迷い込んで来た少女(1)
明けて翌日である。
初めて泊まる家の初めてのベッドなのに、前の日ほとんど寝ていない事もあって熟睡できた。
朝食は簡単に、パンとスクランブルエッグ、カリカリベーコンにカットしたオレンジだ。全員分の食器を洗った後、私はレーベンツァーン亭が開いているかどうかを見に行く事にした。マルテの家に厄介になるのは、レーベンツァーン亭が再開するまで、という約束だからだ。
私はカエルのカバンに、子豚達を詰めて家の外へ出た。この家に泥棒が入るとは思わないし、この家の人達の誰かに盗まれるとも思っていないけれど、でも一応用心の為だ。貴重な全財産なのだから慎重にならなくてはならないのだ。
レーベンツァーン亭は、マルテの家から通り2つ分東にある。タンポポが描かれた大きな看板が目印だそうだ。この辺りの道は、区画整理されていて格子状になっているので迷う事もない。私は道の手前でキョロキョロと周囲を見回した。
レーベンツァーン亭をクラリッサが常宿にしているという話は、ユリアもユーディットも知っている。もしかしたら、エーレンフロイト家の追っ手がウロウロしているかも、と思ったのだ。
しかし、追っ手っぽい人はいなかった。代わりにいた不審者は、10代の少女だ。周囲をキョロキョロ見回しながら、おぼつかない足取りで道を歩いている。
行動が不審なので、私は一回その子の側を通り過ぎた。年は私より下だろう。身長も私の肩くらいしかない。私が側を通る時、話しかけようかどうか、躊躇しているのが見てとれた。私はレーベンツァーン亭のドアの前に立った。紙が貴重な世界なので、貼り紙とかは貼ってない。でもドアには、ガッチリと閂がかけてある。レーベンツァーン亭は、まだ再開していないようだ。
私はくるりと踵を返し、元来た道を通った。当然、女の子ともう一回すれ違う。
「おはよ。」
と私は女の子に声をかけた。女の子は、小動物のようにビクッと飛び跳ねた。
「お・・おはようございます。」
と、消え入りそうな声で答えた。
「この辺りでは、見ない顔ね。旅行で来たの?」
見ない顔も何も、この周辺に住んでいる人の顔なんて全然知らないけれど、私は当てずっぽうで言ってみた。たぶん、この辺りの住民ではないと思ったからだ。だけど、留守の家を狙った泥棒のようにも見えない。犯罪者にしては目立ちすぎだ。
「はい。ハイドフェルト領から来ました。」
と少女は澱みなく答えた。
知らない貴族の名だ。だけど、わかる事もある。
「何で貴族のお嬢様が、こんな下町を一人で歩いているの?」
少女は目に見えて慌てふためいた。
「な・何を言ってらっしゃるのですか⁉︎私は貴族なんかではありません。」
いや、君はどう見ても貴族だよ。こういうのを、掃き溜めに鶴とか、鶏群の一鶴というのかね。ものすごくこの場から浮いているのだ。
ただ、鶴は鶴でも、すでに二回機を織り終わっている鶴だ。ものすごくやつれていて、今にも五臓六腑から脱落者が現れそうだ。
「見てください。この手。労働者の手でしょう。」
そう言って、突き出した両手は骨ばっていて、確かにかなり荒れている。でも、貴族でも貧乏な子ならこのくらい肌は荒れている。
そして、ガリガリに痩せているこの子からは、ハンドベル仲間のリーシアやユスティーナと同じ空気感をビシバシと感じる。実家が貧乏なのか、あるいは虐待を受けているかだ。
とゆーか、言葉使いが、平民とは全然違うんだよ!
着ている物も別品なんだよ。
この辺りは、織物業が盛んな地域だからか、貧しくてもオシャレな服を着ている人が多い。カラフルな布地に、最先端のデザインだが、残念ながら布地はかなり安っぽい。いわゆるファストファッションだ。
それに比べてこの子の服は、古ぼけているし、大人用の服を縫い直しているけれど、生地は抜群に良い。デザインは古くとも大切に縫われているのがよくわかる。100年経っても型崩れしないような、きちんとした縫製だ。
だからこそ、この周辺を歩いているととても浮いてしまうのだ。
でも、これ以上ツッコミを入れるのも面倒なので
「この辺りで何をしているの?」
と聞いてみた。
「人を探しているのです。あの!フロレント・フォン・クラインミフェルという名の画家を知りませんか?以前、王宮で宮廷画家をしていた人なんです。」
宮廷画家で、名前がフロレント。めっちゃ心当たりがある。
しかし、人様の個人情報はそんなに簡単に明かすわけにはいかない。もしかしたら、レントのお兄さんが決闘で殺した相手の関係者で復讐に来たという可能性だってあるのだし。
「何で、その人を探してるの?あなた親戚の人?」
「ち・ちち違います。私は貴族ではありません。」
「・・あなた、名前は?」
すると、少女の目がめっちゃ泳いだ。上下、右左、更に下。で。
「アンネリエです。」
絶対、嘘だろ!
その場で思いつく適当な嘘って、こんなにわかりやすい物なの⁉︎
そう、考えると不安になった。
昨日私がついた、様々な嘘もほんとはバレバレだったのでは。マルテはともかく、デリクは新聞記者だ。きっと多種多様な嘘つきと接してきた事だろう。なのに、あえて乗っかってくれたのは、今の私と同じで反論するのがめんどくさかっただけなのでは!
ただ、この子がレントの知り合いなのは本当そうだ。『アンネリエ』という名は、レントがとても大切にしている絵のモデルと思われる人の名前だ。もしかして、あの絵の赤ちゃん?と思ったが、レントは確か赤ちゃんはモデルの甥って言っていた。
「で、その元宮廷画家とあなたはどういう知り合いなの?」
「私はお会いした事はありません。あの・・私はフロレントさんの奥様に・・とてもお世話になったんです。」
何でもペラペラと喋る子だな、と思いつつ。私はぶったまげた。
レントさんって、奥さんいたの!
いや、年齢を考えたらいても全然おかしくないけれど。
私がすごい勢いで振り返ったからだろう。アンネリエは(他に呼びようがないのでとりあえずそう呼ぶ)ビクッとして後ずさった。その時。
グーっと、大きな音がした。アンネリエが真っ赤になってお腹をおさえる。あー、お腹空いているのね。
「ちょっとおいで。なんかおごってあげるから。」
と私は言った。
なんか、あらゆる意味で、この子を放っておけなかった。




