エーレンフロイト侯爵夫婦の昔話(7)(ゾフィー視点)
私がシュテルンベルク邸へ戻って来ると、西館は何だか変な雰囲気になっていました。
ヨハンナ様はオロオロとしていますし、ビルギットは怒っています。
「アルベル様はどちらですか?」
「部屋で泣いておられるわ。」
「何かあったの?」
と聞くと
「これ、見てよ!」
と怒りに震えながらビルギットが言いました。
いつも、アルベル様とメグ様がおしゃべりをしていたり刺繍をしていたりする居間は、今は無人で大きな箱がポツンと置いてあります。
その箱の蓋をビルギットは開け、中から布の塊を取り出しました。
「何なの、これ!」
まあ、何かと問われたらドレスです。素晴らしい光沢のある絹のドレスです。
けれど、色が目にも眩しいレモンイエローなのです。しかも首周りのレースはピンク、ひらひらとついたフリルは緑と水色、たくさんついた小さなリボンはクリーム色、と目がチカチカするような、えげつない配色なのです。まるで、カビの生えたレモンみたいです。
「仕立て屋が持って来た、アルベル様の舞踏会用のドレスよ!」
「ええっ!でも、これって⁉︎」
アルベル様が注文したドレスとは全然違います。色も違いますし、それにデザインが明らかに異常です。
ヒンガリーラントでは『ドレス』と言えば、必ずエンパイアラインなのです。聖女エリカ様が「コルセットは体に悪い。」と言われた為、コルセットを締める必要が無いエンパイアラインのドレスを公式の場では着用すると建国時より決まっているのです。その時その時の流行でAラインになったIラインになったりはありますが、絶対に布地の切り替えは胸の下と決まっています。なのに、このドレスはベルラインのドレスなのです!
こんなドレスを着るのは外国人か、常識を知らない田舎者だけです。少なくとも、聖女エリカ様の子孫であるアルベル様がこんなドレスを着たら、気がふれたのかと思われるでしょう。
そのうえ、ヒンガリーラントでは真冬以外の季節はオフショルダーのドレスを舞踏会で着用します。なのに、このドレスはボートネックになっています。とにかく、何から何まで非常識なドレスなのです。
「仕立て屋は何て言っているの!」
「間違いなく、これが注文されたドレスです。と、真っ青な顔して目を逸らしながら言ったわ。」
「・・まさか。」
怒りで声が震えました。
「伯爵夫人の仕業なの?」
「間違いなく、そうでしょうね。そもそも、伯爵夫人が普段から愛用している仕立て屋だし。」
何て事!
許せません。アルベル様はとてもとても舞踏会を楽しみにしておられたのに!
「何で、こんな真似を!ひどすぎる。」
「もう大人と変わらない体型のアルベル様を、社交界デビューさせてない事を他の貴族達に知られたくないからよ。それにきっと、エーレンフロイト小侯爵がエスコートを申し込んできたのを知ってるんだわ。それが許せないんだと思う。」
「今からでも違うドレスを用意しましょうよ。こんな道化師が着るようなドレス、アルベル様に着せられないわ。」
「無理よ。3日後のパーティーに向けてどこの、ブティックも大忙しなの。だいたい3日じゃドレスは作れないわ。」
「既製品でもいいじゃない。」
「お嬢様の身長でミモレ丈なんて既製品無いわよ。ヨハンナ様が何件かのブティックを当たったけどダメだった。そもそも普通サイズの既製品さえ、どの店でも売り切れだったのよ。」
「そんな。」
「それに仮にあったって、お金がないわ。伯爵夫人がドレスを買うお金を出してくれる訳ないんだから。王宮に来て行けるレベルの服よ。私達の普段着とは違うんだから。」
怒りのあまり叫び出しそうになりました。でも、叫んでいても何にもなりません。何とかする方法を考えなくちゃ、と必死になって考えました。
「アルベル様のお母様が持っていたドレスで着れそうな物はないかしら?」
「無い。」
「確認してみなきゃわからないじゃない!」
「もう確認したわよ!アルベル様のお母様の遺品で、舞踏会用のドレスは一枚しかなかった。でもそれはマキシ丈だし、しかも裾に赤ワインのシミがべっとりとついてたの。そんなドレスだから、伯爵夫人もアルベル様から取り上げなかったのよ。」
「シミがあるなら、その部分を切り取ってミモレ丈にすればいいじゃない。私は、そんなに裁縫が得意な訳じゃないけど、私のお母様は古着のリメイクが得意だった。お母様に頼んだら何とかなると思う!」
「本気で言っていますか?」
私とビルギットの会話を聞いていたヨハンナ様が言われました。
「できる、と言って、やっぱりできなかったとなったら、もっと深くアルベル様を傷つける事になるんですよ。それがわかっていますか?」
「・・わかっています。でも、私諦めたくありません。何かできる事があるならもがいてみたいんです。」
「わかりました。お母様を呼んで来てください。アルベル様は、もういい!舞踏会なんか行かない!と言っておられますが私が説得してみます。」
「はい!」
私は、家族が泊まっている宿へと走り出しました。
そして1時間後。私は家族を連れて戻って来ました。
