エーレンフロイト侯爵夫婦の昔話(6)(ゾフィー視点)
私がシュテルンベルク家で働くようになって2年が経ちました。
私は17歳、アルベルお嬢様は16歳になられました。
貴族の女の子は、普通15歳で社交界デビューをします。ですが、アルベル様はまだ社交界デビューをしておられません。シュテルンベルク家の女主人である伯爵夫人が、アルベル様の事を無視しているからです。
アルベル様は、義理の姉である伯爵夫人に逆らう事ができない温和なご性格なので、文句一つおっしゃる事はありません。だけど本当は、社交界にとても憧れているのだと思います。社交界を舞台にしたロマンス小説を時々うっとりとした表情で読んでおられたりします。
いつか、社交界に出る時の為に、ダンスやマナーの授業も真剣に受けておられます。
そんなアルベルお嬢様に、何と王宮から招待状が届きました。
国王陛下の第二王女、フリードリア内親王殿下の婚約披露パーティーに招待されたのです。
お相手は、公爵家の跡取りであるブランケンシュタイン小公爵です。
「王女殿下もおかわいそー。ブランケンシュタイン小公爵って芋みたいな顔をしているって噂よー。身分が釣り合う相手がいないからって、そんなのと結婚させられるなんて。」
こんな失礼なセリフを吐いているのは、伯爵夫人の姪のペトロネラです。ペトロネラは最近、しばしば西館の庭に現れるのです。現れる時はいつも、男友達が一緒です。そして伯爵夫人や親の目がある本館の庭ではできないような不道徳な事をしているのです。
「さかりのついたメス猫ね。」
とまだ子供のメグ様が言われるのを聞いて、私共も侍女長のヨハンナ様も困っています。どう考えてもお嬢様方の教育上よろしくありません。正直猫の方がまだマシです。動物なら発情期は年に二回くらいです。しかし、あのアバズレは年がら年中ですから。
だいたい、噂で人の容姿をこき下ろすって貴族として、いえ人として如何なものでしょうか?世の中には綺麗な芋だってあるかもしれないではありませんか?
本来、王宮で行われる舞踏会は社交界デビューをしている人だけが招待されます。でも、フリードリア殿下は年の近い女の子達と親交を結びたいという事で、10歳以上の貴族の女の子を招待されたのです。なので、社交界デビュー済みのリエ様やアントニアだけでなく、アルベル様、マリ様、メグ様、そしてペトロネラも呼ばれたのです。
そんなアルベル様に、エーレンフロイト家のフランツ様からお手紙が届きました。
『内親王殿下の婚約パーティーで僕に貴女のエスコートをさせてくれませんか?』
「キャー、素敵じゃないですか!」
と私は言いました。手紙には
『当日僕は、赤を差し色にした服を着るつもりです』
と書いてありました。
「アルベル様。赤いドレスを作りましょう!」
私はもともと、弟のルーカスと同じ年のフランツ様の事を「健気だなあ。」と思って、好感を持っていたのですが、応援している理由はそれだけではありません。フランツ様は侯爵家の後継者なので、お二人が公式の場に仲良くお出になられたら、伯爵夫人やペトロネラ達が悔しがるのでは、と思っているのです。そう思うくらいには、私達西館の人間はいろいろと嫌がらせを受けているのです。一つ一つの嫌がらせは些細な物でも、積み重なればものすごくストレスになります。正直、あの人達には『ギャフン』という目にあって欲しいです。
招待状が届いた翌日、伯爵家お抱えのデザイナーという方が西館へ来られました。伯爵様が、アルベル様とメグ様のドレスを注文されたのです。
社交界デビューを済ませて『大人』と認められた女の子は、くるぶしまで丈のあるドレスを着ますが、まだ社交界デビューをしていない女の子はミモレ丈のドレスを着ます。デザイナーの方が、たくさんの布地とデザイン画を見せてくれました。メグ様は全然興味がなさそうですが、アルベル様はうっとりとした表情でデザイン画を見ておられます。
侍女達も皆一緒になって、アルベル様にはこれが似合う、メグ様ならこれ。と盛り上がります。結局、メグ様はヨハンナ様がお勧めしたドレスにされました。お嬢様も流行の大きなリボンとバラの刺繍がされているデザインを選ばれました。今、貴族達の間で話題になっている演劇で、クライマックスでヒロインが銀のバラの刺繍が施されているドレスを着ているので、貴族達の間で銀のバラの刺繍が大流行しているのだそうです。
「ドレスの色はどうなされますか?」
そう聞かれてアルベル様は、少し頬を染めて
「赤にします。」
と言われました。デザイナーの方が、「お嬢様の肌色には、この色が似合う」と、紅色から朱鷺色へと変化するグラデーションの布地を勧めてくださり、それに決めました。嬉しそうなアルベル様を見ていて私もとても嬉しくなりました。素敵な舞踏会になったらいいな、と心から思いました。
その頃、私にもちょっと嬉しい事がありました。私の従姉妹が王都の人と結婚する事になり、王都で結婚式を挙げる事になったのです。その結婚式に私の家族も招待されていて、私の家族が王都に来る事になったのです。
2年間手紙のやりとりはしていましたが、私は一度も里帰りをしていませんでした。理由は、私の実家は王都から。片道3日かかる場所にあるからです。往復するには1週間以上かかります。そんなに長い間、アルベル様から離れているのが心配だったからです。でも、家族が王都に来てくれたら、2年ぶりに会う事ができます。
