顔で言う。伯爵は冷たい目をして、アントニアを見た。
「どうして『卑猥な絵』だとわかった?」
「え?」
「私は『気味の悪い絵』と言った。なぜ、それが卑猥な絵だとわかった?」
「・・・。」
「コンラート、おまえはどう思う?『気味の悪い絵』と言われたらどんな絵を想像する?」
「自分は・・川で溺れて、三倍くらいに膨らんだ水死体の絵を想像しました。」
おっとー、それは気味が悪いな。そういう物を実際に見た事があるんだろうか?
ちなみに私は、テレビの画面から這い出して来る貞◯を想像した。
「確かに描かれていた絵は、直視できないような卑猥な絵だった。だけど、なぜそれをおまえが知っている?言いたい事があるなら今言うがいい。今、アヒムにおまえの部屋を捜索させている。おまえの部屋から出てきた絵の具と、描かれた絵の絵の具が同じ物かは調べればすぐに確認できる。含まれる顔料の質や量は絵の具を作る工房ごとに全く違うからな。」
「・・・。」
「プロの鑑定家に依頼すれば、誰が描いた絵なのかも鑑定できる。鑑定してみるか?」
「ふふふふふ。」
と急にアントニアは笑い出した。
「ごめんなさいね。そう、絵を描いたのは私。ちょっとした冗談よ。レベッカ様も、もう子供ではないのですもの。少しくらいの刺激的な事も、必要でしょう。こういった性的な事は、年上のお友達や親戚から教わって、みんな大人になっていくのよ。でも、こんな冗談はお嫌いかしら?ふふふ、怒っちゃった?」
コイツキライダ。
という感情をはっきり顔に出してやった。
私はこーゆう奴が大嫌いだ。人を傷つけておいて「冗談だった」と言って笑う奴。
遊びだった。本気じゃない。ただの冗談。間に受けるなんて心が狭い。私が正しい。おまえが悪い。
そういう事を言う奴が、クラスメイトを死ぬまでいじめ、子供を虐待死させる。そしていけしゃあしゃあと、こんな事になると思わなかったと言う。周囲はそれを信じて、いじめられた方にも問題があると言う。
コルネの親戚のおっさんは、クズだったが本気で私を攻撃してきた。ある意味いさぎよかった。
でも、コイツは逃げ道を用意している。私を殺そうとしておいて、バレたら冗談だったと言う。
コイツの方が100倍卑怯者だ。
「どうして、コンラートお兄様の名前を書いたの?」
と私はぶっきらぼうに聞いた。
敬語を使ってやる気にもなれない。
アントニアは笑顔で言った。
「その方が、ドキドキしてときめくでしょう。ときめかなかったかしら?」
まるで、ときめかないおまえが悪いと言わんばかりだ。
「緑色以外の絵の具で描いてあったら、違う気持ちになったかもね。」
と言ってやると、アントニアの顔から一瞬笑顔が消えた。
「アントニア。」
ひっくい声で伯爵が言った。
「なぜ、緑色の絵の具を使った?」
「緑色は嫌いだったかしら?」
とアントニアは私に言った。
「なぜ、緑色を使ったのかと聞いている!」
伯爵が怒鳴った。
「まあ、怖いわ。リヒト。何をそんなに怒っているの?」
「答えられないなら代わりに答えてやろうか!緑色の絵の具には毒が入っているからだ。その絵の具がついた紙を燃やすと、空気の中に毒が広がる。おまえは、レベッカを毒殺しようとしたんだ。」
使用人達が再びザワザワし始めた。
「まあ、そうだったの。私、緑の絵の具に毒が入っているなんて知らなかったわ。それに、レベッカ様が絵を燃やしてしまうかどうかなんて私にわかるわけないじゃない。大切に保管してくれたかもしれないわ。」
そう言い逃れできるところが、エロい絵の特徴だ。三倍に膨らんだ水死体ではこうは言えない。
