その色彩は破滅を招くのか
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明滅する。青が明滅して、赤になる。俺よりちょっと早く信号に辿り着いた自転車が、勝ち誇るように横断歩道を渡っていった。
「チッ」
リビングで流れていた星占いを思い出す。ギリギリ目に入ってしまった画面には、最下位の俺の星座と、今日のラッキーアイテムとやらが映っていた。どんな一日になるかは聞き損ねたけど、ラッキーアイテムは文字で覚えている。紫色の手袋だ。んなもん、パッと用意できるわけがねえ。赤い絵の具でも塗れってか。
遅刻したらそれこそがアンラッキーだと、白線に足を乗せる。そのまま白い線を歩いていたら、後ろからとてつもない大声が聞こえてきた。
「ちょっと信号! 信号、赤でしょうがっ!」
「げ」
振り返ると、同級生の山口がバタバタと走ってくるところだった。勢いよく迫ってきたが、信号の手前で立ち止まり、ムググと唇を引き結ぶ。そして、渡り終えた俺に人差し指を向けた。手袋の色は茶色。
「だめだよ、信号赤なのに渡っちゃ!」
「いいだろ、車来てねえんだから。遅刻しそうなんだよ」
それだけ言ってズカズカと歩く。間を置いてまた後ろからバタバタとした足音が迫ってきて、俺はうんざりした。
「だから! 赤信号は渡っちゃだめなんだって!」
「だからは俺のほうだよ。遅刻しそうだったっつってんだろ」
歩く速さを上げるが、山口は食い下がる。
「理由は手段を正当化しません-! そういう油断が命取りになるんだから! それに、もしそれで車が高橋君を轢いたら、運転手が悪いことになっちゃうんだよ! なんの罪もない運転手に悪いと思わないの!?」
「だから、車なんかなかっただろうが! お前、透明の車が走ってる設定で話してんのか!?」
「ああもう、ああいえばこう! 高校生にもなって!」
山口だって、小学生女子みたいな絡み方だ。ぷんすかみたいな擬音がつきそうな怒り方を高校生でやってる恥ずかしさを自覚してほしい。ってか、こいつに構ってたらマジで遅刻する。
「わかったわかった、謝るごめん。だからもういいだろ。マジで遅刻るって」
「反省してないのまるわかりなのは置いといて。そんなに遅刻気にするなら、もっと早く家出ればいいのに」
「は?」
こいつ、遅刻しそうな俺と一緒に歩いてるくせになに言ってんだ? そんな俺の眼差しに気付かないまま、山口はさらに続けた。
「てかさ、遅刻しそうとかそんなの周りは知らないし。言い訳全部遅刻しそうだからで済ませようとするの、ダサくない?」
「はあ!?」
ほんとなんなんだこいつ。常識人ぶった態度に、さすがの俺もキレる。
「遅刻ギリギリなのはお前も一緒だろうが! よくそんな偉そうに言えるな!」
「私が言ってるのは信号無視のことだけですぅー! それに、私はいつもこれくらいに家出てるから全然危なくないし! ……今日は宿題忘れて戻ったから、ちょっとヤバいけど……!」
「じゃあヤベえんじゃねえか! しかもいつもこんな時間かよ。お前、優等生キャラなら無駄に朝早く来といて予習とかしとけや」
「やだよ、そんな無意味なこと。先生来る前に教室にいればセーフなんだから。だったらギリギリまで家でテレビ見るほうがいいし」
「そこはキャラ通り生きとけよ……!」
真面目ぶった優等生キャラ一転、効率重視のズボラ人間の一面を見せられた。効率重視に生きるんなら、人に説教すんのもやめろよ。
ってか、なんか二人で登校してるみたいになってきた。歩けば遅刻するし、走ったら必死みたいでダセーし。山口は小走りで、後ろ髪がプラプラ左右に揺れていた。
「お前、遅刻したことあんの?」
「あるわけないでしょっ、そんな、だらしない――あー、ちょっとタイム……」
「だらしねーなおい」
息が上がって立ち止まったのをいいことに、そのまま早歩きで山口を突き放す。信号無視したおかげか、山口を突き放したおかげか、わりと余裕で学校に着いた。いや、あいつのおかげにすんのはシャクだから、信号無視したおかげにしておくか。無視しなかった山口もセーフだったけど。
「おっす直哉」
「おう」
「見てたぜ。また山口サンに絡まれてたろ」
