北大陸の医者
興奮のあまり、私は食事中だというのに勢いよく立ち上がった。
「『種痘』があるの⁉︎本当に?」
「えーと、あの、なんかそういうのがあるみたいな話を小耳に挟んだと言いますか・・・。」
「誰から⁉︎どこで⁉︎」
「シュザンナ伯母様です。」
シュザンナさんは、ブルーダーシュタットでカフェを経営しているユリアの伯母さんである。
「伯母様は、カフェのお客から聞いたらしいんですけど。」
「詳しく聞かせて、お願い!」
「はい。元々は『寒天』が手に入りにくくなった、という事だったんですよ。」
「寒天が?」
「あ!エーレンフロイト家の分はちゃんと確保していますから。ただ、伯母様のカフェでも寒天菓子は大人気だそうですで、それが手に入りにくくなって、どうして?って伯母様が理由をうちに聞きに来たんです。で、その理由というのが、北大陸でものすごく寒天が売れているからだったんです。でも、寒天を食べる為に買っているわけではなくて、あるお医者様が細菌を培養する為に買っていたのだそうです。そのお医者様は、細菌を純粋培養して弱毒化させて、炭疽病とか破傷風とかコレラの予防薬を作ったのだそうです。」
すごい、すごすぎる!
細菌の純粋培養に弱毒化。それにこの話の流れからするにそのお医者様が種痘を作り出したのだろう。
地球の歴史で言うと、ジェンナーとパスツールとコッホが成し遂げた大偉業を一人で成功させたようなものだ!
その医者が何歳なのか知らないが、あまりにも天才すぎる。もしくは20世紀以降の地球から転移して来た地球人であるかのどっちかだ。
「そのお医者様が作った種痘を、とある村で天然痘が流行った時、治療に行った医療団の人達がしたら、医療団の誰も天然痘がうつらなかった、という話を伯母様の店のお客様がしていたそうです。」
「すごい!」
「でも、その、酔っぱらいの話だから、どこまで本当なのかわからないですけど。」
「でも、炭疽病とか破傷風の予防薬を作り出したんでしょう?」
「炭疽病や破傷風は、細菌が原因で起こるんです。でも天然痘は細菌ではなく、細菌よりもっと小さい菌なのだそうです。顕微鏡でも見えないそうですから。」
確かに、天然痘は細菌ではなくウイルスだ。そして、この世界にはまだウイルスという言葉がなく、そして研究も進んではいないのかもしれない。
「そのお医者様の後ろには王様だか王子様がいるので、国策で寒天の買い占めをしているのです。一介の商人では、国に逆らうなんてできませんし、それに適正な価格で買ってくれますから、大量の寒天が北大陸に流れていて西大陸で手に入りにくくなっているんです。そもそも寒天は厳冬期に作るもので、夏になって急に売れるようになったから今すぐ作ってとは言えない商品ですから。」
「ベッキー様はシュトーという物に興味があるのですか?」
難しい専門用語が飛び交って、会話に入れずにいたコルネが口を挟んで来た。
「すっごい、ある。正直言って『種痘』が欲しい。自分が受けてみたい。」
「種痘を受けたら永遠に、天然痘にならないなんて事はないみたいですよ。効果は5年くらいらしいです。飲み薬ではなく、ガラス片で腕に傷をつけて体内に入れるので、腕に醜い痕が残るらしいですし。西大陸で流行ってもいないのに、受ける必要はないと思いますけれど。」
とユリアが言う。
地球とシステムが同じだ。今、私の種痘に対する信頼性は爆上がりした。
日本では1970年代まで、種痘が行われて、種痘をした人は痕が腕に残った。腕に痕があったせいで、年を誤魔化していたのがバレるというミステリードラマをテレビで観た事がある。
「流行ってから『欲しい』って言い出したのでは遅いじゃない。量が限られているなら、国同士、領地同士で奪い合いになるよ。当然値段も跳ね上がるだろうし。」
「それはまあそうですね。」
「でもお、酔っ払いのヨタ話でしょう。詐欺だったらどうするんですか?ハイドフェルト領にも時々いましたよ。飲んだら全ての病気が治る水とか、祈ったら病気にならないっていう彫刻売ってる人。」
とコルネが言う。
詐欺扱いされたユリアがちょっと、ムッとした顔で
「まあ、怖い。ハイドフェルト領の文明と医療は、ブルーダーシュタットより500年遅れてますわね。」
と嫌味を言った。
「北大陸が同じくらい遅れてなけりゃいいな、と言っているんです。」
「コルネ様はご存知ないのかもしれませんが、都会は北大陸だろうが東大陸だろうが、文明度はほぼ同じです。国力や情報の差は田舎町に出るんです。」
二人の間になんか火花が散っているような気がする。
まあ、ユリアの意見の方が正しい。
地球だって、アジアでもヨーロッパでもアフリカでも、首都の発展具合に大差は無かった。整備された道、高層ビル群、インフラにファッション。そういった物に個性はあってもたいした格差は無かった。天と地ほどの差が出るのは田舎である。その国の真の豊かさは田舎の状況に出る。と、途上国にボランティアに行くのが趣味の知り合いの大学生が言っていた。
そもそも、コルネの発言にはうっすらと、他の大陸の人間に対する差別を感じるぞ。
「『種痘』について、もっと詳しい情報が知りたいなあ。」
私は考え込んだ。情報大臣を父に持つアグネスに頼んだら、何かわかるだろうか?
