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平均かそれ以上

案の定、コルネの学園生活は茨の道になった。

今までに学校に通った事もなく、家庭教師がついた事もない。字は、自分の名前が書ける程度。数字も50くらいまでしかわからない。何より致命的なのは『勉強をする』という習慣がない。

それがいきなり、学校に通ってあらゆる知識が右から左へと次々に流れていくのだ。


想像してほしい。

明日から学校へ行って、フランス語と中国語とギリシャ語と、数学の線形代数とフェニキア帝国の興亡史を毎日8時間勉強するように。と言われたらどんな気持ちになるのかを。コルネリアの心情はそれとほぼ同じだろう。


もちろんアカデミーには、全く真面目に勉強しない気の遠くなるようなバカもいる。

ただ、コルネリアの周囲にはいなかったのだ。

何せ私とユリアは、中等部全体での成績のツートップ。コルネリアと同じ年で、コルネリアの面倒を多少見てくれるユスティーナは、アカデミー卒業後は官僚になるのが夢で、しかも最難関の医療省を希望している。なので、かなり勉強ができるのだった。


そんな周囲と自分を比べ、必死に勉強するが全然内容が理解できず、もはや勉強する事がストレスで、なのに強迫観念にかられたように机に向かい、不甲斐ない自分に涙している、という状況だ。

もともと細かった食がますます細くなり、夜もよく眠れていないようで、見ている方が心配になる。

私もアカデミーに来た初日は、他の生徒についていけない、とかなり落ち込んだが、コルネリアのストレスはそれ以上のようだ。


更にコルネは、ハンドベル同好会の一員になった。しかし、コルネには音楽のセンスも無かった。おそらく人生で一度も楽器に触れた事がないのだ。その為、音感が無い。リズム感もない。楽譜を読む事もできない。

残念な事にハンドベルは、リコーダーやピアニカを全員で合奏するのと違って、1人できない人間がいると全体の調和が台無しになる楽器だ。コルネが失敗する度に、みんなの空気が冷たくなり、私も胃が痛い。



「コルネ様は、平均かそれ以上の結果を出せるようでなければ、侯爵家に見捨てられる。と怯えているのです。」

とドロテーアが教えてくれた。


「そんな事は絶対無いし、それに見捨てられたって個人資産、金貨1000枚持ってるんだから別に平気じゃない。」

ハイドフェルト男爵家が、養育費兼慰謝料としてコルネリアに金貨1000枚払ったのだ。


「お金があっても、お金だけでは人は生きていけません。コルネ様にとって、レベッカ様は唯一の心の拠り所なのです。どうか、ウザいとか重いとか思わずに、今はコルネ様の為に時間や関心を費やしてもらえないでしょうか。お願いします。」


わかっているけど、ヤンデレ気質の人間が常に側にいるのは少々堪える。


今のコルネに必要なのは

『勉強だけが全てではない』

という事に気づく事と、自分で自分に自信を持つ事だ。


コルネは、何が得意で何が好きなのだろう?

私はドロテーアに聞いてみた。

「絵です。」

とドロテーアは即答した。

「よく地面に木の棒で絵を描いていましたけれど、ものすごく上手でした。あとは・・縫い物が年齢の割に上手ですね。服はいつも、母親の物を自分で縫い直して着ていましたから。」


これを見てください。とドロテーアは、コルネリアの国語の教科書を見せてくれた。ちなみに、今現在コルネはトイレに行っている。

「えっ!」

コルネは教科書に落書きをしていた。雀の絵を描いていたのだったが、その絵がびっくりするくらい上手かった。

「すっご!」


ほえー、と感心しながら眺めていたら、コルネがトイレから戻って来た。


「ああああぁ!だめです。見たら、ダメですっ!」

そう言って教科書を奪い取り、背中に隠した。

「どうして?すごく上手じゃない。」

「全然上手じゃないです。へたっぴです。」

「上手だよ。すごいよ。」

「上手なんかないです!こんな絵、見られるのは恥ずかしいです。」


謙遜して言っているのではなく、本気でそう思っているみたいだ。

私は首をかしげた。

「なんで、下手って思うの?」

「お母様が一枚だけ、お父さんの描いた絵を持っていたんです。男爵夫人に見つかって取り上げられてしまったけれど。それがジョウビタキの雄と雌の絵で、まるで生きているみたいに素敵な絵だったんです。それに比べたら、こんな雀の絵・・。」


比較の対象がおかしい!