陽太に肩を組んで笑われ、俺は大きく体をのけぞらせた。
「あいつまじでうぜーわ。だれもいねー赤信号渡ったらすごい勢いで走ってきてさ」
「うわあやりそう」
「でさ、信号赤だからって渡らねーで怒鳴んの。ヤバくね?」
「ヤベーね」
俺たちはあいつとクラスが違うけど、同じクラスのやつは災難だ。ルール違反を見つけるとだれかれかまわず噛みつく、番犬みたいな女である。
「まあでも、なにもしてなきゃなにもしないし、普通に顔かわいいからよくない?」
「よくはねえだろ」
そう、山口はおとなしくさえしていればかわいい部類の顔をしている。だが、いつも眉をつり上げて文句ばかり言う女に魅力はあるだろうか。いや、ない。
「そりゃお前が悪いことばっかしてるからだろ。端から見てると普通にかわいいって。
まあ俺も捕まったときはマジ勘弁ってなったけど」
「おっ、なにやった?」
「ペットボトル、教室のゴミ箱に捨てたところ見られた。ちょうどクラス来ててさ」
「うぇーい、さいなーん」
「いぇーい」
グッと拳を合わせる。
そんなわけで、山口は周りから遠巻きにされている。それでも女子グループからハブられたりしていないのは、生真面目さが害にまではなっていないからだろう。こいつがゴミ箱に捨てたペットボトルも、わざわざ山口が自販機まで捨てに行ったらしい。それも、わざわざラベルとキャップを外してから。一周回って面白いまである。
とはいえ、俺は山口をうっとうしいと思っている。
どっちかっていえば素行が悪く、あいつに目を付けられているからだ。そう、完全に自業自得ではあるが、初手で因縁つけてきたやつに好意を抱けってほうが無理な話である。陽太とかは面白がってやがるが。
そんなこんなで、朝っぱらから星占い最下位を実感したわけだが、最下位の効力はそれだけじゃ終わらなかった。
「買い食いは校則違反! です!」
「……はあああ」
部活帰りにコンビニ前でたむろっていたら、またもや山口が現れやがった。今度は先輩もいたからか、敬語が付け足されている。しかし人差し指は俺に刺さっていた。
「なにこの子。お前の知り合い?」
「知りたかねえっす」
「ほら立って! こんなところで座ってたらほかのお客さんに迷惑でしょ!」
「お前ここの店員じゃねえだろ……。つか、なんで俺だけ」
一人狙いなのを指摘すると、山口は痛いところを突かれたとでも言いたげに視線を逸らし、指を曲げた。
「……上級生に立てって言うのは……ちょっと」
「相手選んでんじゃねえよ優等生!」
「アハハ! ほら立ってやれよ、直哉」
「ついでにゴミも捨ててきてくれよ、高橋クン」
「高橋君はやめてくださいよ……」
とはいえ、先輩には逆らえず空き缶を受け取った。山口はなぜかついてくる。さすがに俺も反抗心から違うゴミ箱に捨てる気にはなれず、表示通りの穴に突っ込んだ。
「お前、マジでなんなんだよ朝から」
「私が言いたいよ。見かけるたびになにかやってるんだもの」
「学校帰りくらい好きにさせろよ。買い食いなんてだれも損しねえし、店からすりゃあプラスだろ」
「どこが。入り口前に不良がたむろってだれが得するの。むしろ損じゃない」
「だれが不良だ、だれが」
校則を破っただけで不良扱いされてはたまらない。でも、山口はやれやれといった様子でため息をついた。
「だから、何度も言ってるけど――」
「いやならもう言うなよ」
「何度でも言うけれど!」
またお得意の怒り顔で山口が怒る。
「高橋君はもっと自分を客観視したほうがいいと思う! 通りすがりの人は、座りこんでる人が不良かどうかなんてわからないんだから! 学校の評判にも――」
「あー、なんかあるな、そういうの。シュレティンガーの猫」
「シュレーディンガーの猫ね。確認するまでわからないってやつ。でもあれは量子力学の不完全さを提唱するもので――」
話題を逸らすことに成功したので、そのまま無視して先輩たちの元に戻る。山口でシラケたのか、先輩はみんな立ち上がっていた。
「じゃ、あとで俺んち集合な。二年生は適当に菓子とか持ってきて」
「うっす」
「俺、コレ持ってきますよ。親がカートンで買ってたんで」
純一が二本指を曲げると、先輩がにやりと笑った。
