事件(1)
次の日の朝。私は寒くて目が覚めた。
文子が住んでいた街は、11月でも『残暑』だったが、ヒンガリーラントの王都の11月は『初冬』だ。
元々、ヒンガリーラントの王都はもっと南の方にあった。
しかし200年くらい前に、はしかが大流行して今の場所に遷都した、と図書館で読んだ医学の歴史の本に書いてあった。
「えっ、はしかで?」と、日本人には言われそうだが、はしかを侮ってはならない。日本でも江戸時代の頃には『天然痘は容色を奪い、はしかは命を奪う』と言われるほど、はしかは恐ろしい伝染病だったのだ。
ようするに、はしかに怯んだ王様や貴族が感染者を置き去りにして、夏の避暑地に逃げ込み、首都機能がそのまま移転してしまったのだ。なので王都は、夏は過ごしやすいのだが、冬が寒い。しかもエアコンやファンヒーターが無いのでほんとに寒い。
寒くなってありがたいのは、蚊がいなくなる事だけだ。
王都は森に囲まれているので、湖とか池が多い。だから夏になるとめっちゃ蚊が出る。お部屋から蚊がいなくなる系のグッズとかが無い世界なので、夏場はとても蚊にさされる。当然、デング熱とか日本脳炎の親戚か?というような病気も存在していて、じわりじわりと人口を削っているのだ。貴族のベッドは、天蓋がついていてレースの垂れ幕がかかっているが、実はこれは蚊帳の役割を果たしているのである。
私は常々思っていた。異世界マンガには、よくビキニアーマーな人が出てくるが、あの人達は蚊やマダニが気にならないのだろうか?
今日は特に寒いなあ、と思っていたら、雨がしとしとと降っていた。こんな日に外出するのは、ずぶ濡れになってしまう馬車の御者さんに申し訳ない。
一瞬、今日は王宮に行くのやめようかな、と思ったが「いや、まてよ。」と私は思い直した。事件は季節外れの暑い日ではなく寒い日に起きるのだ。だったら、今日のような日こそ図書館に行かなくてはならない。
私はいつものように、午後から王宮へと出発した。図書館に一番近い馬車置き場でばったりコンラートに会った。寒いからだろう。私同様、コンラートも今日はコートを着ていた。
「明日からアカデミーがまた始まるから、図書館にはしばらく来られなくなるんだ。」
とコンラートが言った。
そうかー。もう会えなくなるのか。私達は親戚とはいえ、ほとんど交流が無いし、もしもまた18歳で死ぬ事になったら2度と会う事はないかもしれないなあ。
「コンラートお兄様元気でね。寒いけど風邪ひかないように気をつけてね。人生はいろんな事が起こるかもだけど、まともな女性も世の中いっぱいいるんだから、良い人と結婚して友達もよく選んで、幸せになってできるだけ長生きしてね。」
「今生の別れじゃあるまいに。」
呆れた口調で言った後、コンラートは真面目な顔をして言った。
「ベッキーもアカデミーに来ないか?」
「へ?」
「アカデミーに入学できるのは長く男子だけだったが、2年前から女子生徒も入学できるようになったんだ。ヨーゼフは8歳だから、来年の新年祭が終わったら、アカデミーに入学するだろう。だから一緒にベッキーもアカデミーに入学したらどうだ。そうすれば、もっとたくさんの事を学ぶ事ができる。」
アカデミーには、『初等部』『中等部』『高等部』があって、初等部は8歳から10歳、中等部は11歳から13歳、高等部は14歳から単位を全部取って合格するまで通う。アカデミーに通うという事は大変に名誉な事なので、貴族の男子は、よほど貧乏とか、集団生活が無理なほど病弱とかでない限り、全員アカデミーに通うのだ。
「ヨーゼフと一緒に、と言ってもヨーゼフと同じ部屋ってわけにはいかないよね。」
「ああ。女生徒と男子生徒は寄宿舎が別だからな。」
ちなみに、過去の私はアカデミーには、通っていない。女子も通えるようになったとはいえ、女子生徒はほんの少ししかいなかったはずだ。
そして、女子が少ないという事は、多分その少数派な女子達はがっちりと結束しているはずだ。そこにすぐ溶け込めるほど、協調性に自信がない。もしも女子達が結束しておらず、お互いにいがみ合っているとしたら、それはそれでお近づきになりたくない。
「なんか、いじめられそうで不安だなー。ほら、私、先祖がアレだから。知り合いもいないしさ。」
「ジークルーネが通っているぞ。」
「誰、それ?」
