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悲劇の始まり

ヒロインが人として、絶対にやったらアカン事をやっています。

絶対にマネをしないでください。

午後になると雨も止んで青空が見えてきた。


昼食後、何のお菓子を作ろうか?と私は、ユリアの家の台所で考えていた。ユリアにも料理人のタビタにも、何でも好きな材料を使っていいと言われている。けれど、平民には手に入りにくい砂糖をガバガバ使うのは申し訳ないので、砂糖は私が王都から持参した物を使おうと思う。あと、王都から持って来ているのは紅茶と、うちの領地の名産品であるレモンだ。うちの領地は柑橘系の栽培が盛んで特にレモンとベルガモットを多く栽培している。


小麦粉と卵とバターは、ユリアの家の物を使わせてもらう事にした。小麦粉は、グルテン少なめの薄力粉である事は確認済みだ。ここでうっかり間違えて、グルテン多めの強力粉を使ってしまったら大惨事になる。もしも強力粉でケーキを作ってしまったら、まるでゴムのような食感のケーキが出来上がるのだ。学校の調理実習で、うっかり薄力粉と強力粉を間違えてケーキを作ってしまったグループがいたのだが、できあがったケーキを床に落としたら、ボヨンと跳ねたのである。まるでゴムボールのように!


今は夏なので、冷蔵庫もクーラーも無い世界でパイを焼くのは不可能だ。同じ理由でクッキーも難しい。そもそも薪オーブンでお菓子を作った経験が無いので、オーブンで作るお菓子は自信がない。

となると、やっぱりアレか。好都合な事に雨も止んだ事だし。


ユリアの家の台所は、もちろん館の中にあるのだが、煙がすごく出る魚を焼いたりする為に、台所の外の庭にも焼き場がある。ここで、キャンプ場でよく作られる二大スイーツのうちの一つであるアレを作ってみよう、と決めた。

ちなみに二大スイーツのうちのもう一つは焼きマシュマロだ。串に刺したマシュマロを焚き火で炙ってトロトロにし、チョコレートをつけたり、ビスケットに挟んで食べたりする。アレもおいしいのだが、ゼラチンが無いこの世界ではマシュマロが作れない。チョコレートも無いし。


そしてもう一つのキャンプ菓子。ドイツで生まれ、江戸時代にオランダ人が出島に持ち込み、もはや日本でも市民権を得、東京の大学を受験する私に親友が有名店のその菓子を土産に買って来てくれ、と頼んだあのお菓子。


そう、その名は『バウムクーヘン』。


これしかない!


児童養護施設のみんなとキャンプに行って、たらふく肉を食べた後、私達はいつも焚き火でバウムクーヘンを作っていた。

あの頃はお手軽に『ホットケ◯キミックス』の素で作ってたけどね。

でも今回は、卵とバターと粉で作るしかない。


お菓子作りは、分量を正確に計る事が重要だ。でも、理想のバウムクーヘンの分量がわからないので、ここはカトルカール方式でいこうと思う。フランス語で『4つの4分の1』とかいう意味だったと思うけど、ようするに、卵、バター、砂糖、小麦粉の量を全部同じにするのだ。


私はまず卵の重さを計った。卵の重さは70グラムだった。持って来ている砂糖の量が400グラムくらいなので、卵を5つ使う事にする。

私は4つの材料を350グラムずつ計った。

それからタビタに、パイを作る時に使う麺棒を売ってくれと頼んだ。長時間火に炙る事になるので、この麺棒はもう使えなくなってしまうだろう。


それから粉をふるい、バターは湯煎で溶かしておく。

そして私は卵を泡立てた。ベーキングパウダーがあればなあ、と心の底から思うが無いものはどうしようもない。

ハンドミキサーの無い世界で全卵を泡立てる事は素人には絶対できない。なので卵白と卵黄に卵を分け、卵白に砂糖を入れて卵白だけを泡立てる。のだが。

なぜか、私が卵を割っただけで

「おおーっ!」

と感嘆の声があがった。何で?私、片手割りとかしたわけじゃないし、なんか、感心するような要素がどこかにあった?