「ゾフィーも結婚式に行くの?」
とアルベル様に聞かれました。
「いえ、私は。もともと父方の従姉妹なので、ずっと疎遠だったんです。家族が結婚式に参加するのも、王都までの旅費を出してくれる、と言われたからみたいです。着て行く服もありませんし、私は行きません。」
「服だったらお母様の服を貸してあげる。お母様が結婚した後の服やアクセサリーは、お義姉様が管理する、と言って持って行かれてしまったけれど、独身の頃に着ておられた服は何着か手元に残っているの。お母様は背の高い人だったけど、ゾフィーも背が高いから、きっと似合うわ。」
「いえ、そんな恐れ多いです。」
「婚約式や結婚式というものは、たくさんの人に祝ってもらいたいものだと思うわ。絶対、行くべきよ。従姉妹さんの為に。」
「そうそう、自分の結婚式や葬式に来てくれる人が少なかったら悲しいじゃない。枯れ木も山の賑わいよ。」
とメグ様にも言われてしまいました。
更に。
「私、ゾフィーの家族に会ってみたい。お茶会を開くから来てくださらないかしら。」
とアルベル様が言われました。
「それは良いですわねえ。」
とヨハンナ様達にも言われて、お茶会を開く事になってしまいました。恐縮過ぎます。と言ったのですが、ヨハンナ様に
「西館にはあまりお客様も来られないし、アルベル様もお寂しいのよ。だから、ぜひ来て頂きましょう。」
と言われました。
恐縮だけど、少し誇らしい気持ちにもなりました。
そして、フリードリア殿下の婚約パーティーの4日前。私の家族がシュテルンベルク邸へやって来ました。デーニッツ夫人も一緒です。
妹達も弟も背が伸びて、少し大人っぽくなっていました。でも、ルーカスは相変わらず泣き虫で、私の顔を見るなり泣き出してしまいました。お母様も少し涙ぐんでいました。
家族皆がアルベル様に挨拶と感謝の言葉を言った後
「たいした物ではないのですけれど。」
と言ってルーカスが、アルベル様にシルクのハンカチを渡しました。シュテルンベルク家の家門の花である睡蓮が刺繍された、とても美しいハンカチです。縁にも素晴らしい模様が刺繍されていて、アルベル様は目を輝かされました。
「なんて綺麗なのでしょう。ルーカスさんが刺繍してくださったの?」
「はい、そうです。」
「まあ、ゾフィーからルーカスさんの刺繍は素晴らしいと聞いていたけれど、話に聞いていた以上だわ。どうもありがとう。大切に使わせてもらうわね。」
そう言われて、ルーカスは感極まっていました。
アルベル様とメグ様は、私達の子供時代の話をいろいろと聞かれた後、30分くらいして
「ご家族だけでお話ししたい事もあるでしょう。私共はこれで失礼しますね。どうか、ゆっくりなさってくださいね。」
と言って席を立たれました。その時、デーニッツ夫人に
「お庭を案内しますわ。」
と声をかけられましたので、私達は家族だけで話をする事ができました。
「辛い事はない?大丈夫?」
とお母様が私の手を握って聞いてくれました。
「大丈夫よ。私、毎日とっても楽しいの。幸せよ。アルベル様も、ヨハンナ様も本当に良くしてくださるの。」
伯爵夫人に、ブローチ泥棒に仕立て上げられそうになった話はさすがに内緒です。でも、私は本当に毎日が楽しくて幸せなのです。
「姉様にもお土産があるの。」
とルーカスが言いました。そうしてカバンから、見事なレースの束を取り出しました。
「綺麗!どうしたの、こんな上等なレース?」
「僕が編んだの。」
そう言われてびっくりしました。弟のポテンシャルがここまでとは思っていませんでした。
「姉様が送って来てくれたお金で絹糸を買って、2年かけてコツコツと編んだの。いつか姉様がお嫁に行く時使ってくれたら、と思って。だって、姉様お金を送って来てくれるから、自分の為の花嫁持参金を全然貯めてないでしょう。」
弟の優しさにうるっときました。
「私はお嫁になんか行かないわよ。出会いもないし。送ったお金は好きな事に使ってくれて良かったのに。でも、ありがとう。」
「本当に出会いがないの?私達に内緒にしてるだけじゃないの?」
と妹のレナーテ言います。
「本当だってば。」
私達は、そう言って笑い合いました。夢のように幸福な時間でした。
翌日。私は家族と一緒に従姉妹の結婚式に参加しました。アルベル様にお借りした茶会服を着ての参加です。上品なピーコックグリーンの服で、大きな襟はレースでできています。ボタンは螺鈿細工で、光が当たるとキラキラと輝きます。首には、お母様が王都に来る時にくれた、オパールのペンダントをつけました。
「来てくれてありがとう。叔父様の事があって連絡を取り辛くなってしまったけれど、本当はとても会いたかったの。また会えてとても嬉しい。」
従姉妹のユッテは、そう言って笑ってくれました。来て良かった、と心から思いました。背中を押してくれたアルベル様には本当に感謝です。
料理はおいしくて、楽団も呼んでいて賑やかで、ユッテも新郎もとても幸せそうで素晴らしい結婚式でした。
だけど、その頃。シュテルンベルク邸の西館はちょっとした騒ぎになっていたのでした。