「私の婚約者だ。子供の頃会った事があるだろう。」
「・・・。」
知り合いは知り合いだが、知り合いのくくりにあまり入れたくない人だった・・・。
話しているうちに、図書館の扉の前にたどり着いた。
扉を開けようとした途端、扉がガチャっと開いた。中から、男性の集団が出て来る。コンラートが突然私の腕をつかみ
「頭を下げるんだ!」
と言った。
私は頭を下げた。下げつつ、ちらっと集団の方を見る。コンラートより少し年上に見える少年達で、皆高価そうな服を着ていた。
その中に、ひときわ高価そうなジュストコールを着た少年がいた。美しい金髪に、端正な顔立ちの美少年だったが「ああ、美男子ですね。」の一言で終わってしまうような華の無いタイプだった。
少年と目が合ってしまい、私は慌てて瞳をそらした。少年が私達を見つめる瞳はうつろで、死んだ魚よりも光が無い。なんだか気味が悪くて、それを表情に出してしまいそうになり、慌てて表情筋を引き締めたが、多分向こうだってこちらに好感は持っていないだろう。
好感どころか、そもそも私達の事見えてる?と思うほど目がうつろだった。
そして、私達の事が全く見えてないかのようにガン無視して、その少年は向こうへ行ってしまった。
顔を上げたコンラートの言葉に、私の胸がドクンと嫌な音を立てた。
「王太子であるバルドウェイン殿下だ。」
図書館で王太子に会うのは初めてだ。彼が図書館で本を読んでいる姿は見た事がない。嫌な予感に背筋が震えた。いつもと様子が違う事は他にもあった。図書館内に司書が一人もいなかったのだ。
ギイっと音がして私は飛び上がりそうになった。図書館の扉を開けて司書さん達が入ってきたのだ。
どこに行っていたのだろう?とは思うが、それ以上に隠し部屋の様子が気になる。私はフレスコ画の方を見に行った。
んぐっ!
そこには、普段無いものがあった。ちょうど扉の絵がある場所に木の箱が置かれ、その中に重そうな本が何十冊も入っていたのだ。
本の重さが一冊2キロとしても、これだけあったら木の箱の重さと合わせて数十キロあるだろう。外開きのドアの前にこんなものを置かれたら、隠し部屋の中からドアを開ける事は絶対にできない。
「これ、どうしたんですか?」
一応司書さんに聞いてみた。
「わかりません。なぜ、こんな事を。ああ、こんな入れ方をされたら本が傷むのに。」
司書さんは『誰が』ではなく、『なぜ』と言った。誰がやったかはわかっているのだ。そして『されたら』と敬語を使ったところをみると、その人は司書さん達より身分の高い人だ。
司書さん達は、王太子がここへ来たことを知っている。そのうえで席を外していたという事は、王太子が人払いをしたのかもしれない。
溜息をついて司書さん達がどっか行こうとしたので、私は
「この本片づけないんですか?」
と聞いた。司書さん方は戸惑ったように顔を見合わせて
「そうですね。後からやります。」
と言った。
「・・なぜ、このような事をされたのか理由があるかもしれませんから。」
王太子が何を考えてこんな事をしたのかわからないので、勝手な事をして責任をとらされたくないのだろう。
いや、理由も何も。どう考えても閉じ込め目的でしょう!
そこで、私は、はっ!とした。
司書さん達は、ここに隠し部屋があるって知らないんだ!
「あの、司書長はどこですか?」
と、私は聞いた。司書長さんなら、ここに隠し部屋がある事を知っているはずだ。
「司書長は、予算会議に出ています。」
「・・・。」
いつ戻ってくるのか、それではわからない。どうしたら良いだろうか。今日は寒いとはいえ、真冬ではないのだからすぐすぐ凍死はしないだろう。しかし、私が図書館に居られる時間は限りがある。夕刻の鐘が鳴るまでに司書長が戻って来ない可能性もあるのだ。
私一人では、とても木箱は動かせない。木箱を軽くする為、中の本を出そうにも、子供の細腕では大変な労力と時間が必要になる。
そんな事をしていたら、何をしているのかだろうかと思われるだろうし、勝手な事はしないでほしいと注意されるかもしれない。
司書さん達でさえ存在を知らない隠し部屋を、なぜ知っているのか聞かれても説明のしようがない。
どうする?
何と言えば、木箱を移動してもらえる?
しばらく考えてから私は口を開いた。
「あの・・聞きたい事があるのですけれど!」