昼食に炒飯を
デリクが帰って来た物音がしたので、私は1階へ降りて行った。
デリク自身が夕食に、オムレツを食べたいという事で、卵、ベーコン、トマト、チーズを買って来ていた。更に、トマトを売ってた店がサービスでくれたそうで、レタスをひと玉もらって来ていた。
さて、これからお昼ご飯を作らねばならない。私とマルテ、デリクにレントの分はもちろんだが、織物工房で見習いをしている3人娘の分も作るのだ。工房での仕事は朝から夕方で、昼に食事の為の休憩がもらえる。工房の人達は、屋台で昼食を買ったり、食堂で昼食を食べたりするものらしいが、貧しい農家から出稼ぎに来ている3人は、少しでも多くのお金を実家に仕送りできるよう、昼ご飯を食べずに水を飲んで我慢していたらしい。それを知ったマルテが、3人に昼ご飯を食べに帰って来るよう言ったという。
なので、この家の台所には米があったのだ。
米は小麦よりはるかに安い。
下宿代を上げない代わりに、昼食はパンより安い、米かイモの料理。となっているのだそうだ。
マルテは普段、イモをたくさん入れたスープか、リゾットを昼食に作っているらしい。
でも、ここにある材料を自由に使って、何でも好きな物を作っていいよ。と言ってくれた。
卵、ベーコン、レタスそして米、となるとやはりアレかな。私の十八番の。
そう、ベーコンレタス炒飯だ。
私は本日二度目の米研ぎを始めた。
鍋でご飯を炊くコツはキャンプで何度もやったから、ちゃんとわかっている。炊きあがったお米を見て、マルテがびっくりしていた。
お米はいつもスープで煮込んでリゾットにしていたらしい。この国では米料理自体が珍しいし、白いご飯に合うご飯のお供がほとんど無いもんね。私もシチューで米は無理派だ。
溶き卵に塩を入れて、炊きあがったお米をイン。ここでもやはり、卵を割るのが上手いと褒められた。
お米は溶き卵に入れた方がパラパラになるし、そもそも油だけでパラパラになるほどの油が無い。ベーコンからしみ出る脂しか使えないのだ。
私はベーコンを刻んで良い色になるまで炒め、卵ご飯を投入した。それをしっかり炒めて、もう少し塩を追加。最後にちぎったレタスを入れて出来上がりだ。自分でも味見をした後、マルテにもしてもらう。
「すごく、おいしいよ。フミコ!」
と言ってくれた。
自分でもそう思う。胡椒と醤油が無いので不安だったが、日本で作ってたのよりおいしくできた。
これは、私ではなくベーコン様の力だ。きっと、お肉屋さんが上手にお肉を熟成させたり、丁寧に燻したりして手間暇かけて作ったベーコンなのだろう。日本のスーパーで最安値で売られていたベーコンとは香りが違う。
「すげえ良い匂いがするんだけど。」
と言って、部屋に戻って仮眠をとっていたデリクが階段を降りて来た。
「おお、うまそう。それじゃ、さっそく。」
「3人を待ちな!」
と言って、マルテがデリクの伸ばした腕をペシっと叩いた。
私は、女の子3人が戻って来たらすぐ食事を食べられるよう、炒飯をお皿に盛り分けた。
程なくして、12時を告げる鐘が鳴り響き、ケーラとマーヤとニナが戻って来た。3人とも私より年上のはずだが私より背が低く顔立ちも幼い。貧しい農家の出という事なので、子供時代にあまり栄養がとれなかったのかもしれない。
マルテに年を聞かれて「14歳です」と1歳サバをよんだのだが、もう1歳くらいサバをよんでも大丈夫だったかもしれない。
3人の女の子達とお互いに自己紹介をして、食事になった。みんな「ものすごくおいしいー。」と喜んでくれた。
ベーコン様のお力を借りたとはいえ、炒飯は私の、数少ない自慢できるレベルの料理だからね。
私が文子で高校生だった頃、男に炒飯を振る舞って「結婚して!」と言われた事があるのだ。相手、6歳児だったけど。
「フミコ。レントさんの分は部屋に持って行ってあげてくれるかい。」
とマルテに言われた。
「はいはーい。」
と返事をし、トレイに炒飯と水を入れたコップをのせて階段を上がる。私は、ガンガンとレントの部屋のドアを叩いた。
「どうぞ。」
と言われたから中に入った私をレントは、ジトっと睨み
「あんなに乱暴に叩かなくても聞こえる。庶民の家のドアはそんなに丈夫じゃないんだ。壊す気か。」
と言った。
まー、生意気。食堂へ降りて来ないからわざわざ持って来てやったのに。
と思ったが。私の目は部屋に入ってすぐの壁にかけてある絵に釘付けになった。
すんごい綺麗!