アルベル様は居間にいらっしゃいました。泣いておられたのでしょう。目が赤く腫れあがっています。
「わざわざ来てくれてありがとう。でも、私本当にいいんです。友達がいる訳じゃないし、私なんかが舞踏会なんて。」
寂しそうに微笑みながらアルベル様はそう言われました。
「エーレンフロイト様がいらっしゃるじゃないですか。それに、アルベル様が婚約式とか結婚式とか、そういうおめでたい場には行くべきだって言われたじゃないですか。その言葉に従って、今日結婚式に行って、私本当に良かったって思いました。ずっと会ってない従姉妹だったけど、私に会えた事すごく喜んでくれて、お祝いできて本当に行って良かったって思いました。だからアルベル様にも内親王殿下の婚約を祝うパーティーに行ってほしいんです。」
「・・ゾフィー。」
「こちらのドレス、どうにかなるでしょうか?」
と言ってヨハンナ様がドレスを母に見せてくれました。アイボリーのシンプルなドレスです。そして膝下くらいから、ワインの赤いシミが広がっていました。
「できます。裾を切って、シミを刺繍で隠せば大丈夫ですわ。」
「本当?お母様。」
「ええ、大丈夫よ。」
とお母様は言ってくれました。
「刺繍は僕がします。何の花が良いですか?何でもできます。」
と弟が言いました。
「赤い花。」
と私は言いました。
「赤を絶対入れて欲しいの。」
「赤かあ、赤ならバラが定番だけど、アネモネやアスターも可愛いし、でもやっぱりお嬢様なら睡蓮がいいかも。」
「睡蓮・・。」
アルベル様が呟いて、ルーカスにプレゼントされたハンカチを取り出しじっと眺めました。
「睡蓮がいいです。」
「わかりました。」
「ただ、少しシンプルなドレスですね。今の流行はレースをふんだんに使うのですけれど。」
とお母様が言います。ルーカスが私の方を見て言いました。
「姉様が今日着ていた服のボタンを使ったらダメですか?刺繍と一緒にあのキラキラしたボタンを飾ったら素敵だと思うんです。」
「いいですよね、アルベル様!それと・・。」
私は自分の部屋に走りました。
そして、居間に戻って来て。
昨日ルーカスにプレゼントされた、レースを一回ギュッと抱きしめてから差し出しました。
「これ使って。」
「姉様。」
「昨日、これをもらった特本当に嬉しかった。それは本当。でも、私アルベル様には笑っていて欲しいの。だから、これを使って欲しい。」
「レースくらい、僕がこれからも何枚でも編んであげるよ。」
と言ってルーカスは胸を叩きました。
「お嬢様。あの、体のサイズを計測させて頂いてもよろしいですか?」
とお母様が聞きました。
「はい。・・ありがとう。みんなありがとう。」
アルベル様はそう言って、ポロポロと涙を流されました。
それから3日間。お母様とルーカスはひたすら、ドレスのリメイクに励みました。大変ではないかと思いましたが
「こんな素敵なドレスのリメイクをさせて頂けるなんて僕にとってはご褒美だよ。」
とルーカスは言っていました。
ルーカスは見事な刺繍を完成させ、更に切り取った端切れとレースで布製のチョーカーも作りました。
「何か宝石があったら、もっと華やかになるんだけどな。」
「アルベル様。アレを使ったらどうでしょう。以前エーレンフロイト様に頂いたアメジスト。」
更にメグ様が
「これも使って。」
と言って大きなクマのぬいぐるみを持って来られました。
「アルベルのお母様が昔くれたぬいぐるみ。両目がルビーなの。」
「ありがとうございます。必ずパーティーの後縫い直します。」
と言ってルーカスがぬいぐるみを受け取りました。
ルーカスの熱心な様子を見て、アルベル様も気持ちが変わってきたみたいです。
髪を結ぶ為のリボンに、ご自分で刺繍を入れられ始めました。
「それにしても、ルーカスさんは本当にお上手ね。私には、そのスピードでそんなに美しく刺繍できないわ。」
アルベル様がそう言うと、ルーカスは少し悲しそうな目をしました。
「おかしいですよね。男の子が刺繍やレース編みや、ドレスを作るのが好きだなんて。」
「そんな事はないわ。得意な事に女も男も関係ないもの。ルーカスさんは誇ってもいいと思うわ。本当にお上手ですもの。」
「ありがとうございます。」
「お世辞じゃないわ。もし私が将来、お金持ちの方と結婚したら、ルーカスさんにドレスの製作を頼みたいわ。」
そうしてドレスは出来上がりました。もともと最高品質の布地です。それに、美しいレースと刺繍、ボタン飾りがつけられて見事なドレスが仕上がりました。古着リメイクとは思えないほどです。
「アルベル様、お綺麗です。」
婚約パーティー当日。ドレスを身に纏ったアルベル様を見て私は感極まってしまいました。
王宮に同伴する侍女はヨハンナ様です。私はお供できませんが、馬車に乗って行かれるのをお見送りしようと本館のエントランスまでご一緒しました。
エントランスには、他のお嬢様方やリヒャルト様もいらっしゃいました。そして、アントニアとペトロネラも。
私はペトロネラの着ているドレスを見て、仰天してしまいました!
なんと、アルベル様が注文なさったのと同じデザインと色のドレスを着ていたのです。