7月9日の王都の朝(2)(リヒャルト視点)
アルベルは最初から、半狂乱とも言える状況だった。髪を振り乱し、手の中のハンカチを握りしめたり揉みくちゃにしたり、顔を覆ったと思うと更に髪を振り乱す。
「ラーエルには近づくな!と言ったのよ。何度も言ったのに。それなのに!」
正直言って会話にならない。
私はフランツの方に話を促した。顔色は真っ青で、今にも倒れるのでは、という様子だったが。
ようするに、こういう事だった。
夏休みの間、レベッカはブルーダーシュタットが故郷のユリアーナという友人の家を訪ねる事になった。だが、出発を目前にして、エーレンフロイト領のラーエル地区に海賊が現れるという情報が入った。フランツとアルベルは、絶対にブルーダーシュタットを出ないように言い含めた。そして、ラーエル地区にはエーレンフロイト騎士団を向かわせた。
そして、今朝早馬で到着した報告書によると、レベッカもその掃討作戦に加わり、しかも一時的に海賊の首領の人質にされたという。
騎士達に怪我人はいるが、お嬢様は無事だ。という事だったが、本当に怪我が無いのか、恐ろしい思いをしたのでは、と不安でならない。とフランツは言った。
「だいたい、騎士達は何をしていたの⁉︎どうして止めないの!どうして一緒に戦う事になるのっ!」
アルベルはもはや、失神寸前のヒステリー状態だ。
私もどう考えても騎士達が悪いと思う。
「確か、宰相家のエリザベート様がベッキーと一緒にブルーダーシュタットへ行ったはずですよね。エリザベート様はご無事なのでしょうか?」
とコンラートが聞いた。
「そうなのか⁉︎」
と私は尋ねた。
「はい。そう聞いています。」
「誰に?」
「・・・。」
コンラートは黙っている。フランツは顔を覆った。
「エリザベート様の状況はよくわからない。ただ、もしエリザベート様に何かあったら・・死んで償うしかない。」
・・それは、まあそうなるかもしれない。エリザベート姫は宰相家の姫というだけでなく、国王陛下の姪なのだ。その彼女の身にエーレンフロイト領で何かあったら、当然領主は責任を取らされるだろう。
これは大変な事になった。という実感がジワジワと迫ってくる。
「海賊共は、ブルーダーシュタットの司法省に拘束されているらしいが、エーレンフロイトで起こった事だ。私も至急行って取り調べに参加しなくてはならない。アルベルもレベッカを連れ戻しにブルーダーシュタットへ行く。それで頼みがある。ヨーゼフをこちらの館で預かってくれないだろうか?」
「やだよう。僕もブルーダーシュタットへ行く!」
と、母親に寄り添っていたヨーゼフが叫んだ。
「ヨーゼフ!ブルーダーシュタットにはまだ海賊の残党がいるかもしれないんだよ。行くのはとても危険な事なんだ。おまえは、安全な王都で待っていてくれ。」
と息子に言った後フランツは私に言った。
「この通り、エーレンフロイトの館に1人で置いておくと、後からついて来ようとするかもしれない。それに、私はブルーダーシュタットにしばらく残るから、帰りはアルベルとレベッカだけになるんだ。2人に何かあってはいけないので、できる限り護衛の騎士を連れて行きたい。そうしたら、エーレンフロイトの館の警備が手薄になってしまうんだ。どうか、ヨーゼフを頼む。」
「わかった。ヨーゼフの事は心配しないでくれ。」
「父上。私も侯爵閣下に同行させてください。」
いきなり、コンラートがそう言い出した。
「閣下が言われるように、侯爵夫人とベッキーが王都に戻って来る道中が不安です。私が同行すれば、微力ながらお二人の力になれるかと思います。」
「そうね。コンラートが一緒にいてくれると私も安心かも。」
とアルベルが言った。
「そうだな。おまえが一緒だったら、シュテルンベルク家の騎士もつけられるし。名案かもしれない。」
「ずるいー!コンラートが行くなら僕も行くー!」
とヨーゼフが叫んだ。
「それは駄目だ。」
とコンラートが言った。
「何で?コンラートはいいのに僕は駄目なの⁉︎僕だって、役にたてるもん!」
「今のブルーダーシュタットはとても危険な状態なんだ。その地に、侯爵閣下と一人息子のおまえが行って、2人共に何かがあったらエーレンフロイト侯爵家はどうなるんだ。」
「コンラートだって一人息子じゃないか⁉︎」
「たとえ、私に何かあっても父上が再婚してまた子供をもうければ何の問題も無い。侯爵閣下が行かれるのなら、おまえが行くのは駄目だ!」
問題はあるけどな!
