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 田舎道を黙々と歩いていたラキスは、両手のこぶしを握りしめながら足を止めた。

 大木のかたわらに立ち、しばらくの間じっとこらえる。それからふいに顔を上げ、両こぶしを幹に強く打ちつけた。

 領主館でのやりとりを思い返しているうちに、怒りが再燃して耐え切れなくなったのだ。


 あの男、好き勝手に言いやがって。何が護衛兵だ。冗談じゃない、おれとエセルはそんな関係なんかじゃ──。


 だが、思わず胸中で叫んだ直後、彼はこだまのように響いてくるもう一つの声を聞きとった。

 ダズリー伯爵の声よりもさらに冷たく容赦ない、それは自分自身の声だった。


 ──そんな関係? じゃあ、どんな関係だっていうんだ。まさか恋人だとでも言うつもりか?

 それこそ冗談じゃない。

 身の内に穢れた魔性を宿しているのに。いつ完全に反転して、魔物に成り下がるかわからないのに。

 単なる半魔のときでさえ、彼女から離れるべきだと信じていたのに。

 それがなんて有様だ。こんな状況になったいまでも特別な関係だと思っているなんて──。


 前のめりの姿勢で幹にもたれながら、ラキスはやり切れない気分で考えた。

 エセルシータ姫を幸せにするのは、このおれだ。あのとき伯爵にそう叫べたら、どんなによかっただろう。

 あんたらなんかに任せておけない。どんなに反対されても姫君と一緒になるし、妨害されたら奪い取っていくまでだ。そんなふうに叫べたら。

 そして実のところ、そう思った瞬間だってあったのだ。


 エセルと出会った日からずっと……夜明けの塔で彼女に出会い、真夜中の中庭で言葉をかわしたときからずっと、ラキスは自分の存在が彼女にはふさわしくないと思い続けてきた。


 生粋の象徴たる王家の姫と、出自も知れない流れ者の半魔。どう考えても釣り合うはずがなく、幸せになる未来も見えない。自分という存在が、彼女の幸せの枷になるとしか思えない。

 エセル姫が生きる場所は王城だ。女王陛下のもとで守られ、誰からも祝福される相手を選ぶことが、彼女にとって結局は一番いいのだ。

 たとえエセル本人が、いまは同意しないとしても。


それは、十九歳の若者が抱いたかたくななまでの信念というべきものだった。そしてその信念は、大討伐を成功させるという功績をあげてさえ、まだ揺らいではいなかった。

 ところがその後、それをくつがえすほどの事実が、領主館で彼に告げられることになる。

 コンラート・オルマンドとシャズ・マーセインによる入れ替わり事件の真相だ。


 偽者、替え玉、成り代わり。

 貴族のお坊ちゃんがなぜ凶悪犯罪を、という疑問は払拭されたが、もちろん納得できるわけはない。

 嘘だろう、成り代わりの殺人鬼が第三王女の結婚相手だったなんて。

 その驚きと憤りは、当然と言えば当然の結論を彼の心に導いた。これなら流れ者の半魔と結婚するほうが、はるかにましではないかと。


 王家がエセルを幸せにすると信じていたから、彼女を託して王城を出て行こうと決めたのだ。

 その結果がこれだなんて、ばかばかしいにもほどがある。いままでのおれの苦労は何だったんだ。

 もう我慢なんてするものか。身を引くなんてばかげたことは、二度と考えたりするものか。

 

 そう思った。そう思ったのに。

 なのにどうして。ようやく思ったそのときに──どうして……!


