第二ラウンド 食堂
そうして、夕食の時間になった。
私達は食堂に案内された。
細長いテーブルの『お誕生日席』に伯爵様が座り、伯爵様の左手側の長い面にまず私が座りその左側にアーベラが座る。私の真正面がコンラートの席で、右隣にコルネ更にその右がユリアの席だった。
そしたら、コルネがモジモジして、アーベラに
「席を変わってもらえませんか?」
と言った。
「申し訳ありません。私はお嬢様の護衛なので同席しての食事を許してもらった以上、お嬢様の側を離れるわけには。」
そしたら、コルネは珍しくユリアに頭を下げてユリアに席を変わってくれと頼んでいた。そんなにコンラートの隣が嫌なのだろうか?
食事はとても豪勢でボリュームがあった。男性二人の家族だからかやっぱり肉料理が多い。肉料理があまり好きではないコルネは大丈夫かな?と思ったが、なんかものすごく猫背になって、つつく程度に皿の上の料理を食べていた。
『種痘』について質問してみたいが、最初からグイグイ行くと教えてもらえなかった時に空気が気まずくなるので、まずは別の話題をふってみた。
「もうじき建国祭があって、二ヶ月後には新年祭ですね。新年祭の時には家族で集まって、大人が子供に贈り物をするものですけど、孤児院の子供達には親がいないので、私達からちょっとした物を一人一人に贈ろうと思っているんです。でも何をプレゼントしてあげたら良いのか悩んでいて。実用品だけど、使ったら失くなるって物じゃなくて、『貸して』と頼まれたら気楽に貸せるような、そんな物を考えているんですけど、コンラートお兄様何か思いつく物はありませんか?ちなみに今年の新年祭では、女の子にリボン、男の子にはサスペンダーを贈りました。」
コンラートが僅かに首を傾げ、黙っている。考えてくれてはいるようだが、思いつかないらしい。
「『使ったら失くなる』実用品ってどんな物だい?」
と伯爵様に聞かれた。
「歯ブラシとか、保湿クリームとかです。そういう絶対に生活に必要な物ではなくて、なくてもまあ生活はできるけど、あったら気持ちが豊かになるような物を贈りたいんです。絶対に必要な物はお祭りに関係なく、周期的に贈ってますから。」
「偉いなあ、レベッカは。」
「閣下は今まで、コンラートお兄様にどんな物を贈ったりされました?」
「今年は、翡翠のカフスだな。去年は剣を贈った。」
「・・宝石はさすがに高価過ぎです。子供もたくさんいるので予算が。」
「だな。」
アクセサリーも考えはしたのだが、男の子をどうするかが困ってしまう。それに趣味に合わないアクセサリーほど、もらって困る物はない。
すると、普段こういう時にあまり意見を言わないコルネがおずおずと口を開いた。
「櫛はどうでしょうか?」
「櫛?」
「はい。私はずっとお母様の形見の櫛を使っていました。もうぼろぼろになっていたけど思い出の品なので大事にしていました。でも、侯爵家に住むようになって、侯爵夫人が新しい櫛をプレゼントしてくださって、それはそれでとても嬉しかったんです。櫛を持っていない子供は、自分専用の櫛を持てたら嬉しいだろうし、持っている子も二本目があっても嬉しいと思います。どうでしょうか?」
櫛か。
自分では絶対思いつかない品物だったな。私の髪は超絶ストレートで、しかも頑丈なのでほとんど絡まないのだ。なので、櫛でとかなくても良いくらいなのだが、毎朝乳母のユーディットにとかれている。そんな私の髪と比べて、コルネの髪はゆるふわなので、朝起きるととっても絡まっているのだ。なので、櫛は絶対必需品である。
ところが。
ここで、妙な事をコンラートが言い出した。
「自分専用の櫛って、櫛を他人と共有する事ってあるのか?」
「そりゃあ、持ってない子は人の櫛を使わしてもらいますよ。コンラートお兄様。」
「櫛って、歯ブラシや下着と同じで直接肌に触れる物だろう!それを、人と共有ってあり得なくないか⁉︎もしも皮膚病や、シラミがいる子がいたら、全員にうつるじゃないか?」
「・・・。」
コルネが小さくため息をついた。
「コンラート様は、貧しさという物を全くご存知ではないのですね。貧乏人は、人の櫛を借りたらシラミがうつるとか、お下がりの靴をもらったら水虫がうつるとか、そんな事を気にしてなどいられないのですよ。」
それも、また一つの極端ではあるが・・・。
でも、コンラートの意見も極端だ。歯ブラシはともかく、櫛くらいなら貸し借りするのは普通だと思う。文子だった頃、学校の友達と櫛の貸し借りくらい普通にしていたし、児童養護施設でも、なぜか櫛はすぐに行方不明になるので、同室の子の櫛を貸してもらったりしていた。人が使った櫛は汚い、とか思うなら洗って使えばいいだけの話だ。そもそもシラミだって不衛生な頭皮にわくわけではない。わく時には誰の頭にもわく。
修羅の人生を歩んできたコルネには、お祭りの度に宝石だ、剣だ、と高価な物をプレゼントしてもらっているコンラートが苦労知らずのぼんぼんに思えるのだろう。そして上述のセリフを私が言ったら、すごく嫌味で意地悪なコメントに聞こえるだろうが、無駄に薄幸オーラを発しているコルネが言ったら、コンラートの方が無慈悲な極悪人に見える。
「・・まあ、衛生の観点から言えば、各自が自分の櫛を持っている方がいいよね。櫛をプレゼントしてあげたらいいじゃないか。うちからも、プレゼント代は寄付させてもらうよ。なあ、コンラート。」
と苦笑いしながら伯爵がおっしゃった。
「それより、孤児院の子供達にシラミがわいているかも、という話の方が気になるな。良い薬も今はたくさん開発されている。本当にそんな状況なら、薬も寄付するが。」
「王都にはシラミに効く薬があるのですか?ハイドフェルト領では、もしもシラミがわいたら、髪の毛をみんな剃って頭皮に灯油を塗るようにとお医者様が言っていました。」
コルネのセリフに伯爵とコンラートが同時にむせた。私も手が一瞬フリーズした。確かに、そこまでやれば確実に虫は死ぬだろう。しかし、万が一火が点いたりとかしたらどうすんだ?
