シュテルンベルク家の9年の物語(1)(オイゲン視点)
シュテルンベルク家の執事さん目線の、シュテルンベルク家の歴史です。
レベッカが4歳の頃から現在までの話になります。
エントランスに置かれた花瓶に、私は桔梗の花をさしました。
桔梗は、亡きエレオノーラ奥様がとりわけ好きな花でした。そして初代シュテルンベルク伯爵夫人も、桔梗の花が好きだったと聞いております。
私の名前はオイゲンと申します。シュテルンベルク伯爵邸で執事の職についております。
私がこの館で働き始めてもう五十年近くになります。
私は先代の伯爵様が『若君』と呼ばれていた頃からこの館で働いております。元々は若君エルハルト様の従僕でした。
エルハルト様はとてもお優しい方でした。使用人にも領民にもお優しく、大変慕われておいででした。
貴族の中にはとても横暴で、使用人を人だと思っていないような方もおられます。だけどエルハルト様は違いました。
あの方にお仕えする事ができて、私は大層幸福でした。
そのエルハルト様が亡くなられたのは9年前の事でございます。
白血病でした。残念ながら今の医学では治療法の無い不治の病です。発覚したのは、秋の終わり頃でした。医者は少しでも余命を伸ばす為暖かい地域での療養を勧めました。
それを聞いた奥様、パウリーネ様は、旦那様を地方の療養所へと追い出そうとしました。
白血病は、人に感染する病気ではありません。ですが
「うつったらどうしてくれるのよ。近寄らないでちょうだい。同じ建物で空気を吸うのも嫌。」
と言われました。
奥様が、酷薄な方である事は重々承知しておりましたが、あまりにも薄情な物言いに怒りよりも情けなさでいっぱいになりました。
そんなエルハルト様に寄り添ってくださったのは、異母妹のアルベルティーナ様でした。
エルハルト様も
「エーレンフロイト領に一度行ってみたかった。」
と言われて、ヒンガリーラントの南西にある温暖なエーレンフロイト領に向かわれました。
アルベルティーナ様とアルベルティーナ様の娘であるレベッカ様の存在が、どれほどエルハルト様の支えになったのか言葉では言い表せません。
レベッカ様は、不思議なお嬢様でした。まだ、たったの4歳でありながら、とても賢いと申しますか、とても空気が読めるのです。
まず、アルベルティーナ様が
「伯父様はご病気なのですから、お部屋に入っていいか?近寄ってもいいか?を、オイゲンか侍女長のヨハンナにまず聞くのですよ。」
と言い含められると
「はーい。」
と元気に返事され
「おじーちゃま、お散歩行こー!」
「おじーちゃま、リバーシしよー!」
「おじーちゃま、お話してー!」
「っておじーちゃまに聞いてー!」
と必ず大音量で、廊下から部屋に叫ばれるのです。エルハルト様は体調の良い時はレベッカ様のお相手をされ、体調の優れない時は私が今は無理なようです。とお伝えしました。
今は駄目と言われたらレベッカ様は
「わかった。」
と言って、決してわがままを言われません。しかし、側に寄れる時は思いっきり甘えられます。
ベッドに腰掛け、ぴったりと体を密着させ『お話』をせがまれます。エルハルト様もお側にいる私達もメロメロです。
幼い子供というのは、とにかく可愛いものです。そして、甘えられれば『幼い子供に慕われる自分』という、大人としての自尊心を満たす事ができます。
エルハルト様は、とにかくレベッカ様の事を猫可愛がりされました。
アルベルティーナ様は
「おじいさまではなく、おじさまです!」
と何回も言われますが
「いいんだよ、いいんだよ。おじいさまで。コンラートがおじいさまって呼ぶのにレベッカはダメって言われてもわからないもんな。」
と笑顔で言われるので、結局ずっと『おじーちゃま』と呼んでおられました。
「私は今、とても幸せだよ。ただ、レベッカの社交界デビューを見られないだろう事だけが残念だな。」
とエルハルト様は言っておられました。
幼いレベッカ様は、エルハルト様が亡くなられても『死』というものを理解できないだろう。そして、エルハルト様の事をすぐに忘れてしまわれるだろう。と私は思っていました。
しかし、それは間違いでした。レベッカ様は本当に賢いお子様だったのです。
『その日』は、王都からエルハルト様のご長男リヒャルト様と妻のエレオノーラ様、そしてお二人のお子のコンラート様がお見舞いに訪れた時にやってきました。
御三方が到着された日は和やかでした。コンラート様とレベッカ様がリバーシをして、コンラート様がコテンパンに負けたり、皆で砂浜に散歩に出かけコンラート様が砂浜で瑪瑙を発見され、レベッカ様にプレゼントされたり、ビーチグラスを集めるのが趣味のレベッカ様の為に、中に仕切りのある宝石箱を買ってプレゼントしてあげて欲しいとエルハルト様がエレオノーラ様に頼まれたり、そうやって穏やかな時間が過ぎていきました。
