エーレンフロイト家の使者(2)(ルートヴィッヒ視点)
内心、こいつの優雅な微笑みに僕は引いていた。僕はどうにも、こいつが苦手なのだ。
「ところで、そのバラは僕にですか?ありがとうございます。」
「そんなわけがあるか!それより、レベッカ姫に何があったんだ?」
「さあ。」
「伝言があるから来たのだろう⁉︎」
「はい。今日訪ねて来られても迷惑なので、来るなと殿下に伝えて欲しいと。」
本当にそんな言い方をエーレンフロイト家の人達がしたのか?おまえが勝手に捏造しているのでは。と思う。
「・・その理由を尋ねてるんだが。」
「さあ。」
・・・。埒が明かない!
「理由も聞かずに使いを引き受けたのか?」
「はい。」
「何で聞かないんだ?」
「自分、コンラートにしか興味ありませんから。」
「だったら、何で使者の役なんか引き受けたんだ⁉ 」
「侯爵夫人に頼まれまして。タダ飯を食わせてやっているのだから少しは働けと。」
あの貴婦人がそんな言い方をするわけがあるか!話を盛るな、と内心思う。
腹が立って、つい
「こんなところに来ている暇があるのか?実家の方も大変だろう。身内がオペラ座で騒ぎを起こしたそうじゃないか。」
と、嫌味を言ってしまった。ジークは悲しそうな顔をしてため息をついた。
「本当に困った事です。暴力的な女性には嫌な気持ちにさせられますね。」
「ああ、全くだ。」
「暴力的な女性は嫌いだと殿下が言っていたと、ベッキーに伝えておきましょう。」
「ちょっと待てーっ!」
なぜ、そういう話になる!論理がおかしいだろう。
初めて会った時からこいつとは、考えも話も合わなかった。
僕とこいつは、再従兄弟同士だが、1年前まで会った事は一度も無かった。病弱で、家からほとんど出る事ができないと聞いていたこいつが急にアカデミーに中途入学してくる、と聞いた時は、親戚なんだし親切にしようと思っていたのだ。
だが、アカデミーにやって来たこいつは、誰の助けも支えも必要なさそうなほどふてぶてしい奴だった。
1言えば10返ってくる口の悪さだし、何を言っても論破される。さすがに嫌味を言われた奴らも身分を考えると、暴力に訴えるわけにもいかず黙り込んでいた。また、こいつもこいつで、暴力に長けている奴にまるで隙を見せない。
僕に対しても、身分の低い妃の子と侮ってくる事も無かったがへつらってくる事も無かった。ただ穏やかに無関心なのである。そして誰に対しても平等に無関心な中、唯一人コンラートにだけはこいつは関心を払っていた。
いつもコンラートの側にいて、落としたペンを拾ってやったり、服に付いた落ち葉を払ってやったりと甲斐甲斐しい。一度など、着席しているコンラートの靴紐が解けているのを見て無言で跪き、紐を結び直してあげていた事があり、周囲を驚愕させたものである。
だけど、そんなこいつにコンラートは恐ろしく冷たかった。いつも、完璧に無視していて話しかける事も無い。完全に空気扱いである。
それに関しては、コンラートの気持ちの方が理解できる。こいつの妹と婚約していたのに、手酷く裏切られたのだ。そんな女の兄なぞ顔も見たくないだろう。平気でコンラートに付きまとい、どれだけ無視されてもめげないこいつの心情の方が理解できない。
こいつのあまりの粘着質ぶりに、口の悪い奴の中には「あの2人がデキていて、それに苦悩した妹が身を引いたんじゃないか」と、気色の悪い事を言い出す奴もいる始末だ。もちろん、そんな嫌味を言われてもこいつは常に飄々としていて態度が変わる事も無い。もはや不思議を通り越して不気味な奴としか思えない。
だが決定的に、こいつとは考え方が違うと思ったのは、あの一件の後だ。
僕がコンラートに木剣を使っての手合わせをして欲しいと言った時である。
コンラートも僕も文官課を選択しているが、コンラートは武官課の誰も勝てずにいた教官に剣の稽古で勝った事があるほど剣の腕に秀でている。
僕も護衛騎士達と剣の稽古をしているが、たまには年の同じ相手と打ち合ってみたかった。いや、正直に言えば、レベッカ姫が『お兄様』と呼んで慕っているコンラートと戦って競り勝ってみたい、と思っていたのだ。
しかし、コンラートには無視された。それでも、一度頼みたい。と付きまとっていたら、ジークレヒトにこう言われた。
「勘弁してくださいよ、殿下。僕ら家臣は、王族相手だと絶対負けてあげなきゃいけない事になってるんですから、そういうめんどくさい事にコンラートを巻き込まないでやってください。」
脳内が沸騰した。
「わざと負けてもらう必要などない!」
「そういうわけにもいかなくてですねえ。」
「少しくらいの負傷でどうこう言うつもりなど無い!コンラート。僕と勝負しろ!命令だっ。」
「あー、分かりました。分かりましたよ、殿下。では、コンラートに代わって僕が殿下と勝負しましょう。で、僕に殿下が勝てたら、コンラートへの挑戦権を得る、という事でどうでしょうか?」
・・・え?っと思った。
ジークレヒトは、病弱で、ティーカップより重い物など持った事も無いはずの人間だ。剣を握った事さえ無いだろう。それで勝負って、馬鹿にしているのだろうか?