「でかした」
「ちゃんと着替えてから来いよ」
目配せをしあって解散する。諦めて帰ったのか、山口の姿は見えなくなっていた。
――
先輩んちで飲みながら駄弁って、帰りがまあまあ遅くなった。まあ、母さんは明け方まで仕事で帰ってこねえし、朝帰りでも友達の家で寝落ちしたって言えばそれで済む。だからなにも問題はねえが、真冬の夜の寒さは堪えた。息が煙り、アルコールで温まったはずの体が瞬く間に冷えていく。
そうだ、家に帰る前にまたコンビニに寄ってゴミ捨ててかねえと。
親に見つかったらうるせえから、家に持ち寄ったらそれぞれで持ち帰って隠滅するのが習慣だった。リュックのなかで、空き缶の入ったビニール袋が音を立てる。
となると、いつもの道はだめだ。ケーサツがたまにうろついてる。そんな飲んでねえけど、念のためだ。荷物見られたらバレるし、そうなったら警察沙汰である。リスクは避けたい。
――そういや、ここのマンションの敷地通れば近道だっけか。
居住者以外立ち入り禁止の看板をシカトして敷地に入る。いつもなら看板なんて目に入らねえのに、山口のせいだ。あのいい子チャンがうるせえから、変に目についちまった。
ルール、ルール、バカらしい。どうせ大人になったらがんじがらめなんだから、今ぐらい好きにさせろっての。いい子チャンやりたいんなら一人でやってろ、俺を巻き込むな。
鬱陶しい奴のことを思い出したらむしゃくしゃしてきた。アレが男だったらとっくに掴みかかっていたところだ。顔がよくなかったら怒鳴りつけていた。いや、今度難癖つけられたらマジでキレる。あいつがビビるくらい怒鳴りつけて――
そこで俺は足を止めた。いや、足が止まった。異様な光景を目にしたからだ。
人が倒れていた。髪の長い女が、うつ伏せに倒れている。暗くても、体から黒い液体が染み出しているのがいやでも目に入った。
そんで、次に女のそばに突っ立っている男が目についた。人が血を流して倒れているのに、男は棒立ちのまま、そこに立っていた。その手には刃物が握られていて、そんで、俺のことをジッと――おいマジかよ!?
やっと状況を理解した俺は、すぐさま背を向けて走り出した。だけど後ろから男の足音も聞こえてくる。おいおい、マジでヤベえじゃねえか!
通り魔、殺人鬼、ストーカー。男を表すであろう言葉が頭のなかに次々浮かぶが、そのどれだろうと状況に変わりはない。暗がりじゃあ来た道を引き返すのもやっとで、俺は必死に走った。
ない。コレはマジでない! 未成年飲酒とか不法侵入とかケーサツとか、そんなのがすべて吹っ飛んだ。追いつかれたら、ガチで殺される。こんなあっさりと、唐突に。ルール違反だと叫びたくなった。こんなの、ズルい。こんな一方的な終わりがあってたまるか!
なんとか敷地を抜けるが、飛び出した拍子に通行人にぶつかった。きゃあと悲鳴を上げたのは、山口だった。
「なんっだよ、お前! なんでいんだよ!」
「なんでって、塾帰りだけど。高橋君は――」
「いいから来い! 走れ!」
「なに、なんなの」
「いいから! 後ろに――」
山口の視線が背後に向いたことの意味は、すぐに理解できた。だからといってなにができるわけでもなく、俺は振り返る。
男が刃物を突き出していた。その標的は追いかけていたはずの俺じゃなくて、無防備に立っている山口だった。
――このとき、どちらかが助かるための選択肢が俺にはふたつあった。
山口を見捨てて逃げるか、山口を庇って男と戦うかだ。
逃げれば俺は助かるが、山口は殺されるかもしれない。戦えば二人とも助かるかもしれないが、俺が殺されるかもしれない。でも俺は、どちらの選択肢も選べなかった。
「うああ!」
声を上げながら、男が山口に突っ込んだ。動けずにいる俺の前で山口の体が曲がって――曲がって――男の体が弾け飛んだ。
「……は?」
弾き飛ばされた男の体が、マンションのフェンスに叩きつけられた。そのままコンクリートの地面に落ち、男の動きが止まる。
「は?」
わけがわからないまま山口を見る。コートに刺さった包丁を抜くと、山口はこちらに顔を向けた。
「あの人、だれ?」
「はあ!?」
なに言ってんだこいつ。ほんと、なに言ってんだこいつ!?
