迷い込んで来た少女(3)
階段を降りていると、外から悲鳴が聞こえてきた。アンネリエの悲鳴だ。
私はイーゼルを担いだまま階段を駆け降りた。マルテも窓から外を覗いている。
もしかして、また引ったくり⁉︎
アンネリエはお金を持っていないと言っていたけれど、巾着袋を持っていた。それを誰かに引ったくられたのかも?
私はドアから外に飛び出した。そこで見たのは唖然とするような光景だった。
アンネリエの髪を男が鷲掴みにして、地面に引き倒している。
私とそれほど変わらない背丈だったので、少年かと思ったが、顔を見たらおっさんだった。30代か、もしかしたら40いってるだろうか。下ぶくれの顔に、カールした口髭をはやしていて、地球の19世紀のヨーロッパを舞台にした通俗小説に出てくる小悪党のような奴だ。
そして、一目見て思った。こいつ貴族だ。
まず着ている物が見るからに高価だ。仕立てがよく、布地にも艶がある。染め色も綺麗だ。ただし、配色の趣味が悪かった。
汗で汚れ日に焼けた、労働者の顔と違い肌も生っ白い。そして労働者に比べてキメの細かい肌をした顔には、虫唾が走るほどの傲慢さが浮かんでいた。
革鎧を着て、ロングソードを持っている騎士を一人連れているが、その騎士は目の前の光景をニヤニヤ笑いながら見ている。
「ごめんなさい。ごめんなさい・・。」
アンネリエは「痛い」とも「やめて」とも言わず、ただ謝っている。
「この恩知らずがあ!よくも勝手なマネをしおって!」
とアンネリエの髪を掴んでいた男が怒鳴った。アンネリエの明らかにひ弱そうな頭皮が、ベロリと剥げてしまうのでは、と思えるほどの乱暴さだ。地面を引きずられたアンネリエの細腕には血が滲んでいた。
「何してるのよ、あんた!やめなさいよ!」
私は叫んで、イーゼルを頭上に掲げた。迫力にビビったのか
「うおっ。」
と言って男が後ずさり尻餅をつく。遠巻きにして見ていた人の中に笑った人がいて、男はトマトのように顔を真っ赤にして怒った。
「何のつもりだ、小娘!この俺をハイドフェルト男爵家の者と知っての狼藉か⁉︎」
アンネリエは、ハイドフェルト領から来たと言っていた。どうやら、ハイドフェルト家は男爵家であるらしい。
「こんな下町を何で貴族が歩いているのよ⁉︎」
「この小娘を、男爵様の命令で連れ戻しに来たのだ。そうでもなくて、こんな汚くて臭い場所にわざわざ来るか!この恩知らずのクズのせいで。」
「仮にも貴族だというのなら、自分より弱い立場の人間に憐れみ深く行動したらどうなの。」
「は?何を言っている小娘。なぜ、貴族が下劣な者共に憐れみなぞ示してやらねばならぬ⁉︎王都の平民は分別という物を持ち合わせていないようだな!」
おまえが分別を語るな!
私はムカムカした。後ろに武器を持った騎士が控えているけれど、怒りの念が恐怖を上回った。
私は男の顔を睨みつけた。
「何だ、その目は!」
男が舌なめずりしながら言った。
「おまえのような平民のガキには、しつけが必要だな。」
こういうサディスティックな目をした奴の言う『しつけ』はしつけではない。暴力、もしくは拷問だ。その、『しつけ』の果ての子供が死んでも、いけしゃあしゃあと「しつけしてただけだ」と言うのだ。日本にいた頃、文子が最も憎んでいた種類の大人だ。
「おい!この小娘を斬り殺せ。」
と、後ろに控えていた騎士に男は言った。『しつけ』というセリフが出てきてから『殺す』までのスパンが短い!