「おまえ、剣を扱えるのか?」
「殿下、僕は一応侯爵家の跡取りですよ。剣くらい触った事ありますって。」
本当に、ただ触ったというだけだろうと思ったが、僕はめんどくさくなったので、ジークレヒトと勝負をする事にした。ジークに勝てばコンラートと勝負できると、こいつ自身が言ったのだ。こいつが怪我をしても自己責任だ。
僕達二人は屋外の闘技場に出た。ジークが「雨も降ってないし、外にしましょう。」と言ったのだ。風は強かったが、砂埃がたつほどではなかった。
僕は、つい狩りの時のクセで風下に立った。ジークの方が風上に立つ。周囲は、話を聞きつけたギャラリーでいっぱいだった。だけど、そこにコンラートはいなかった。
審判はフィリックスがつとめる事になった。ルールは『首に剣を当てた方が勝ち』という事にした。
「では、始め!」
とフィリックスが言った。いったい、どこの流派なんだ?と聞きたくなるくらい中途半端な位置でジークは剣をぶらぶらとさせている。
ジークが斬りかかってくる気配が無いので、僕は一歩踏み出した。まだ、様子見。と思っていたが、ジークはその瞬間パッと、剣を持っていない方の手を開いた。
一瞬、目の前が黒くなり、それから赤くなった!
「うっ、ぐっ、つぅっ!」
痛い!目が痛い。それ以上に鼻の奥が痛いっ!
落ち着こうと深呼吸しようとしたら、もっと痛くなった。耳がジークの足音をとらえた。剣をかまえようとしたが、それより早く
「はい、僕の勝ちー。」
と声がした。ジークレヒトの握る木剣が僕の頚動脈に軽く当てられていた。
「お・・おま・いったい、何を・・?」
「ああ、大丈夫。毒じゃありませんから。胡椒です。」
「胡っ!」
「なんか小説とかだと、胡椒を吸い込んだ人ってなぜかくしゃみが止まらなくなるって風に描かれてますけど、実際はくしゃみなんか出ませんよねー。ただ痛い。とにかく痛い。でも、まあそれだけですから。とりあえず、鼻うがいでもなさってください。」
こ・・こいつは、剣の勝負で風上から、胡椒を撒きやがったのか!
「卑怯者!」
「何を言っているんですか、殿下。勝つ為に頭を使うのは当たり前じゃないですか。それとも、殿下。戦争の時に同じ事をされて捕虜にされた時、処刑台の上から『まともに戦っていれば自分の方が強かったんだ!』と叫ぶつもりですか?」
「おまえば、こんな勝ち方をじで恥ずかしぐないのか⁉︎」
もう涙と鼻水が、大変な事になっていてまともに声が出ない。
フィリックスが、ハンカチを出してくれたので、鼻をかんだが鼻水が真っ黒だ。
「恥ずかしい?今、僕は、毒薬を撒かなかった自分の優しさに今自分で感動しているところですよ。負けてもらう必要はないってご自分が言われたんじゃないですか?なのに、負けたら怒るんですか?子供みたいですよ。殿下。では、僕はこれで。」
「・・・。」
「殿下、鼻と目を洗ってください。」
と言って、誰かが、水の入った木桶を差し出してきた。誰かと思ったらコンラートだった。
「ゔぉまえ、あいづが、ごーゆーごどじでぐるっで、わがっでだのがよ!」
「明らかに実力が劣るのに、ああも自信満々なのは、何か考えがあるのだろうと思っていました。」
「ぐぅっ!」
「お腹立ちでしたら、あいつの首を切り落として参りましょうか?」
自分の方があいつより強いという、それは自慢か!と叫びたかったが、もう声が出なかった。
あの時は、はらわたが煮えくり返りそうなほど腹がたったが勉強にはなった。誰も彼もが正攻法で戦うとは限らない。卑怯な奴というのはいくらでもいる。そして自分はそういう世界を生きているのだ。
考えが足りずに処刑台に引き上げられて、そこで「自分が正義だ!」と叫んでも意味がないのだ。