エーレンフロイト侯爵夫婦の昔話(9)(ゾフィー視点)
舞踏会があった翌日。
何と、伯爵夫人自ら西館へ現れました。
妹や姪のペトロネラ、侍女達を大量に引き連れてです。
「宝飾品はきちんとした管理責任者のもと管理しておかなくてはならないわ。昨日、王女にもらったブローチと、あと真珠の髪飾りを出しなさい!」
「あの・・でも。」
「侍女長、アルベルティーナとマルガレーテの部屋へ行って取って来なさい!」
「かしこまりました。奥様。」
そう言って本館の侍女長が、侍女達を引き連れてアルベル様の部屋へ入って行きました。そして、机の引き出しや衣装ダンスを乱暴に開け、中身を乱暴にあさり始めます。私はびっくりしてしまいました。強盗だって、もう少し慎み深く行動する事でしょう。
「アクセサリーはここにはありません。昨夜のうちに伯爵様にお渡し致しました。」
とヨハンナ様が言われました。
「何ですって!」
伯爵夫人が憤怒の表情で叫びました。
「貴金属を管理するのは、わたくしの仕事なのよ。それをどういうつもりなの!わたくしをバカにしているの!」
「西館の管理責任者は伯爵様です。ですから、伯爵様にお預けしました。伯爵様もそれで良い、とおっしゃられました。伯爵様の決定に異議があるという事でしたら、どうぞ伯爵様本人にお話ください。」
伯爵夫人が、歯が折れそうなほど歯ぎしりされました。
「生意気な!使用人の分際で。」
そう言って、伯爵夫人の妹が扇子をヨハンナ様に振り下ろしました。ビルギットが前へ飛び出し、手を押さえつけます。
「何をするの、無礼者!離しなさいよ。」
「騎士の分際でわたくしの妹に何をするの⁉︎手をお離し!」
「私は西館を守護する騎士です。西館の人間に対する暴力は許しません。これ以上の騒ぎを起こされるならば、次は剣を抜きます。」
剣、という言葉にはさすがの伯爵夫人も怯んだようです。
「騎士如きが!このままで済むとは思わない事ね!」
と捨て台詞を吐いて出て行きました。
「ほんと、予想を裏切らない連中よね。」
メグ様が、頬を膨らませながら言われました。
昨日のうちにアクセサリーを伯爵様に預けておいて本当に良かった、と思いました。
という風に、西館を一瞬の嵐が襲いましたが、本館は爆弾低気圧がずっととどまっている。と、本館勤務の騎士様が嘆いていました。
伯爵夫人は機嫌が悪いし、ペトロネラもよほど王女殿下の婚約パーティーで誇りを傷つけられたらしく、侍女やメイドに当たり散らして暴力までふるっているそうです。どう考えても可哀想なのは怪我をさせられるメイド達ですが、伯爵夫人は
「可哀想なペティー。」
とか、ほざいているそうです。挙句に、碌でもない計画をたて始めました。
王女殿下の婚約パーティーよりもはるかに大規模な、ペトロネラの社交界デビューパーティーを開くというのです。
おかしいでしょ!アルベル様の社交界デビューさえまだなのに。と思いました。アルベル様は、もうじき17歳になられます。伯爵家の令嬢がその年になっても社交界デビューしてないなんて、はっきり言って異常なのです。
アルベル様は何も言われませんが、心の中では辛い思いをしておられる事でしょう。このような時こそ、腹心の侍女の出番です。私は、伯爵様に直訴をしようと心を決めました。
私は騎士に頼んで、伯爵様が絶対館にいる時を教えてもらいました。本館の侍女達に見つかると面倒な事になるので、そろりそろりと伯爵様の執務室へ向かいます。執務室の前で立番をしている騎士に取り次ぎを頼みました。
急に押しかけたというのに、伯爵様はすぐに会ってくださいました。
「どうしたのだい?アルベルに何かあったのか?」
「伯爵様、お願いします。アルベル様に社交界デビューをさせてくださいませんか。アルベル様はもうじき17歳になられるんです。どうかお願いします。」
私はそう言って頭を下げました。
「社交界デビュー?別にアルベルはまだしなくても良いのではないか?」
伯爵様は緊迫感の無い声で言われました。男の方にはわからないのかもしれない。いったい、どう言って説得しよう、と心の中で思っていると
「デビューするのは、社交界に出ていろいろな男性と出会い結婚相手を見つける為だ。でも、アルベルにはフランツ君がいるのだから、デビューする必要はないだろう。むしろ変な虫がついたら困るからなあ。」
「え?あの、閣下は、アルベル様とエーレンフロイト様を結婚させられるおつもりなのですか?」
「私というより、エーレンフロイト侯爵がだ。3年前に正式な婚約依頼証が届いたのだが、フランツ君があまりにも若いので、フランツ君が成人するまで、という事で一旦保留にしてもらった。フランツ君が15歳になった時気が変わっていなかったら、正式に婚約という事になるが、彼の様子を見る限り心変わりしそうにはないだろう。」