レントさんは、宮廷画家だぞ。国内から選び抜かれた特別な天才だぞ。

それと比べたら、ヒンガリーラント人の99、9%が絵が下手に決まっている。

『平均かそれ以上』でいいのなら十分平均より上だろう。


そう考えて、はっ!とした。

コルネは『平均』を知らないのでは?と。


コルネは同世代の人間と絵を描いて遊んだ事が無い。文子のように、クラス全員が描いた絵が、教室の後ろに掲げられてそれを眺めたという経験も無い。唯一持っていた絵は天才が描いた絵だ。ハイドフェルト家に飾られていたであろう絵も、アカデミーに飾られている絵も、プロが描いた物で申し分なく美しい。コルネは『下手な絵』という物を見た事がないのだ。


私も文子だった頃同じような経験をした事がある。児童養護施設にはよく、音楽大学の学生がボランティアでバイオリンを演奏しに来てくれた。テレビのバラエティー番組でプロが10億円と100万円のバイオリンを弾き、どっちが10億でしょう、と当てる番組を見た事もある。なので、バイオリンとは美しい音色の楽器なのだな、と思っていた。

だけど、やはりテレビで、バイオリンを触った事も無い芸人が、2週間猛特訓して、一曲弾けるようになるというドキュメントを見た。

その時、素人の弾くバイオリンのひどさに驚いた。

私は勘違いしていた。私はバイオリンという楽器は誰がどんな状況で弾いても、オルゴールの蓋を開けるように美しい音色が流れると思っていた。

しかし、テレビに出るプロの方や音楽大学の学生は特別上手な方々なのだ。それが『普通』ではないのである。

上手な人はごく一部で、ほとんどの人は聞いてられないほど下手なものであり、下手な人の演奏を聞いて初めて、上手な人の偉大さに気づいたのである。


私は紙を一枚、机の引き出しから出しペンを走らせた。

「今から、私の好きな物を描くから、それが何か当ててみて。」

30秒ほどでさささっと描き、コルネとドロテーアに見せた。ユーディットも寄ってくる。


「・・・。」

真剣に悩まれるとさすがに傷つくな!おい!


「えーと・・わかった!流れ星です。」

とコルネは言った。


「違う。キュウリだよ。」

「・・えっ?」

「ちょっと曲がったキュウリと茎とキュウリの花!」

・・まあ、確かにキュウリの花が星っぽく見えたかもしれないが。


「レベッカ様、キュウリがお好きなのですか?」

とドロテーアに聞かれた。

「野菜の中では比較的。」

「す、すみません!・・そういえば、初めて会った時くださったクレープには、キュウリが入っていましたものね。」

とコルネが言った。


ユーディットとドロテーアが視線を交わし合う。

でも、この絵でわかる?

いや、無理でしょ。

という心の声が聞こえたような気がした。被害妄想かもしれないが。


「言っておくけど、私は世界の最底辺ではないからね!もっと下手な人もいるんだからね!」

「ええ、それはもちろん。」

とユーディットが言う。

「私も、目の前にキュウリが無い状況でキュウリを描け、と言われたらきっとそんなものですわ。」

とドロテーアも言ってくれた。


「つまりコルネは絵が上手いの。レントさんは超上手いの。あの人は、世界最高峰レベルなの。レントさんと比べるのは意味がないから!」

「そうなんですか。」

「そう!」


その時私は、ある事を思いついた。

きっかけはコルネの言った『流れ星』という言葉だった。


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