と、心の中で思ったけれど私はコンラートを止めなかった。確かにブルーダーシュタットは危険な地であろうが、家からさっぱり出ようとしない息子が自分の意思で行くと行っているのだ。親としては止めるべきではないだろう。それに私は息子の剣の腕を信頼している。この子ならば、海賊に遅れをとったりはしないだろう。
断じて。そう、断じて息子と一緒にいるのが気づまりであるからではない。
「海賊には気をつけるのだぞ。」
と私は息子に言った。
「はい。」
と言った後。無口な息子の方から珍しく私に話しかけてきた。
「海賊の残党も注意は必要ですが、アルベルティーナ様とベッキーが心配です。アルベルティーナ様はかなり興奮しておられますし、ベッキーが心から反省しておとなしくしてくれれば良いのですが、もともとそんなおとなしい性格をしているならこのような事態には・・。ベッキーが本気で力をふるえば、アルベルティーナ様では太刀打ちできる訳がありません。ベッキーは、下水溝に落ちたカルガモの雛を救出する為、たいへんに重い石の蓋を抱え上げて、下水溝に入り雛を救出したとか、手紙泥棒の手下を蹴り飛ばして部屋の端まで吹っ飛ばしたとか、いろいろその、伝説がありますので。」
なるほど。起こるべくして起こった騒動とも言えるのだな。
でも、レベッカらしいというような気もする。レベッカはエーレンフロイトの令嬢だが、シュテルンベルクの血も引いているのだ。そしてシュテルンベルクには、強い女性が多かった。
そもそも、初代伯爵夫人からして、戦争捕虜を強姦しようとした将軍を蹴り飛ばして気絶させたという伝説があるのだ。それが、回し蹴りだったとか、飛び蹴りだったとか、ハイジャンプからの踵落としだったとか、その全てだとか諸説あるのだが、ともかく。意識を取り戻した将軍は激昂し、戦争がひと段落ついたら『エリカ』を軍事裁判にかけ処刑してやる!と叫んでいたらしい。
戦争がひと段落つく前に『エリカ』は民族独立軍の戦争捕虜となってしまった。帝国軍は何度も、捕虜交換で『エリカ』を返せと言ってきたらしいが、民族独立軍は『エリカ』を裁判と処刑から守る為と言って返さなかった。もしも、返してしまっていたら、自分もコンラートも、アルベルティーナもヨーゼフもレベッカも、この世に生まれて来ていなかったかもしれない。
経験も筋力も無いか弱い女性が、男性をしかも軍部の将軍を気絶させるほど蹴りつけられる訳がないから、初代伯爵夫人は、もともと暴力に長けた人だったのだろう。だから、そういう女性の事をむしろ私は好ましく思う。
第二王子がどう思うかはわからないけどね。
「侯爵夫人とベッキーが大げんかになるような状況だけは、何とか阻止したいと思います。」
息子よ。それはかなり困難なミッションだぞ。女性同士の争いに口を挟むとろくな事にはならないものだからな。
そうして、友人夫婦と息子は旅立って行った。
しばらくして、今度は宰相閣下から呼び出しがかかった。
「宰相府にか?」
「いえ、王宮にとの事でございます。」
とオイゲンが言った。
国王陛下やもしかしたら第二王子の耳にも入ったのかもしれない。
エーレンフロイト夫婦がいなくなったので、何か知っていそうな私に召喚命令が出たのだろうなあ。
もちろん無視する事はできない。
私は、王宮へ登城する為の準備を始めた。
第三章完結です。読んでくださって本当にありがとうございます。
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