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紅蓮の魔女(1)

残酷描写があります。

イングリートの旧姓はリンデルツという。伯爵家であり、エーレンフロイト家の遠い親戚だった。


イングリートは17歳で結婚した。その時、夫のベネディクトは26歳だった。

9歳の年齢差があったわけだが、この程度の年齢差、政略結婚であれば珍しくはない。そして、その時、ベネディクトの弟アウグストは24歳だった。


結婚当初、イングリートとベネディクト夫婦は特に仲が悪かったわけではない。二人は三男ニ女、五人の子供をもうけた。軍人だったベネディクトは、家を離れる事が多かったが、愛人も隠し子も作る事はなかった。


それとは対照的にイングリートは、アウグストとの仲を深めていく。


イングリートが、子殺し、孫殺しを行ったのは、アウグストにエーレンフロイト家の当主の座を継がせたかったからだが、アウグストが人を殺したのは、人の心を操り支配するのが好きだったからだ。監禁、虐待、拷問、殺人、その全てが人を洗脳し支配する為の手段だったのである。

イングリートもまた、その洗脳の被害者であったと言えるのかもしれない。アウグストは決して美男だったわけではないが、人を虜にして離さぬ独特な魅力の持ち主だったそうだ。


時々、日本にもいたよなー。こーゆー犯罪者。と、私は思った。

血縁を含む複数の人間を、監禁し、洗脳し、暴力で支配し、時に殺し合いをさせる。

全くの他人からしたら、なぜ?と思うが、支配されている人は逃れられないのだ。

まして、アウグストは名家の次男坊だ。莫大な金と権力を持っており、支配された人々は尚更逃げられなかったのだろう。


監禁や殺害の主な舞台となったのは、王都から遠く離れた辺境のエーレンフロイト家の領地だったが、幾人もの人々が不審死を遂げていたり、行方不明になったりしていて、王都に情報が伝わらないわけがない。インターネットやテレビは無い世界だが、恐怖の噂は風に飛ばされる羽毛ように王国中に広まり、さらに外国にまで伝えられた。

放っておけば、王室の権威が疑われ領民や旅商人の間で暴動が起こりかねない。実際、その時期の外国からヒンガリーラントへの旅行者は、10年前の3分の1にまで減リ、経済も停滞した。

王室としても、領地内の問題はその領地の問題と放置しておくわけにはいかなくなった。


王室が捜査に乗り出すと、噂がたった途端、弟は兄に面会を求めてきた。

その要求を兄は受けるべきではなかった。だが、当主ベネディクトの中にも、なんとか問題を外部に知られる事なくおさめたい。家の名誉を守りたい。という卑劣さがあったのだ。そこをアウグストにつけ込まれた。

そして秘密会談が行われた。そして、その秘密会談の最中。

突如、アウグストは毒を飲んで自殺したのである。


アウグストが自ら毒を飲んで自殺した。


という情報を、イングリートをはじめとするアウグストのシンパは信じなかった。

ベネディクトに殺されたのだ!と、彼女達は信じた。アウグストは、わざとそう思わせたのだ。

それによって、アウグストの信者達はより過激化した。アウグストの仇をとれ!ベネディクトと、ベネディクトの血縁の者を殺せ!邪魔をする者も皆排除せよ‼︎


これは聖戦なのだ!


と、イングリートは復讐に猛り狂った。アウグストは、自らの命を使って最後の最後までイングリート達を操ったのだ。


アウグストがなぜ、そのように生き、人を殺し、そうやって死んでいったのか常人には到底理解できない。


アウグストは、金や権力を望んではいなかった。当主の地位が欲しかったわけではなく、兄を憎んでいたわけでもない。不幸な子供時代をおくったわけでもなく、逆に異様なほど甘やかされたというわけでもない。

ただ、ただ人の不幸が好きだった。騒ぎを起こすのが好きだった。自分の考える通りに人を操るのが好きだった。人と共感するという事が全くなかった。

そんな男が『天才』であったばかりに、数えきれないほどの人間が不幸になった。


イングリートらによる戦いは、その後数年に渡って続いた。

彼女らは身を隠し、人々を脅迫し、さらに人を殺していった。アウグストやイングリートに心酔するバカが何人も次々と現れ、潜伏生活は長きにわたって、彼らの協力の元続いていった。


歴史学者によって数字は違うが、最終的に少なくとも500人、多くて800人ほどの人間がイングリートやアウグストによって殺害されたという。

なんでこんなに数字に開きがあるのかというと。

当初はイングリートとアウグストの指示のもと、被害者の虐待や殺人を行なっていた加害者だったが、後に裏切ろうとして殺害された者。


相次ぐ悲劇に精神が耐えられず自殺した者。


行方不明になり、死体が発見されていない者。


など、被害者と呼ぶべきなんだか、どうなんだか、という者の扱いが学者ごとによって違うからだ。だが、少ない方の数を考えてみても尋常ではない。


そしてついに、情報省の活躍と、イングリートサイドの内部の裏切りにより、イングリートは捕えられた。


殺された人間のあまりの多さとその凄惨さに、裁判は非公開になった。

その反面、処刑は公開された。あまりにも社会を震撼させた事件だったので「イングリートは実は生きていて、自由の身になっている。」という疑いを、国民に持たさない為だった。


イングリートは、処刑台へと引き上げられても、反省の弁を述べる事はなく、夫への呪詛を叫んでいたという。


ヒンガリーラントの貴族社会には、連座制が存在する。貴族が罪を犯した場合、夫婦及び三親等内親族は共に罪に問われるのだ。

その為、本来ならベネディクトも罪に問われるはずだった。だがなんといっても、ベネディクトは最大の被害者でもある。


それに、当時のエーレンフロイト家は公爵家だった。初代公爵は、初代国王の実の弟で、国の長さと同じほどの家門の歴史の長さを誇る、ヒンガリーラント屈指の名門中の名門だった。

それを滅門させるのは、という声が貴族達の中からもあがり、ベネディクトには特別恩赦が与えられ、公爵家から侯爵家への降格処分だけで罪が許された。


しかし、長きに渡る兄弟、夫婦の闘いはベネディクトの心と体を蝕んだ。

5人の子供、可愛い盛りの孫、分家の一族、信頼していた家臣、助けになってくれた友人達をことごとく失ったのだ。体と心を病んだベネディクトは、ほとんど寝たきりの状態になり、十数年後、静かに息をひきとった。


そして、私。レベッカの父親であるフランツは、イングリートとベネディクトの孫にあたる。

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