正直、こんな下町の下宿の一室に住んでる画家なんて、全然売れてない、何が描いてあるのかもよく分からないような絵を描く、自称画家かと思っていた。でも、この目の前の絵を描いたのがこの人の師匠とかではなく、この人自身なのだとしたらものすごく上手だと思った。
まず、何を描いてあるのかちゃんと分かる。赤ん坊を抱いている若い女性の絵だ。目が顔から飛び出しているとか、首や手足の長さがおかしいとかいうこともなく、写真のように正確に描かれている。決して派手ではない素朴だが清楚な服を着た美しい女性が慈愛の微笑みで赤ちゃんを見ていた。
その表情は高潔であり崇高さえあった。淡く描かれた光には神聖ささえ感じた。
地球で、この絵を見たら宗教画だと思っただろう。
「綺麗な絵ですねえ。」
「モデルが美人だったからな。」
「この赤ちゃん、まさかレントさんの子供とか⁉︎」
「モデルの甥だ。」
「あ、そうですか。」
私はトレイを机の上に置いて、部屋の中をキョロキョロ見回した。壁にかかっていた絵は、その美人と甥の絵だけだったが、無造作に床に置かれたり、家具に寄りかかっている絵が何枚かある。全て風景画だったが、それらの絵もとても綺麗だった。
私は、すすすっとレントに近寄り、レントの前にあったイーゼルに置かれたキャンバスを見た。モフモフした仔猫が3匹、柔らかそうな毛布の上で眠っている絵だ。
「わー、可愛い。・・けど、この部屋に猫いないけど。」
「発注した客の家の猫だ。動物はすぐ大きくなるから可愛い瞬間を残しておきたい、と依頼された。下絵だけはその家ですませた。」
あー、なるほど。写真とか無い世界だから、そういう依頼もペットを飼っている人からあるよね。
「じゃ、食べ終わった頃にお皿取りに来るから。」
「自分で持って降りるから来なくていい。」
「はーい。」
と言って、私は壁に掛けてある絵の側を通ってドアに向かった。側を通る時、もう一回じっくりと絵を見た。絵の下の方に『アンネリエ』と、女性の名前が書いてあった。
食堂に戻ると女の子3人はもう仕事に戻っていて、デリクが、フライパンに残っていた炒飯をフライパンから直喰いしていた。
私も椅子に座り、食べかけの炒飯を食べるのを再開する。
「レントさんの描いてる絵を見たけど、レントさん超上手いね。」
「宮廷画家をしていたらしいからな。」
とデリクが言った。
「えー!そういえば元貴族って言ってたけど、何でそんな人がこんな下町に?」
「失礼だぞ、おい。」
と言われたが、さっき自分達だって散々ディスってたじゃないか。
「本人に聞きな。レントなら教えてくれるよ。」
「そうだね。」
と私は言ったが、教えてくれるかな?と思った。デリクは新聞記者だから、話し上手の聞き上手なんだろうけど、私にはそんなスキル無いぞ。あまり、レントに好かれてなさそうだし。
「デリクさんは、新聞記者なんだよね。」
「おうよ。」
「そういえば、今日の朝になって戻って来たって言ってたけど、昨日の夜から今日の朝にかけて何か大きなニュースでもあったの?」
ちょっと、探りを入れてみた。
さすがに、私の家出は今朝の事なんだから、知られていないと思うけどまあ一応、念の為。
「昨日の夜オペラ座で、ヒルデブラント侯爵家の一族の娘のグレーティア嬢が、男を巡って歌手の娘とつかみ合いの大ゲンカをしたんだ。」
「・・・。」
名前だけは知っている。ジークの再従姉妹だ。私が言う事ではないが、とんでもない女性だな。
「何とか、そのケンカの元になった男にインタビューしたかったんだが、行方をくらませててな。心当たりをいろいろ当たったんだが。」
「その男の人って貴族?平民?どういう仕事してる人なの?」
「仕事なんかしてねえよ。女性に調子の良い事言って金を貢いでもらうのが仕事さ。貴族の落胤と自称しているらしいが、それもどうなんだか。」
クラリッサに作ってもらっている『お仕事図鑑』には、載せたくない職業だ。
とゆーか、なぜグレーティアだけ実名が出る?その男こそ個人情報を世に広く公開しろ!
「新聞記者をしていると、びっくりするような話を聞いたり見たりするんだろうね。」
「まあ、そういう話を集めて回るのが仕事だからな。」
「今まで仕事してきて、1番びっくりしたのってどんな話?」
「それは、さすがに言えねえよ。」
「じゃあ、2番目は?」
「とある準男爵家の次男坊が伯爵家の娘と不倫していて、一緒にいたところ、近衛騎士団に所属している旦那が早朝に戻って来て、テンパった間男が窓から全裸で逃げ出して公道を全力疾走しているのをこの目で見た時かな。」
それよりすごい事って、一体何があったんだ!
「すごい物を偶然見たね。」
「いや、不倫してるのは知ってたから、インタビューしたくて家の周り張ってたんだけどな。」
「そういう情報ってどうやって、手に入れるの?」
「まあ、それはいろいろだよ。いろいろ。」
と言ってデリクは、にっこりと笑った。
「貴族家のいろいろな情報をいろいろと知っているんだろうねえ。いろいろと。」
「なんだなんだ?どっか知りたい家門の話があるのか?」
「うん。」
と私は素直に言った。
「ブルーダーシュタットでは『エーレンフロイトの人間は野獣のように猛々しく、ローテンベルガーの人間は家畜のようにおとなしい』って言われてるんだけど、エーレンフロイトの方はわかるけどさ。ローテンベルガーの方は何でそう言われてるの?」