しかし、翌日。エルハルト様は不調を訴えられ、そして大量の血を吐かれました。駆けつけて来た医者に血圧と心拍が下がっている事を告げられ、最後の時間を大人達で見守って差し上げるよう言われました。
そして昼過ぎ、エルハルト様は静かに息を引き取られました。
医者が出て行く為にドアを開けるとドアの外にレベッカ様とコンラート様がおられました。
「おじーちゃま!」
今まで決して私の許可がなければ、エルハルト様の部屋に入っては来られなかったレベッカ様が入って来ました。
「おじーちゃま、ダメだよ。起きて。ねえお目々開けて。お話して。おじーちゃま。」
目にいっぱいの涙を溜めたレベッカ様が、エルハルト様にすがりつきます。
哀れを誘う声に、感情が強く揺さぶられました。
「父上!」
ずっと、毅然としておられたリヒャルト様が崩れ落ちて泣き始めました。エレオノーラ様がリヒャルト様を抱きしめられます。
「レベッカ、離れなさい。お兄様を眠らせてあげて。」
「やーっ!」
「レベッカ!ゾフィー、ビルギット。レベッカを部屋へ連れて行って!」
「やだやだやだーっ!おじーちゃま、おじーちゃまあっ!」
わがままを言う事のなかったレベッカ様が、イヤイヤ期の子供のように泣き叫びました。
「お嬢様。お部屋へ戻りましょう!」
もともとアルベルティーナ様の側近として、シュテルンベルク家で働いていたゾフィーとビルギットが、泣きながらレベッカ様を抱えあげました。
「うああああああん。」
レベッカ様の泣き声が廊下に響きます。呆然としていたコンラート様が、一瞬両親の方を見た後、レベッカ様を追って行かれました。
「お兄様・・。」
アルベルティーナ様が、エルハルト様のご遺体の側に座り込みすすり泣き始められました。
私も。王都のお屋敷から付き従っていた全使用人も泣いていました。レベッカ様の悲痛な声に誘発されるように。誰もが涙を止める事なく泣き続けました。
それからはたくさん、するべき事がありました。
不思議な事ですが、声をあげて泣く事ができたからでしょうか。皆、気持ちを切り替えてするべき事をする事ができました。
まずはエルハルト様のご遺体を王都へお運びし、葬儀を急いで行わなくてはなりません。
跡継ぎであられるリヒャルト様も、一度激しく泣かれた後は凛として行動され、率先して動いてくださいました。
葬儀は豪勢なものとなりました。
大貴族の当主で人格者であったエルハルト様の葬儀にはたくさんの方が参列してくださいました。王家からも、王弟フェルディナンド様がお越しくださいました。その葬儀で当然ながら主役となるのは、伯爵夫人であるパウリーネ様です。
「とても寂しいわ。」
と口では言っておられますが、自分が場の主役となって、皆から注目される立場となっている事が楽しくてたまらないと思っているのが態度でわかります。
時に笑い声までたてられるパウリーネ様の姿に、エルハルト様に仕えていた使用人達は皆冷たい目を向けておりました。エーレンフロイトご夫婦も呆れておられました。
「ようこそおいでくださいました。」
と私はお二人に言った後、僭越とは思いつつもつい聞いてしまいました。
「レベッカお嬢様はお越しにはなられなかったのでしょうか?」
「ええ、また大騒ぎして迷惑をかけたらいけないと思って、置いてきたわ。」
アルベルティーナ様が、そうおっしゃられます。
「そんな。誰も迷惑になど思うわけがありません。レベッカお嬢様のような方にこそ、伯爵様を悼んでいただきかったです。」
あんな女ではなく。という言葉は飲み込みました。
「レベッカを気にかけてくれてありがとう。でも、あの子はたくさん愛情と思い出を頂いたから大丈夫だ。それに・・。」
エーレンフロイト侯爵が皮肉げに微笑まれました。
「あの子が泣いたり、思い出を語ったりして、招待客の注目を集めたりしたら怒りそうな人がいるから。」
そう言って、パウリーネ様の方をご覧になりました。
「お兄様は幸せだったのかしら?」
冷たい表情でぽつりとアルベルティーナ様が言われました。
「もちろんでございます。アルベルティーナ様とレベッカ様のおかげでどれほど旦那様の日々が豊かなものになったか。」
私は話していて、また涙ぐみそうになりました。
「違うわ、オイゲン。あなたのような人がお兄様の側にいてくれたからこそよ。」
「そうさ。可愛い妹と信頼できる側近がいる人生が不幸なわけがない。」
とエーレンフロイト様が言ってくださいました。
「今言う事ではないかもしれないが、オイゲン。大変なのはこれからだぞ。リヒャルトは義兄上ほどパウリーネ夫人に甘くはないだろうからな。」
この不吉な予言は的中するのでございます。