7
とりあえずラキスは、この道を半日ほど歩いて街道に出てから、一番近い宿場町で旅支度をととのえるつもりだった。
実のところ、徒歩でいくより飛行していったほうがずっと近い。歩くための道は地形によって蛇行しているから遠回りなのだ。
だが、いまは地道に人間らしく歩いていきたかった。
急いだほうがいいのかもしれないが、いくらなんでも二日や三日で変化するわけでもないだろう。景色を眺めながら歩くくらいの気持ちの余裕は持っている。
それくらいの余裕がなければ、王都パステナーシュに到着して、彼女に──陽光みたいに清らかでまぶしいあのお姫様に会ったとき、まともに話ができるはずないのだ。
エセルシータ姫に会って、きちんと向き合い話をすること。みずからの言葉でこれまでの感謝を伝え、そしてちゃんと別れを告げること。
自分自身の異変を感じ取ったあと、ラキスが心に決めたことはそれだった。
半魔であると女王に告げて王城を出たとき、エセルはマリスタークに滞在中だったし、彼も出奔同然の飛び出しかたをしてしまった。
二人でドーミエの村に行ってからは、ほかの事件があまりにも多すぎて、そんな話題を持ち出している場合ではなかった。
でも──。
このまま何も言わずに国外に出てしまっては、エセルに対してあまりにも不誠実すぎる。せめてもの誠意を示すために、最後はどうしても自分の口から言わなければ。
いまの自分にできることはそれくらいしかないのだから。
ここ数日考え続けたうえでの結論がこれだったのだが、実行するにあたっては問題もあった。
どうやってエセルに会うか……つまり王都に着いたあと、どうやって王城に入るかという問題である。
もしかすると都に入る以前、市壁の大門を通る時点で制止されるかもしれない。そこまではされなくても、王城の門を通してはもらえないかもしれない。
いや、おそらく入城拒否は確実だ。
ラキスの脳裏に、ダズリー伯爵の端正だが冷淡このうえない顔がよみがえる。
思わず唇を噛みしめた。おれが都に戻ることをダズリーが知っているはずはないが、そうなってもいいようにきっと備えているだろう。
あいつはそういう男にちがいないのだ。
ラキスは、マリスターク領主館でヴィアン・ダズリーと二度面会していた。一度目は恩赦をあたえられたとき。恩赦の書状を都からたずさえてきた役人たちに伯爵が混じっていたのだが、このときは直接会話はせず、状況も大変和やかなものだった。
しかし二度目はちがう。
釈放され、領主館から出ていくために廊下を歩いていたときだ。侍従のひとりにふいに呼び止められて、応接室に案内された。そこで待っていたのが伯爵だったのである。
一度目も思ったのだが、この人物がマリスタークにいること自体がラキスには意外だった。
大聖堂での婚儀に参列する姿を見ていたから、当然女王一行とともに都に帰ったと思っていたのに。帰らなかったんだろうか。それとも、とんぼ帰りで戻ってきた? どうしてわざわざ……。
侍従をさがらせると、伯爵はラキスを見やり、背中でたたまれていても否応なく目につく黒い翼を、冷えた眼差しで眺めた。
それから背もたれのない丸椅子をすすめてきたが、彼自身がテーブル脇に立っていたため、ラキスもすわらず目の前の貴族と向きあった。
楽しい話ではない気配が漂っている。こういう勘はたいていの場合当たるのだ──その勘が正しかったことはすぐに証明された。
通り一遍の挨拶を終えた伯爵は、ふいにテーブル上の封筒に手を伸ばし、それをラキスに差し出してきた。
宛名はなく封もしていない。
受け取って中をたしかめると、入っていたのは手紙ではなく、紙ですらなかった。
台座についていないままの宝石が数粒。紅に紫、青く輝くものもある。
どれも大ぶりで、かなりの値打ちものにちがいない。
「……なんですか? これ」
掌にのせた貴石をみつめながら、低い声でラキスがたずねた。
「報酬だよ」
「報酬ならいただきました。討伐成功の報奨金として、ナーシュ紙幣を過分なくらい」
「それとは別だ。これは個人的なものだよ。わたしからの……そうだな」
無感情だったダズリーの声が、ふと調子を変えた。
「報酬という言葉は少しちがう。支度金とでも言おうか。つまり旅費だ」
「……」
「メイデンシャイムまでのね」
どういう意味ですと再び問うと、ダズリーは冷えびえとした黒い瞳を少しすがめた。
「わからないかね」
「察しが悪いんで」