 ラキスは再び右のこぶしを振り上げた。だがそのこぶしは幹を叩く前に力を失い、ゆっくりと下におろされた。

 本当は木に八つ当たりするのではなく、自分自身の身体を打ちのめしたかった。忌まわしい銀鱗を全部えぐりとってやりたかった。


 けれど、死ぬほどいとわしいと思うその一方で、彼は変化しつつある自分の身体を、実はそれほど意外だとは感じていなかった。

 馴染みがあるとさえ言えたかもしれない。なぜなら、いつか魔物に変わってしまう日が来るのではないかと、心のどこかでずっと思い続けてきたからだ。


 八歳のあの日。養父母を殺した魔物に見逃されたと思ったあのときから。

 共喰いはしない。そんな声を聞いた気がした、あの瞬間から。


 魔物が実際にそう言ったかどうかはわからず、そもそも魔物というものは通常、人の言葉を発したりしない。だから、あれは単なる悪夢にすぎないのかもしれないが、そう断言できる証拠は何ひとつ手に入らない。

 唯一答えを知っているはずの生みの親は、赤子を川に流してしまった。


 そのせいで、ラキスはどうしても暗い可能性を断ち切ることができずにいる。

 もしもカイルとリュシラが自分を拾ってくれなければ、大事に育ててくれなければ、自分は流された川の果てで魔物になっていたかもしれない──そんな可能性を。


 普段は意識にのぼってこない、このような暗闇に苛まれたおかげで、ラキスが気を取り直すにはいつになく時間がかかった。

 それでも立ち直ったのは、幹に押しつけた腕がいい加減痛くなってきたためと、早く宿場に行かなければ宿がとれなくなると気づいたためである。

 商店が多いわりに宿数が少ない町だから、日によってはすぐ満室になってしまう。こんなところで道草を食っている暇はないのだ。

 

 大木からようやく離れると、ラキスは空を仰ぎ見た。それから、悩みを振り捨てるように一息で高く飛び上がった。

 人間らしく地道に歩くという方法は却下された。のろのろ歩いてなどいられない、どうせ王城に入るときは、門からではなく空から侵入することになるのだから。


 少年期から一人で旅をしてきた若者は、落ち込んだとき一番有効なやり方が何であるかを、身をもって知っていた。

 とにかく目先にある問題だけを見ることだ。それに専念していると、たいていの場合いつのまにか道がひらけている。

 だから、いまは宿場に行くことだけを考えていたほうがいい。


 まずは宿にたどり着くこと。部屋がとれたら旅の食糧をいくらか仕入れて……できれば馬も。

 幸い所持金には困っていないから、手ごろな馬を手に入れられればいいのだが。

 黒い翼は嫌になるほど快調だが、王都まで飛んでいくのはさすがに大変すぎる。


 でもまあ……。

 ラキスはふと眼下を見下ろすと、眉を寄せながら考えた。

 馬じゃなくて羊に乗るのも、案外いけるかもしれない──。


 モードリッジから遠ざかっても、眼下にひろがる景色は相も変わらぬのどかな田舎道だった。

 そののどかさにふさわしくないものが、なぜか道向こうから猛然と走ってくる。

 かなり体格の大きな羊だ。平べったい鐘鈴を首にぶらさげているから、脱走した家畜にちがいない。

 しかもその羊の背中には、これもなぜか十歳くらいの少年が必死にしがみついているのだった。


 先のとがった長い耳の少年は、振り落とされないよう首にかじりつきながら、羊に向かって懇願していた。

「止まって止まって、止まってぇぇぇ!」

 

 変声期前の甲高い声が、田舎道に長く尾を引いた。




伯爵の名前ですが、やっぱり変更することにしました。

ダズリー伯爵でお願いします。とりあえず第三部についてはこれから直します。

ちなみにハリポタのいとこがダドリー・ダーズリーですが、それはスルーってことで……汗。


ものすごく暑い日が続いています。皆さま、どうかご自愛くださいね。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ラキスの叫びがそのままエセルに伝わって欲しいと切に思ってしまいました。
[良い点] ご家族大変、と思って、感想まで書いていなかったのですが、そろそろ簡単に書いておきますね。 落ち着いたときに目を通していただけたらと思います。 ラキスの心情に頷きながら読ませていただきまし…
[良い点] ラキスが今までの分も能弁に……! この! 気持ちを! エセルに届けたい投書したい……。 読者としてはこのふたりの行く末がそれは気になって。 隙を見てはファンアートしたり、割烹でネタにしたり…
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