「それは、黒魔術の一種ですか?」
とユリアも蒼ざめている。
「髪を剃るというのは女性には、勇気がいりますね。」
とアーベラが言った。男でもかなり勇気のいる治療法だと思う。
「そこまでしなくても、本当に今はよく効く薬が研究されているから。」
と伯爵がおっしゃった。
私はいい感じに、風向きが変わったぞ。と思って話題を変えた。
「シラミは昆虫というより、寄生虫の一種なのですよね。そういえば、さっきコンラートお兄様から、お母様のお兄様は『原虫』のせいで亡くなったと教えていただいたんですけど、私『原虫』という物をよく知らなくて、寄生虫の一種なのでしょうか?」
本当は知っている。何せ文子は、大学の薬学部を目指していたのだ。『原虫』は寄生虫の中でも単細胞の生物を指す言葉である。
『原虫』が原因で起こる病気で、地球で最も有名な病気はマラリアだろう。他にも眠り病とかいろんな病気があったはずだ。
私は一応言っておいた。
「食事中にこの話題はまずいでしょうか・・?」
「いや、かまわないよ。確かに原虫は寄生虫の一種だ。その中でもとても小さくて、顕微鏡を使わないと見えないような種類を言うんだ。」
「伯父様は具体的にどのような症状で亡くなられたんですか?」
「最初は発熱症状が出て、リンパ節が腫れる。次いで貧血状態になり心臓や腎臓が悪くなっていく。病状が進行すると錯乱状態が出たり昼夜が逆転して、昼間に居眠りしたり夜不眠状態になるんだ。最終的には昏睡状態になって死に至る、というような病状だ。」
あ、眠り病と一緒だ。きっと同じ病気だな。
「恐ろしい病気ですね。空気感染するのですか?」
とユリアが質問した。
「いや、ハエに刺される事で体内に原虫が入り感染するんだ。そのハエは西大陸にはいないから、西大陸内ににいる限り感染する事はないよ。」
「ハエが刺すんですか⁉︎蚊や蜂ならわかりますけど。」
コルネがびっくりしている。
「蚊と同様吸血の為にね。外国には変わった虫もいろいろいるから、驚くよね。」
「そういった風土病は、発症者が限られるので予防薬や治療薬の研究がなかなか進まないですよね。国家とかが背後についているお医者様や化学者の方が研究してくだされば良いのに。」
と私は言って。そして本題に入った。
「北大陸のグラハム氏は、国がバックにいて様々な研究をされているのでしょう?そういうふうに聞いていますけれど。」
「そうだね。ただ風土病については我が国でも様々な研究が進んでいるよ。国立医大にも専門の研究機関がある。」
と伯爵が言う。でも、今知りたいのはヒンガリーラントの大学の研究ではなく、グラハム氏の研究なのだ。
「ベッキー様。風土病とは何ですか?」
とコルネに聞かれた。
「ある特定の地域にだけ発生する病気の事よ。その地域にしかいない虫に刺されて病気になったり、その地域独特の風習が原因で病気になるの。」
『風習』が原因でなる風土病で、地球で最も有名だったのは、ニューギニア島のクールー病だ。
体が震えて、やがては自力で座っている事すら出来なくなり、最終的には死に至る。
しかし、どういう風習が原因でその病気になるのかは、食事中には絶対に言えない!
話がそれてしまった。話を戻さねば、と思ったが。
執事さんが、食堂に入って来て
「旦那様、お話中申し訳ございません。少しご報告したい事が。」
と言った。
「わかった。すまない、仕事が入ったので先に席を立たせてもらう。みんなはゆっくり食事を楽しんでくれ。」
と言って伯爵は席を立ってしまった。
前振りに時間をかけ過ぎてしまった!さっさと本題に入れば良かった。
私のがっかりした気持ちに呼応するように、窓の外に稲光が走った。
「天気が荒れてきたな。」
とコンラートが言った。
「この天気で馬車を走らせるのは危険だ。今夜はうちに泊まっていくといい。」
とコンラートが言ってくれた。やった!それならまだチャンスはある。第三ラウンドこそ、絶対話を聞いてみせるぞ!