王宮図書館
建国祭終了後。
さっそく、私は王宮図書館に通い始めた。
護衛として、アーベラがついてきてくれたし、コンラートもまだアカデミーが休暇中らしく、時間を合わせて一緒に来てくれる。
図書館の広さは、文子が通っていた高校の図書室くらいだった。
狭いんじゃない?とか、聞かれそうだけど。本はとにかく貴重なのだ。これだけの量、あるというのはすごい事なのである。
なんでもお父様から聞いたところによると、活版印刷術というものが発明されてまだ10数年しか経っていないのだそうだ。それ以前の本は、全て手書きで書き写されていたらしい。
この王宮図書館にある本も、きっと大部分は手書き写本されたものなのだろう。
私は、図書館の中をぐるぐる回ってみた。
私の身長の2倍くらいの高さがある本棚には、冊子本の他に木の板や巻物が入っている。
冊子本の中には表紙に鎖がついている物もあった。鎖付きブックというやつだ。そんな本が並んでいる光景、私は『世界不思議◯見』の映像の中でしか見た事がなかった。
鎖付きブックは、複数の鎖が絡み合わないよう、本の背表紙が奥になるよう本棚に収納されている。なので、眺めているだけでは、本の題名も内容もわからない。
読みたい本があったら、司書の人に聞いてみる方が早いだろう。
「あのー、すみません。」
と私は、図書館の中にいた司書さん達の中で一番年長に見えるおじさんに話しかけた。
「本を探すのを手伝ってもらえませんか?」
「わかりました。エーレンフロイト様。どのような本をお探しですか?」
「えーと、まずは医学書です。最新の医療研究とか、あと伝染病の歴史とかがのってる本が読みたいです。」
近い将来に、天然痘の大流行が発生する。それをなんとかしてくいとめたかった。国内で流行らないのが一番だが、もし流行ってしまった場合、どうにかして家族を守れるよう、予防や自衛の仕方が知りたかった。
「それと、農学の本を。どの土地でどんな作物を作っているのかとか、どんな伝統食が食べられているのかとか知りたいです。」
そして飯テロを起こしたい。
正直に言う。
この世界のご飯はマズい。
お菓子に限らず。全ての料理がおいしくない!
そもそも調理法が、焼く、煮る、茹でるの3種だけ。調味料は塩と酢がツートップ。香辛料は貴重品で、大概の物は素材の味が生きている状態である。
そして、その素材自体がマズい。日本の食材のように柔らかくも甘くもない。
タマネギは辛い。トマトは酸っぱい。ピーマンはゴーヤのように苦い。そしてキャベツは紙のような味がする。
肉は、血抜きの仕方がいまいちなのか、ものすごく生臭い。そして顎の鍛錬を求められているのかというくらい硬い。
そのうえ、冷蔵庫が無い世界だから、傷みかけた食材で食中毒が出ないようにという用心なのだろう。全ての食材が火の通し過ぎなのだ。肉でも卵でも、半生とかあり得ない。野菜も明らかに茹ですぎで、食感がくちゃあ、としている。
私は切実に飯テロを起こしたい!
なんとか品種改良とかして、おいしい食材を作って欲しいし、それが無理なら、調理法とか下処理とかで、マズい料理をどうにかしたい。
あと、それと・・・。
「『紅蓮の魔女』について詳しく載っている本を。」
私の後ろで、アーベラが息を飲んだのがわかった。側にいたコンラートも表情を引きつらせた。
「ベッキー、それは!」
「知りたいの。だって家では、誰も教えてくれないから。」
「お嬢様。それについては、侯爵閣下や、奥様にご判断を仰がれてからの方が・・。」
「本に載っている事は、誰でも知っている事だよね。私はそんな『誰でも知っている事』が知りたいの。」
「承知致しました。」
と司書のおじさんが言った。
「アレクシス・ウィンクラーという伝記作家が記した書物があります。綿密な取材をする事で有名で、思想的な偏りがなく偏見の無い内容を書く作家です。すぐに持って参りましょう。あと、医学書と農学書も。」
「ありがとうございます。」
と私は言った。そして思う。いい人だな。この人。
『紅蓮の魔女』の事がわかっていて、それでも丁寧に私に接してくれている。
このおじさんが、この場にいる司書さん達の中では最年長に見えるし、もしかして司書長さんなのだろうか?そうだとしたらこの人は、芳花妃様が亡くなった後、責任を取らされて処刑されるのだ。
そう考えて、私はぞっとした。今、目の前にいて普通に生きている人がどうしてそんな、と思うような理由で刑に処される。
吐き気がするほど恐ろしかった。
「アーベラ、本を運ぶの手伝ってあげて。私キャレルで待ってるから。」
今、コンラートは私から離れて、他の司書さんから本の説明を受けている。
私はアーベラを自分から引き離した。一人で確認したい事があったからだ。
図書館は、北側の壁にたくさんの窓があり、東側と南側の壁は作り付けの本棚になっている。そして西側の壁にはフレスコ画が描かれていた。
隠し扉と隠し部屋があるならきっと、この西側の壁だろう。
フレスコ画は、木のベンチがある庭の風景だった。そのベンチに豊満な体型の女性が寝っ転がっている。女性の左側には大きな木が描かれていて、右側には建物があって扉がついている。この扉がまるで絵のようにしか見えないが、実は本物の扉なのだ。その向こうにくだんの隠し部屋がある。
扉についているドアノブは立体的に描かれた絵だ。本物の取っ手はその下にある丸い飾りである。この飾りの部分を右側に90度回したら仕掛けが動いて扉が開くと、『ヒンガリーラント王宮犯罪録』に書いてあった。私は飾りを回してみた。
カチャっと音がして扉が開いた。扉は外開きだった。扉の外側に、カギやカンヌキなどの類いは無い。どうやってこれで、中に人を閉じ込めたんだろうと、不思議に思った。
部屋の中は、壁に沿って本棚があったが、本も巻物も一冊も置いていなかった。床には薄っすらとホコリが積もっていて、長い間使われていない部屋なんだなと思った。
壁に窓は一つも無く、小さな天窓があるだけで、部屋はとても薄暗かった。天窓には手を伸ばしても届かないし、窓が小さ過ぎてあの窓から外に出るのは不可能だろう。
・・こんな所に閉じ込められて凍死するなんて。
私は身震いした。まだ、事件は起こっていない場所だが、見ているだけで震えがきた。時間をかけて殺害するのは、一撃で殺してしまうよりはるかに残酷だと思う。
この狭く薄暗い部屋で、もしかしたら開くかもしれない、二度と開かないかもしれない扉を、ただ見つめる事しかできない。
その孤独と恐怖と寒さを、想像するだけで気を失いそうだった。
私は、小さく溜息をついて扉を閉めた。
それから、私は本を用意してもらったキャレルに入った。机の上に、本が何冊か重ねてあった。
一番上に、『紅蓮の魔女』についての本があるようだ。
『紅蓮の魔女』
愛人にのぼせ上がった挙句、夫との間に生まれた実の子供や孫を含めた何百人もの人間を殺したという殺人鬼だ。『紅蓮の・・』と呼ばれるのは彼女が燃えるような赤毛の持ち主だっただかららしい。
本名イングリート・フォン・エーレンフロイト。
私の曽祖母にあたる人である。
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