「いきなり包丁で刺してくるなんて。いったいなにやったの、高橋君」
「……お前、なに言って」
ドアの開く音が聞こえ始めた。男がフェンスに叩きつけられた音が、マンション住人の耳にも入ったのだろう。このままじゃマズいと、俺は山口の手を掴んだ。
「え、ちょっと、あの人放っておいたら――」
「いいから来い! ほんと、なんなんだよお前!」
声を裏返させながら、山口を引っ張ってその場から逃げ出した。背後から人の声が聞こえてくる。悲鳴も聞こえたから、女も見つかったんだろう。
「ねえ、後ろ騒ぎになってない!?」
「なってるだろうなあ!」
立ち止まろうとする山口をそれでも引っ張って、なんとか離れた公園まで逃げることが出来た。息を切らせて鉄棒に寄りかかる俺を、山口はジトリと睨みつけた。
「もう、私まで逃げちゃったじゃない。あとで怒られたらどうしてくれるの。
言っておくけど、アレは正当防衛だからね」
それどころじゃねえ。いや、こいつは刺された女を見ていないから、あの男がヤバい奴だと気付いてないだけで――いやいやいや、いきなり包丁で襲いかかられたのに、なんでこいつこんないつも通りなんだ?
「……お前っ、怪我は?」
「え? あー、刺さんなかったみたい」
そんなことあるわけがない。だって、あの女には刺さったんだから。あんな勢いでやられて刺さらないうえに吹っ飛ばすなんて、そんな化け物みたいな――
そこで俺は目を見張った。
朝、たったあれだけの距離を走っただけで息を切らしていた山口が、今はまったく息を乱していない。それどころか、こんなに寒くて、俺の吐く息がもうもうと白く上がっているのに、山口の口から出る呼気はまったく煙っていなかった。俺の表情で言わんとしていることが伝わったのか、山口は眉をつり上げるのを止めてにへらと笑った。
「ああ、忘れてた」
思い出したかのように、山口の息が白く染まる。俺は大きく後ろにのけぞった。
「お前、なんなんだよ」
「なんなんだよってなに。落ち着きなよ」
「落ち着けるわけっ……!」
殺人現場を目撃するわ、犯人に追いかけられるわ、同級生が化け物だわで、どう考えたって落ち着けるわけがなかった。しかも、その化け物じみた同級生と二人きりなのだ。今のこの状況が一番ヤバいのは言うまでもない。
コレ、こいつに消されるパターンじゃねえか!? 俺以外にあの場面を見ていた奴はいないし、今ならあの男の仕業にできるだろう。実際、逃げ遅れていたらあの場で殺されていたわけで。
俺の気持ちを知ってか知らずか、山口はキョロキョロと辺りを見渡した。殺すタイミングを計っているのではと、俺は身構える。でも山口は、その場でいつもの表情を作った。あのいつもの、今となってはわざとらしすぎる怒り顔を。
「未成年なのにお酒飲むから、そういうことになるんだよ。ちゃんと水飲みなよね」
「あ?」
「どうせ自分で飲んだんでしょ。ダメだよ? 未成年飲酒は、提供した側に責任が行くんだから。店員さんの罪になって、お店が営業停止になったりして、個人経営の居酒屋だったら潰れるかもしれないし」
「……店で飲んでねえよ」
「そうなの? でも、飲んだんでしょ?」
だからなんでそれがわかるんだ、お前は。
でもこれ以上こいつの異常性に気付きたくなくて、俺は無言で目を逸らした。それをごまかしだと思ったのか、山口が口元を引き結ぶ。――本当はむかついてすらいないくせに。
そうだ、こいつの言動はすべてポーズだ。今になってわかった。感情的なそぶりをしておきながら、本当はまったく感情なんてないんだ。じゃなきゃ、こんな普通に会話できるわけがねえし、刺されて平然としているわけがねえ。そんで、俺がそれに気付いたことも、きっとこいつはわかっている。今までだって、全部全部、計算して振る舞っていたんだから。
「……あーあ。どうしよっかなあ」
山口はポーズを崩さずに続けた。
「今ここで高橋君になにかあったら、お酒飲んだのがバレちゃうね。そしたら、ほかの人に迷惑がかかる」
それは新手の脅しか? 身構えるが、山口は距離を詰めようとはしなかった。
「だから、帰るね。今日のことは秘密にしてあげる」
俺が酒飲んでなかったらいったいなにをするつもりだったんだ、こいつは。理由はなんだろうが、見逃してくれるならなんでもいい。とにかく俺はこいつから解放されたかった。そんなはやる気持ちすら見抜いてか、山口は表情を変えた。