「お菓子をよく作っているってのは、嘘じゃなかったみたいだね。」

とジークが言う。

私のやる事をじーっと見ていたタビタも

「すごいですわ、お嬢様。こんなに上手に卵を割られるなんて、まるで熟練の料理人のようですわ。私なんて初めて師匠に卵を割るよう言われた時は、失敗したらと怖くてなかなかヒビも入れられなくて、やっと割れたと思ったら、黄身がグシャっと潰れてしまって、黄身を潰さずに割れるようになるまで30回はかかりましたもの。」


・・・あー、なるほど。

言われてみたらそうだよね。

卵を一度も割った事のない人は、どれくらい力を込めたらいいのかわからないはずだ。

「いやー、偶然、偶然。上手くいって良かったよ。」

「その割に、なんのためらいも緊張もなく、連続して卵割ったよね。いったい今までの人生で、何回卵割ってきたの?」

ジークのツッコミが厳しい。

しかし、ここまできて急に下手なフリをするのは変だ。白身に入れてしまった砂糖がもったいない結果になるような事はできないし。

私はボウルを抱え、シャカシャカ白身を泡立てた。文子だった頃、果物でシャーベットをしょっちゅう作っていた私は、ハッキリいって白身をメレンゲにするのは上手い。

タビタなんて、ポカーンと口を大きく開けて見ている。

しっかりとツノが立ち、ボウルを逆さにしても落ちないくらい白身を泡立てた私は、黄身と溶かしバターと粉を入れた。それを泡を潰さないようにさっくりと混ぜる。バニラエッセンスとかあったらいいんだけど、無いので、卵の臭み消しにレモン果汁とすりおろした果皮を入れた。これで生地は出来上がりだ。


私は生地と麺棒を持って外へ出た。麺棒にはたっぷりとバターを塗っておいた。外の焼き場には、タビタに頼んで木炭を燃やしてもらっている。薪ほどぼうぼうと火が燃えていなくてちょうどいい感じだ。

もともと串に刺さった魚とか肉とか焼く場所だから、横にした麺棒を置ける棒置き場がちゃんとあって助かる。

後は、この麺棒にタラーリタラーリと生地をかけてクルクル回すだけ。文子の頃に何度もやった作業だ。焦がしたり、下にボトボトこぼすようなヘマはしない。


ただ、ここからが長いんだけどね。1時間以上かかるの。まあ、オーブンで焼くパウンドケーキとかベイクドチーズケーキとかもそれくらいの時間はかかるから、仕方ないんだけどさ。

しかし、じっくりと焼いていると、暴力的なほど良い香りが周囲に漂いだした。文子時代に、バウムクーヘンを食べ慣れている私でも、生唾がわいてくるような匂いだ。ユリアは昨日、ぬいぐるみや外国のコインを見ていた時よりもはるかにウットリとした顔をしてバウムクーヘンを見ているし、ジークは

「まだ、食べられないの?もういいんじゃないの?」

とうるさい。


「これは最高級の紅茶と一緒に食べたいわね。」

とエリーゼも笑顔がキラキラだ。

「ごめん1番大事な事を忘れてた。誰か手伝ってくれないかな?」

「何ですか?」

とユリアがすぐに言ってくれた。

「ヒマワリの種を炒って皮を剥いて砕いて欲しい。」

「私がやりますわ!」

タビタが、快く引き受けてくれた。


クールクル、クルクルクルと、アーベラにもちょっと手伝ってもらいながら私は焼き続けた。レーリヒ家の使用人さん達がチラチラ見に来ていたが、完成間近になった頃は、みんな遠巻きにしてガン見だった。


「何をしているのですか?」

ちょうど、シュザンナさんが訪ねて来たようで私のやっている事に目を丸くした。

「いい匂いだねえ。」

と、館の奥からユリアのお父さんも出て来た。


「ユリア、アプリコットのジャムあるかな?無ければ他のジャムでも良いけど。」

「ジャムをどうするの?」

とジークが聞いてきた。

「完成品に塗る。」

「このままで十分おいしそうじゃないか。」

普段だったらそれでもいいけど、今回はダメ。砕いた種をバウムクーヘンにぺとっとくっつけなきゃいけないのだから。

「ありますわ。持って来ます。」


ユリアとタビタが戻ってきた頃、ついにバウムクーヘンは完成した。綺麗な焼き色がついていて、見た目は巨大なチクワみたいだ。

棒から、生地が抜きやすいよう棒にバターを塗ったけど、無理して棒から抜こうとしてグシャっとなったら、悲劇である。私は無理をせず、包丁で両サイドに切れ目を入れ、バウムクーヘンを半分にした。分度器型のケーキが二つとなったわけである。その表面にアプリコットジャムを塗り、ヒマワリの種をちらせば完成だ。包丁で切り分けてみたが、断面もまさに木の年輪のようで美しい。


自分で言うのもなんだが、すごくないか私!