この女にとっては、私を殺す事は本気ではないのだ。ただの冗談。死んだら偶然。死ななくても偶然。助かったら、また別の機会に罠を仕掛けるだけ。遊びで人を殺そうとしているのだ。
急にものすごく怖くなった。
この女を殺人未遂の罪で告発する事はものすごく難しい。
それに、ここはこの女にとってホーム。私にとってアウェーだ。このままでは逃げ切られる。深入りすると私の身が危険だ。
ここにどれだけこの女の味方がいるかわからない。伯爵にしても、私は従姉妹だが、この女も従姉妹なのだ。そして、一緒に暮らしているこの女の方により情があるだろう。大人の男と女だし、もしかしたら私の想像以上に深い関係かもしれない。
悔しいけれど、どうにもならない。伯爵にチクったりしないで、大雨の中家に逃げ帰るべきだったかもしれない。
私が逃げる算段を考え始めた頃。伯爵がまた口を開いた。
「レベッカは、こういう事をする犯人は、これからも罪を繰り返すだろうと言った。」
「まあ、ひどいわ。単なる冗談だったのに、そんな言い方。」
「レベッカはそう言った時、将来の可能性を考えていた。しかし、私は過去の可能性を考えていた。」
そう言って伯爵は、ギリっと歯軋りをした。
「同じなんだ。6年前の今日と。嵐の日で、客が来ていて、エレンの部屋にアルベルからの手紙が届いていて、その手紙は暖炉で焼かれていた。アルベルは、自分は手紙など出していないと言った。そしてエレンは死に、エレンの部屋に入った使用人もバタバタと倒れた。状況が全く同じなんだ!」
・・・。
私はぞっとした。
そうだよ。今日が『初回』だったかどうかわからない。何回目かだったという可能性は十分にあるんだ。連続殺人鬼は、バレるまで同じ手口を繰り返すと、日本の刑事ドラマでしょっちゅう言っている。過去に成功していたからこそ、また同じ事をしてきたのかもしれないのだ。
ザワザワザワザワ。
使用人達のざわめきが、大雨の音にも負けないくらい大きくなった。
「おまえが!おまえが母上を殺したのか⁉︎」
コンラートが叫んだ。腰に下げた剣に手を置いている。凄まじい殺気に思わず後ずさってしまった。
アントニアは、冷たい視線をコンラートに返した。
また言い訳をするかと思ったが何も言わずにいる。
伯爵がアントニアに言った。
「おまえの事は、エーレンフロイト侯爵令嬢に対する殺人未遂の罪で、司法省に引き渡す。その、調査の過程で6年前の事も調べる。どれだけ、証拠が出てくるかはわからないが、できる限りの証拠を見つけるつもりだ。」
「そう。何を言っても無駄みたいね。」
そう言ってまた、アントニアはにっこりと笑った。
「証拠が欲しかったらここに有るわよ。」
そう言って、服の胸ボタンを開け始めた。谷間を見せてどうするつもりなのかと思ったが、ペンダントを取り出したのだ。鍵の形をしたペンダントだった。それを外し
「あげるわ。」
と言って、床に投げた。一瞬の沈黙。伯爵が執事に目で合図をし、執事がしゃがんで鍵を拾った。
その一連の行為を、私もユリアもコルネもアーベラも伯爵もコンラートも見ていた。
皆の視線が外れた一瞬。アントニアは、胸の谷間からピルケースを取り出した。そして、その中身を突然あおった。
その瞬間もアントニアは笑っていた。
倒れたアントニアの体がびくっ!と痙攣した。アントニアの側にいた侍女達が悲鳴をあげた。
「吐かせろ!」
と伯爵が叫んだ。
騎士達が一斉にアントニアに駆け寄る。使用人達の中にいた、主治医っぽい人も側にひざまずいた。
主治医っぽい人が伯爵の方を振り返り、首を横にふった。
目の前の光景が信じられなかった。
たった今、私の目の前で、人が一人自死したのだ。