「こんな、公衆の面前で人殺しをする気なの⁉︎」
「人殺し?バカが。王都の人間は全く身の程をわきまえていない。おまえなんぞ『人』ではないんだ。権利を享受できるのは貴族だけだ。貴族の前に出てきて視界を汚す薄汚いゴミを片付けるだけの事だ。」
国王陛下直轄の王都で、その理屈は通らねえよ!
私はアカデミーに行く前、気づかず地雷を踏み抜いた。なんて事にならないように、家の図書室にある法律書を読み漁った。
結果、知ったのは、善悪正邪に関する基準は日本と大差ないという事だ。むしろ、強姦、営利誘拐、未成年者略取など、日本では死刑にはならない事件が死刑になるなど日本よりいろいろと刑罰が厳しいくらいなのだ。
往来で、たとえ平民でも罪の無い子供を殺したら、貴族であっても重罪なんだよ!
コレがアレか?マルテが言っていた、田舎特有の謎の因習か⁉︎
田舎だったら、こういう理屈が通るのだろうし、村人総出で罪を闇に葬り去ったりするんだろう。
馬車で王都から半日の距離にあるという、ハイドフェルト領がそこまで田舎のはずもなかろうが、狭い世界で完結した社会に住んでいると、迷信深く思考が偏狭な、いわゆる「祟りじゃー!」と絶叫するような長老が ロジカルもフィジカルも最強という、ゴシックサスペンス社会となるのかもしれない。
「この小娘共を斬り殺せ!」
と男は再び叫んだ。とゆーか、てめえも腰から剣を下げているのに、人にさせるのかよ。
「へーいへい。」
と騎士が間伸びした返事をしながら前に出てきた。ゴツい顔に髭の剃り跡が青々したむさ苦しい男だ。でも、胸板の厚さや腕の太さは、あの腹の立つエーレンフロイト家の護衛騎士共ほどじゃない。革鎧も安っぽい感じだし、安物だからだろうか、けっこう距離があるのに獣臭がすごい。
男は鞘から剣を抜いた。けっこうな数集まって来ているギャラリーから悲鳴があがった。玄関ドアから出て来ているマルテが
「誰か、巡回騎士を呼んできておくれ!」
と叫んだ。
だけど、その騎士から殺気は感じなかった。ニヤニヤ笑いながら、剣を上下に振っている。たぶん、チョピっと傷をつけて私達が悲鳴をあげたり泣き叫んだりする様子が見たいのだろう。本当に殺すとまずい事になるって、コイツはわかっているのかもしれない。
騎士が、ブンっと私達の鼻先に剣を振り下ろした。アンネリエを背後にかばっていた私は、盾のようにイーゼルを構えた。剣も安物なのだろう。日本の時代劇で竹を切るみたいにスパッと切れたりせずに、木材の途中で剣は止まった。
「ん?」
騎士が焦ったような声を出した。イーゼルに食い込んだ剣が抜けなくなったのだ。騎士が推したり引いたりするのを私は足を踏ん張って耐えた。そして、イーゼルを両手で持ち、車のハンドルのようにグルリと回転させた。当然剣も、剣を握った手もグルリと回転する。
てこの原理が働いて、直接手首を握って捻るより、より早くより強い力でよりたくさんグルリと手首が回った。
「ぎやあああああ!」
剣を離せばいいのに離さなかったから、騎士の手首は悲惨な事になっていた。
人間の手のひらが動く可動域をはるかに超えて曲がっている。回した時、ボキいっ!と音がしたが、イーゼルは折れてなさそうだ。つまり、折れたのは・・・。
自分がやった事とはいえ「痛そー。」と思った。
騎士は手首をおさえてうずくまり大量の汗をかいている。
「何をしているんだ。早く斬り殺せ!」
と男がムキになって叫んだ。私は叫んだ。
「命令ばっかしてんじゃないわよ。この臆病者!」
「な・な、臆病者だと!このハイドフェルト男爵家の人間であるこの俺に向かって、貴様。」
「そんな三流貴族の名前なんか知るか!男だったら、自分自身でかかってこいやーっ!」