「そういう情報は、エーレンフロイト嬢の従兄弟が詳しく知っているのではないのですか?」
突然、話しかけられてびっくりした。
誰かと思ったら副校長だ!
寄宿舎の離れに住んでいる副校長は生徒達と一緒に夕食をとっているのだ。
「申し訳ありません、声が大きかったですよね。」
「エーレンフロイト嬢の声が大きいのはいつもの事ですが、ハイドフェルト嬢とレーリヒ嬢の声がどんどんと大きくなったのは気にかかりました。食事中ですから、お二人はもう少し落ち着いてくださいね。」
「はい。」
「申し訳ありません。」
「外国の生活や、医療について興味を持つのはとても良い事ですよ。三人のお話は私もとても興味深く思いました。」
と言って副校長は微笑んだ。
それにしても従兄弟かあ。
私には父方の従兄弟はいない。母方の従兄弟というと。
「シュテルンベルク伯爵。そうか、医療大臣ですものね。」
「医療省には、全世界の先進医療の情報が集まっているはずですよ。そういった情報を集める専門部署があったはずです。私も、今日の新聞は読みましたが、新聞を読んだり、社交場での噂話を集めたりするよりも、確実に本当の事を知りたかったら、ご両親を通じて伯爵閣下に確認してみたらどうですか?」
「はい。」
と言ってみたが、私はその言葉に納得していなかった。
できれば、親を通してではなく、直接話を聞いてみたい。
だけど今は、建国祭を目前にして、成人貴族達は忙しい時期だ。会いたいと思ってもすぐに会えると思えなかった。
だが、その時天啓が閃いた。間もなく伯爵の妻だったエレオノーラ夫人の命日じゃないか!
二年前のこの時期、コンラートに会いたくて墓場ではっていたら、コンラートにも伯爵にも会う事ができた。
また今回も墓場で、待ち構えていたら会えるかも。
コンラートとは、ジークルーネの一件で大げんかになり、その後関係は気まずいままだ。ブルーダーシュタットで事件に巻き込まれた時は、両親と一緒に迎えに来てくれたが、帰り道は私は馬車、コンラートは騎馬で話ができなかった。そもそもジークルーネが側にいたので深く話し込む事もできなかった。
その後、しばらく我が家にコンラートは泊まっていたが、私が自室に閉じ込められていたのでやっぱり話はできなかった。
そんな状況だから、墓場でバッタリ会っても二年前みたいに家に呼んでくれないかもしれない。
それでも、私は焦っているのだ。天然痘は、もうすぐそこまで迫っている。いつ王都で流行しだしたかはっきり記憶していないが、流行まで一年無いのは確かなのだ。できる事は全てしておきたい。
私はさっそく、お母様に手紙を書きユーディットに届けてもらった。エレオノーラ夫人の墓参りに行きたいので迎えに来て欲しいと頼んだのだ。
お母様からは、その日は午後から用事があるので、代わりにゾフィーを迎えにやらせると返事が来た。
やったー、第一関門クリア。と思っていたら、私が墓参りに行く事を嗅ぎ付けたユリアとコルネが一緒に行きたいと言い出した。
「二人共、エレン様に会った事ないでしょう?」
と言ったのだが
「シュテルンベルク家のお墓って『聖女エリカ様』のお墓でもあるのですよね。以前から一度行ってみたいと思っていたのです。」
「私もですー。ユリア様が行かれるのなら、私も絶対行きます!」
と二人は大騒ぎだ。
仕方なく
「わかった。」
と私は言った。
「だけど霊園という場所は、とても厳粛な場所なのだからね。ノイジーなマネをしたらアカンよ。」
確か、二年前霊園に行く時、同じような事を執事に言われたな。と、私は懐かしく思い出した。