「でははっきり言おう。モードリッジまでの護衛が終わったら、都に戻ってきたりせず、国外に出て行ってほしい。そして二度と戻らないでほしい。きみがこの国にいるとエセル様のお気持ちが乱れる。それでは新しい人生を進むことができないからね」
「……」
「エシアかメイデンシャイムか……近いのはエシアだがメイデンシャイムのほうがいいだろう。あの国は広い。きみのような半魔の働き口もすぐにみつか……」
ダズリーはふいに目を閉じて顔をそむけた。ラキスが、掌の宝石を彼の顔面に向けて投げつけたからだ。
きらめく粒が無価値な小石のように散る。
「馬鹿にするな!」
怒りにまかせて半魔の若者が叫んだ。
「金の力で追い出そうっていうのか。人を舐めるのもたいがいにしろよ」
「舐めてはいない」
自分の息子ほども年の離れた相手、しかも平民の半魔が働いた無礼を、伯爵は咎めなかった。
「わたしはきみの功績を十分に認めている。ヴィーヴルの群れを駆逐しレヴィアタンを追い払った働きはすばらしかったよ」
「わかってんなら」
「だが、だからといってエセル様と釣り合う身分になったと考えられては困るのだ。まして求婚などされては非常に困る。なぜなら」
「なぜなら?」
「王家にふさわしいのは生粋の人間だからだよ。半魔ではなく」
言った直後、伯爵の身体は音をたてて壁に押しつけられた。
相手の肩を両手で激しくつかみながら、ラキスが叩きつけるような声を出した。
「そんなに困るなら恩赦なんかあたえなきゃいいだろ。一生牢獄に閉じ込めとけよ」
「そうはいかぬ」
伯爵が痛そうに身をよじりながら応じる。
「それでは女王陛下のお気がすまない。慈悲深いおかただからな。だからわたしが言いに来たのだ。きみの存在は王家のためにならない、きみではエセル様を幸せにすることはできないと」
うるさい、とラキスが怒鳴った。殴り倒してやろうかと思いながら続けた。
「あんたにそれを言われたくない。エセルの幸せをめちゃめちゃにするところだったのは、あんたら王家側のほうだろ。全部聞いたぜ。コンラートは替え玉だったんだってな」
それからラキスは、王家が替え玉を見抜けなかったこと、結婚相手の調査を怠ったこと、そのせいであの狂った殺人鬼とエセルシータ姫が危うく結婚するところだったことを、王家側の貴族に思い出させた。
なんでちゃんと調べなかった、なんでエセルを危険にさらした。全部あんたらのせいだ。
そう叫んだあと、さらに叫んだ。
「言われなくたって、おれはこの国から出て行くつもりだ。戻ったりしないから安心しろよ。ただしエセルが不幸な目にあっているなら話は別だ。そのときはあんたら全員斬ってやるから覚悟しろ!」
言いたいことはいろいろあったが、激昂のあまり息が切れて台詞が途切れる。
そんな若者の姿を、ヴィアン・ダズリーは目を見開いてみつめていた。しばらく無言でみつめたのち、ふっと表情を動かした。
薄い唇の端がわずかに持ち上がる。どうやら微笑したらしい。
「──両想いとはつらいものだな」
「え……?」
「もしエセル様がきみに恋していなければ、我々はどれほど大金を積んだとしてもきみを護衛に雇っただろうよ。何一つ見返りを求めない。自分の命を差し出すことさえいとわない。ひたすら姫君のことだけを考えている──護衛兵としては最高だ」
「……」
「きみだって、そういう立場のほうが幸せだったんじゃないのか」
意表をつかれて黙り込んでいる若者の手を、伯爵は自分の肩から静かにはずした。
そして数歩の距離をとると、何事もなかったかのような態度で続けた。
「まあ、きみが正しく心を決めてくれていてよかったよ。まだ若いのにたいした決断と忍耐力だ。どうしてそんなに我慢できるのか知らないが、賞賛に値するね」
向けられてくる黒い瞳には、冷笑とも憐憫ともつかない不可思議な色が浮かんでいた。
いつもありがとうございます。ようやくようやく更新できました。涙。
王都の名称変更です。
パスティナーシュ → パステナーシュ
理由。パスティーシュという言葉があるのを忘れていたため(恥)すこーしだけ変えました。
過去分はおいおい直していきたいと思います(『妖精交信』の冒頭にも出てますね。汗)。
ダドリーダドリーってこれだけ書いておきながらなんですが、この人の名前もほんとは変えたいんです。
理由。ダドリーっていう有名な貴族が実在していたから。
どうしてもいい名前を思いつかず、苦し紛れにダドリーで投稿したあと、実在人物がいることに気が付きました。
そして変えようと思いながら今日まで……。
そのうち似たような響きの名前に変えるかもです。すみませんがその際は、あきれながらお許しいただけると助かります。