今までに見たことがないほど穏やかな――慈愛に満ちた表情で。
「ちゃんとお利口にしてようね。ルールは大事だよ、人間として生きていくうえで」
呪いのようにそう言い残して、山口は去って行った。
――
次の日、学校は大騒ぎだった。
やっぱりあの直後に女が発見されたようで、朝のうちから殺人未遂事件としてテレビで取り扱われた。発見が早かったおかげで女は一命を取り留めたらしいが、意識不明の重体。男はその近くでなぜか気を失っているところを発見されたと、朝のテレビでは言っていた。
あの出来事についてあの男がなんて話しているのかは、帰ってみないとわからない。でもわかりたくもなかった。暗かったし私服だったから、目撃者の俺にまで辿りつきはしないだろう。そう願っている。辿りつかれたら、俺はあのとんでもない出来事について話さなくてはいけなくなってしまう。
「こえーよな。ストーカーか?」
「さあ。でもさ、学校いつも通りだよな。こういうときって休校になるもんじゃねーの」
「犯人捕まってんだからならねーだろ。テニス部の吉田があのマンションでさ、パトカーの音聞いて外出たって言ってたぜ」
「マジ? あとで話聞こ」
不幸中の幸いとして、わざと遠回りをしていたおかげで俺に話が向くことはなかった。まあ、遠回りしていなければ出くわすこともなかったんだが――
「……なあ、直哉。あれって俺たちが解散したあとの話だよな」
ぼそりと部活仲間が耳打ちしてきたので一瞬ギクッとしたが、俺はすぐに取り繕った。
「だろうな。俺んちの近くじゃねえけど」
「俺も。……先輩たちとも話したんだけど、マジでビビったよ。普通に大事件だし、犯人この辺に住んでる奴らしいし」
もっとヤバい奴が身近にいたんだけどな。
「でさ、今日も集まってその話しようぜってなったんだけど、お前の家――」
「無理。俺パス」
即座に断った。だれがそんな怖ろしい会を開くものか。山口に知られたら即殺されかねえってのに。
それで肝心の山口だが――だれがわざわざ様子を見に行くか! 命知らずにもほどがある。
俺はもう、山口には二度と関わりたくない。そもそも、山口との接点なんて、俺から簡単に潰せるんだ。あいつの目に留まらなければ、ルールを犯さなければ、平穏無事に生きていける。そう思っていたのに――
「紹介する。山口義仁さん。これから私が結婚する人」
「よろしくお願いします。直哉君」
コレは悪夢か?
バツイチの母さんが紹介した男はこれまたバツイチで、そのとなりに娘を連れていた。
「こちらからも。この方は高橋由美子さん。お前の新しいお母さんだよ」
「よろしくお願いします。よろしくね、高橋君」
「固まっちゃって。そんなにびっくりした?」
「私もお父さんに聞いたときびっくりしました。同じ学校の子だって言うから名前聞いたら、知ってる人だったから」
山口が俺を見上げる。その目には恥じらいと興奮があって、それがウソであることは俺しか知らない。なにときめき感じてるみたいな顔してんだよ。俺ら共犯者みてえなもんだろうが。
「そうだ、清子。これから家族になるんだから、名字呼びはおかしいよ」
「そっか。じゃあ、直哉君」
あっさり呼び方を変えるこいつに頭痛がしてきた。普通の皮被るんならも少しためらえ。そんなあっさり名前呼びするキャラじゃねえだろ。いや、普段のキャラ知らねえけど。
「店に入りましょうか。話は食べながらでも」
「そうね。家のこととか名字の話とか、いろいろ積もる話もあるし」
大人二人が話を進めていくなか、俺は絶望に浸っていた。
こんなことになるのなら、ムカつく奴が身内になると思っていたほうがまだマシだったろう。
「直哉君?」
「……呼び方変えるのはえーよ」
ぼそりと呟くと、山口は――ああそっか、俺もこいつのこと名字で呼べねえのか。母さんの再婚相手の娘は、悪戯顔で笑った。もうこれが素なか演技なのかはわからねえが、とにかく火種であることは確かだ。
「じゃあ、これからいろいろ教えてね。常識的な振る舞い方とか」
「俺がそんなの知るかよ」
「私よりは知ってると思うよ。私、半人前の人だから」
その一瞬、山口清子の目は鮮やかにきらめいた。――腹立つことに、見惚れるような色彩で。