「・・そうだったのですか。」
「向こうの方が家の格が上だから、こちらに拒否権はないんだ。だけど、どうしてもフランツ君と結婚したくないというなら、一旦修道院にでも入って、フランツ君が誰かと結婚するまでそこにいるとかするしかないかなぁ。でも、修道院に入った方がマシなほどアルベルはフランツ君との結婚が嫌なのだろうか?」
「いえ、決してそんな事は。」
「だったら来年、フランツ君の成人式と婚約式とアルベルの社交界デビューを3つまとめたパーティーをするのでいいのではないかな。と思う。どうせパウリーネにアルベルの社交界デビューを仕切らせても碌な事をしないと思うし。」
そうですね。
と言うのはさすがに使用人の立場では不敬だと思ってやめました。
「申し訳ありません。閣下のお考えも知らず、僭越な事を申しました。お許しください。」
「いや、アルベルの事を考えてくれての事だろう。これからもアルベルの事を頼むよ。」
「はい。」
と言って更に深く頭を下げたところ、部屋の外の廊下からガヤガヤという騒ぎが聞こえて来ました。
「奥様、お待ちください!」
という声が聞こえるのと同時に、騎士達の静止を振り切り伯爵夫人が部屋へ乱入して来ました。
「侍女如きが、ここで何をしているの!」
まるで、夫の不倫現場を目撃したかのような迫力です。恐ろしくて、すぐに言葉が出てきませんでした。
「何をしているのかと聞いているのよ!」
「私が呼んだんだ。」
と伯爵様が言われました。
「アルベルも、もう大人だし領地の仕事を手伝わせようと思ってね。アルベルには将来必要になる知識だ。午前は家庭教師が来ているはずだから、午後から私の仕事を手伝って欲しい。と、アルベルに伝えて欲しい、と言う為だ。」
「そうね。もう子供ではないのですもの。働かせないとね。」
伯爵夫人の言いぐさにイラッとしました。あなたは、毎日遊んでいるだけじゃないの!
「じゃあ、もう帰っていいよ。」
「さっさと出ておいき。」
「失礼致しました。」
伯爵夫人にまた呼び止められたらかなわないので、私は急いで西館に戻りました。
「ゾフィー、どこへ行っていたの?」
お部屋で、お友達に手紙を書いていたお嬢様が聞かれました。
「あ・あの、伯爵様に執務室に呼ばれまして。」
「お兄様に?」
それで私は、伯爵様がアルベル様に仕事の手伝いをするよう言われた事を伝えました。
「私がお兄様のお手伝いを?それはかまわないけれど、でも急にどうしたのかしら?まさか、お義姉様の散財が過ぎて、雇い人を辞めさせなければならなくなったのかしら?」
「いえいえ、そうではなくて・・。」
私は結局、執務室での事を全部話してしまいました。
「というわけで、将来エーレンフロイト領の領主夫人になられるアルベル様の勉強の為にとの事みたいです。」
それを聞くとアルベル様はお顔が真っ赤になってしまいました。
「アルベル様。アルベル様は、どうお思いですか?もしアルベル様が修道院へ行く方が良い、とおっしゃるなら私はもちろん修道院でもどこでもお供致します。」
「別に、そんな修道院の方が良いなんて、そんな事・・。でも、急なお話でびっくりして。」
「そうですね。エーレンフロイト様が成人するまで、まだ一年ありますし、今急いで答えを出す事はないですもんね。」
「そうよね。」
と言いつつ、アルベル様は耳まで真っ赤になっておられます。たぶんアルベル様の心の中では、もう答えが出ているのではないかな。と思いました。
翌週から、伯爵様のお仕事の手伝い兼お勉強が始まりました。
アルベル様お一人ではなく、エレオノーラ様もご一緒です。
「領地は、小さな国のような物だよ。領主が王で、領主夫人は宰相、そしてその下に財政大臣や司法大臣や教育大臣がいる。」
伯爵様が領主夫人としての心構えを説かれます。
てゆーか、その理論で言うと今現在のシュテルンベルク領は宰相が全くの役立たずですね。
国税と地方税の違い。算出方法。帳簿への書き方。監査の仕方。などについて伯爵様が説明をされます。正直側で話を聞いている私には難し過ぎてよくわかりません。エレオノーラ様が連れて来ている侍女も、表情が無我の境地です。
「国税は払い過ぎても返してくれないし、うっかり脱税してしまったら謝っても許してもらえないからね。」
説明の後は、お二人が実際に帳簿に書き込みをやってみます。大変そうですが、一人ではなく仲間がいるのでお二人共楽しそうです。
予算の立て方、福祉やインフラ整備について、災害や伝染病の流行が起こった時の対処方法、実際にあった事件と裁判など、勉強する事はたくさんあります。領地を持ってるって大変な事なのだな。と領地を持っていなかった下級貴族の私は思うのでした。