「じゃあ、まずは真ん中の綺麗な所アーベラとタビタに毒味してもらおっかな。」

「あ、はい。わかりました。」

「私もいいんですか!ありがとうございます。喜んで!」

タビタは飛び上がって喜んだ。


エリーゼもジークもユリアも、そして他の人達も毒味をする二人の事をじーっと見てる。


「おいしいです!こんな、おいしいお菓子食べた事がありません‼︎」

タビタが叫んだ。


「衝撃的なくらい、おいしいです。これを作ったのがお嬢様だって事が尚更衝撃です。」

とアーベラも言った。


「じゃあ、みんなで食べましょう。ユリア、お茶を用意してくれる。」

と、エリーゼが言うと「はい。」とユリアは返事して、それから周囲を見回した。


「あの・・ベッキー様。端っこのカリカリしたところ、使用人のみんなにもあげていいですか?」

なにせ周囲では、全使用人がヨダレをたらしそうな顔でバウムクーヘンを見つめているのだ。心優しいユリアとしては、到底無視できなかったのだろう。

「真ん中の綺麗な所をあげてよ。端っこは私が食べるから。」


「お嬢様、お願い致します!このレシピを売ってください。」

とタビタが叫んだ。

「別に売るほど特別なレシピじゃないよ。4つの材料を同じ分量用意して、卵の白身をツノが立つくらい泡立てて型に入れてオーブンで焼くお菓子は普通にあるから。これはその野営版で、串に刺した肉を焼くみたいに、パンやケーキを焼いたりするって戦争の歴史の本に書いてあったの。」


嘘である。でも、いろいろ突っ込んで聞かれると面倒だからこういう事にしておく。


「その『普通』を私は知りませんでした。貴族様達は、こんなおいしい物を食べていらっしゃるなんて。どうか、私にもそれを作る事をお許しください。」

「私からもお願いします。ぜひ、レシピを売ってください。」

とユリアのお父さんにも言われた。


「んー、それはまあ、食べてから決めてください。はい、どうぞ。」

私は、バウムクーヘンを一切れ皿に乗せ『種』をのせてユリアのお父さんに渡した

「もともと野営料理ですから、マナーとか気にせず手づかみでガブっといっちゃってください。」

「ありがとうございます。」

「僕もお茶が出てくるの待てないや。食べちゃうね。」

とジークが言う。

「あ、待って。『ヒマワリの種』のせるから。」

私は、『ヒマワリの種』だけをジークのバウムクーヘンにまぶした。


そう。私はついさっき。

ユリアのお父さんに渡したバウムクーヘンにも種をのせた。

しかし、ユリアのお父さんのバウムクーヘンには、ヒマワリの種だけでなく、『アサガオの種』ものせたのである。


ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが。アサガオの種には毒がある。

うっかりそれを食べちゃった人は、とんでもなくお腹を壊すのだ。

私はそれを忍者のタマゴが主役の某マンガで知った。純朴な少年達に腹黒いクノイチ達が、お菓子に混ぜ込んだアサガオの種を食べさせるエピソードがあったのだ。

それを読んだ、同じクラスのアホな男子が、本当かどうか試してみようと言ってアサガオの種を食べ、救急車にお迎えに来てもらうハメになった。

忍者のタマゴが生きていた時代には、薬としても使われていたらしいが、それはアサガオの種なんかよりはるかにヤバい物を、うっかり誤食してしまった時に、そのヤバい物を少しでも早く体内から排出する為の下剤及び催吐剤として使われていたのである。


それを私はユリアのお父さんに食べさせた。

ごめんなさい、ごめんなさい。でも、海賊から身を守る為に仕方がなかったのです。

心の中で謝った。そして、もちろんどれだけ心の中で謝罪したって結果は変わらない。


15分も経った頃。悲劇が始まった。

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