「そうだ、そうだ。その腰の剣は飾りかよ!」
いつの間にやら周囲の群衆の中にいたデリクが、大声で男を煽る。
「田舎者の猿が。とっとと、田舎へ帰れ。」
「この平民が!貴族に対する侮辱罪だぞ。」
「臆病者を臆病者って言って何が悪いのさ!」
知らないおばちゃんがすかさずヤジる。
「そうだ、そうだ。クソ貴族め。とっととこの街から出て行け!」
隣にいた若いお兄ちゃんが叫んだ。
「ぐ、ぐぬうっ!」
男は真っ赤になって歯軋りした。「覚えておけ!」とか捨て台詞を吐いてどっか行ってくれないかな、と思ったが、男は剣を抜いてこちらに突進して来た。
けどつい先日、海賊とエーレンフロイト騎士団の凄まじい戦闘を目にした私の目には、ストップモーションアニメのようにしか見えなかった。私は未だ騎士の剣が刺さったままになっているイーゼルを横に構え、野球バットのように真横に振り抜いた。数多のホームランをバッティングセンターで打ってきた私である。完璧なタイミングで男の横腹をとらえ、男を真横に吹っ飛ばした。
男の体が、マルテの家の隣のパン屋さんの店先のカウンターに激突!顔面がバケットが何本も入れられている籠にぶつかった
バキバキバキイっ!とすごい音がしたが、見たところバケットは一本も折れていない。恐るべし、庶民街のバケット!
男の体がずるりと地面に倒れた。手首をおさえていた騎士が目を見はっている。その瞳に凶暴な光が宿った。
やばい。主人が倒される光景に忠誠心か、給料分働かなくてはという勤労精神のどっちかが刺激されたらしい。片手をケガしているとはいえ、騎士と肉弾戦になったらさすがに私では敵わない。
私は仰向けに倒れた男の腹を踏み付け騎士に言った。
「動かないで!動いたらコイツの肝臓踏み潰すわよ。」
「ぷぎやああああぁっ!」
潰れたカエルのような、と言ったらカエルさんに失礼な感じの声を男はあげた。
騎士の動きが止まった。
でも、これからどうしよう?
と思っていたら
「何の騒ぎだ!」
と声がして、目の前の騎士とは比べものにならないほど立派な鎧をまとった騎士が現れた。誰かが呼びに行った巡回騎士が駆けつけて来たらしい。
「こ・・この女を捕まえろ!貴族である俺に・・無礼を・・。」
前歯が折れて血まみれになっている口で男が息も絶え絶えに言った。今、現在腹を踏んでいる真っ最中なので、私としても反論できない。
「その男が先に剣を抜いて、子供に斬りかかったんだ!」
とデリクが叫んだ。
「そうだよ、武器も持たない女の子に。」
とマルテも言う。
「そうだ!悪いのはその貴族の方だ。」
「無抵抗の女の子の髪を掴んで引きずり回したのよ。」
「その男達の方を捕まえろ!」
周囲のギャラリーの皆さんは全員私とアンネリエの味方をしてくれる。
騎士はジーッと私の顔を見つめて言った。
「エーレンフロイト侯爵家のレベッカ姫様?」
「違います!」
と私は秒で答えたが。やべえ、私、この若い騎士さんの顔に覚えがある。
「違いませんよ!黒い髪、カエルのカバン、豚2匹。私が王城特区の門番をしていた時に通った方と同じ方です!あの後押し寄せて来たエーレンフロイト騎士団に私達がどれだけ責められたと思ってるんですか⁉︎」
.・それは、申し訳ない事をした。
たらりたらりと冷や汗が背中を流れ落ちる。
「え?エーレンフロイト?」
「あの、海賊を半殺しにしたという?」
「極悪孤児院を粛正した、あの?」
「侯爵家の姫?アレで?」
「王子様の婚約者なんだろ。」
「肝臓潰す、って脅してるアレが。」
ひそひそひそひそ。とした声がだんだん大きくなっていく。
大変な事になってしまった。完全に壊れてしまっているイーゼルを見つめながら私はそう思った。