そして、しばらく経ち、実地での勉強も必要という事で、伯爵様はアルベル様とエレオノーラ様を連れて領地へ行かれる事になりました。
メグ様も一緒に行きたいと言われたので、メグ様もご一緒です。
行く日程が、ペトロネラの社交界デビューの日と丸かぶりするのはたぶん偶然ではないでしょう。伯爵様としては関わり合いになりたくないのだと思います。
今回は幸運にも、翡翠のティアラを巡る問題は起きませんでした。伯爵夫人が「王女殿下が婚約パーティーの時つけていた、ティアラのダイヤより大きなダイヤでティアラを作ってペティーにかぶせる。」と宣言していたからです。
実は今回も執事さんに「手伝って欲しい。」と頼まれたのですが、最初から断固拒否しました。
シュテルンベルク領は王都からけっこう遠いのですが、河を船で行けるので3日ほどで着く事ができます。
エレオノーラ様だけでなく、アルベル様も領地へ行くのは初めてだそうです。王都よりも標高が高い所にあるので、冬の寒さが厳しく、土地も豊かではないのだそうです。小麦はほとんどとれないので、主要作物は芋と蕎麦、林業が盛んで、狩猟で動物の肉や毛皮を手に入れるのも大事な収入源だそうです。
「今から100年ほど前の領主は、救荒作物として全領民に庭に栗の木を一本以上植えるようにと命令したんだ。飢饉の対策にはなったけれど思わぬ弊害も出た。何かわかるかい?」
旅の途中でも、伯爵様からのお勉強が続きます。
アルベル様とエレオノーラ様は首をかしげられました。私もわかりません。栗の収穫量が増えすぎて値崩れを起こし、栗専門の農家さんが困窮したとかでしょうか?
「ヒント。人間が食べておいしいものは、野生動物には超おいしい。」
「あ!わかりました。人家の庭先に、イノシシとかクマが来るようになってしまったのではないですか。」
とエレオノーラ様が答えられました。
「当たりだよ。人間と動物の住む領域が重なるようになってしまって、動物に人が襲われる事件が増えてしまった。普通の農民には、イノシシやクマと戦う事はとてもできない。でも、領主の命令だから実のなる木を処分してしまう事もできない。領地の歴史上最も悲惨な獣害事件はこの時期に起きているんだ。小さな村で、12人の人間がクマに襲われて死んでしまった。では、質問。領主一族はこんな時どうしたらいいと思う?」
「クマをやっつけるしかないと思います。騎士団を動員して。」
とエレオノーラ様が言われました。
「自分の家族や友達が殺されてしまった村で、また襲って来るかもしれないクマに怯えながら暮らすのはとても無理だと思います。新しい移住先を用意してあげて、生活が再建できるよう援助するべきだと思います。」
アルベル様はそう言われました。
「そうだね、新しい村には柵とか堀とか作って、村人が安心して暮らせるようにしないとね。」
「騎士団にクマを駆除してもらうなら、武器や傷薬を用意しないといけませんね。」
と更にエレオノーラ様とアルベル様が言われます。
「二人共正解だよ。」
と伯爵様は言われました。
「領主には領民から税をとる権利があるが、領民にはその生きる土地で幸福になる権利があるんだ。だから、領主は税をとる代わりに、食物、医療、教育、安全を民に与える義務がある。権利ばかりを主張して義務を怠る者は領主ではない、人ですらない。人喰いグマと同じだ。そんな指導者はいつか必ず排斥される。忘れないでくれ。」
「はい。」
とお二人は大きな声で返事をしました。
何て良いお話でしょう。私は感動して胸が熱くなりました。
けれど思ってしまいます。なんで、その話を妻にしないのかなあ。とも。
領地に戻ってからは、官僚の責任者と会ったり、実際に街や村を見て領民の話を聞いたり、騎士団本部の視察をしたり、病院の慰問をしたりしました。もちろん仕事や勉強ばかりでなく、綺麗な滝の側にピクニックに行ったり、渓流釣りをしたりして遊んだりもしました。
領主の館の使用人達も、騎士達も大歓迎をしてくれて、姫様方に食べて欲しいと、クマを狩ってお肉をじっくりと熟成させてくれていました。アルベル様ももちろん私も、クマ肉を食べるのは初めてでしたが、全然臭みもなくて上質な赤身肉でとてもおいしかったです。
「自然が豊かで、緑が綺麗でとても素敵な所ね。もっと何度もくれば良かった。結婚したら、もう来る事はないのだと思うと何だかとても残念だわ。」
アルベル様が寂しそうにそう言われました。
「来たらいいじゃない。夫婦で一緒に。いつでも大歓迎よ。」
とエレオノーラ様が言われました。
「エーレンフロイト領も、きっと良い所だよ。」
と伯爵様は言われました。
そうして、皆で穏やかな時間を過ごしていたのですが。その間に着々と、王都では伯爵夫人が邪悪な計画を遂行しようとしていたのです。